初夜その2
「やっと会えた」
ダークネスドラゴンのその言葉が聞こえなかったのか、ジゼルは徐に腕を上げ、人差し指でダークネスドラゴンの額に触れた。
その瞬間まるでガラスが砕け散るように召喚魔法が壊れ、その衝撃で部屋の半分が吹っ飛んだ。
ロランは目の前で起きた現実に鳥肌が立つほど驚いた。
「……うそだろ?」
この世界で自分だけしか使えない最高難度の召喚魔法を使ったのだ。そもそも召喚魔法が効かない人間は一人もいない。……そんな人間が居るなど考えたこともなかった。
だが今目の前でダークネスドラゴンが、最強の召喚魔法が無効になったのだ。
世界でただ一人魔法を無効にできる人間、それがジゼル。
ロランは目の前で起きた衝撃に膝から崩れ落ちそうになった。
ジゼル、
魔力の無い娘、
大魔法使いである私の……妻。
ガラガラッ
「ハッ!」
屋根が崩れ始めた。まずい!ロランはジゼルを避難させようと視線を移した時、邸宅に防御魔法がかけられた。ヤニックが保護したのだ。
すまない、ヤニック。
邸宅内で召喚魔法を使った事を反省しつつも今は今目の前で起きた現実を見つめることが精一杯だった。
冷静にならなくては。
ロランは髪をかき上げふぅーとため息を吐いた。
だが、そんな動作は無駄だった。
今まで一度たりとも負けたことのなかった魔法を打ち破られた敗北感と、大魔法使いと呼ばれるロランをただの人間に引き摺り下ろしてくれた屈辱に近い喜びが麻薬のように体を駆け巡る。
全てが初めての経験だった。
ロランはジゼルを見た。ジゼルはダークネスドラゴンを無効にした事を申し訳なく思っているようにキュッと唇を結び両手を握りしめロランを見ていた。
二人の視線が交わった時、ジゼルは頬を染めながら恥ずかしそうに微笑んだ。その微笑みはあの丘に咲くマグノリアの白い花のように気高く美しく見えた。
ああ、まずい。
ロランは内側から燃え上がるような激情を覚え両手を握りしめた。どうしようもないほどの熱がじわじわとロランを飲み込んでいく。気持ちが高揚し、体の芯が痺れるような感覚に陥った。
ジゼルは首を左右に振り黒髪についた土埃を払った。その肩甲骨まである黒髪が揺れ動く時、弧を描く艶が生き物のように左右に動いた。
その美しさに目を奪われジゼルから視線を外せない。ロランの瞳は輝きを放ち、まるで獲物を見定めるようなどこか野生的な感覚がロランに宿った。
ジゼルは私をただの男にした唯一の女。
ジゼルは窓ガラスの破片で頬を切っていた。
その血を手でグイッと拭い「物理攻撃は効きます」と言って微笑んだ。
その時の顔は凛として美しく、ロランを真っ直ぐに見つめる瞳は柔らかく、頬の血を拭う姿がどこか艶かしく見えた。
ああ、理屈じゃない。大魔法使いである私を無力な人間にした唯一の女。
私の本能が……ジゼルを求めている。
ロランの瞳は一層輝きその激情は真っ直ぐにジゼルへと向かった。
「……部屋が壊れてしまった。だが今宵契りを結ばなければならない、ここでいいか?」
「はい、構いません」
ロランの燃える瞳は完全にジゼルを捉えた。
こんな女に出会ったのは初めてだ。
契りが終わり、疲れ横たわっているジゼルを見て、ここにいられないとすぐにベッドを出た。
輝く黒髪の隙間から覗く滑らかな白い肌が美しくも艶かしく、またその柔らかい肌に触れたい衝動に駆られる。
このままここにいたらまずい。
ロランはすぐにバスローブを羽織り部屋を出て執務室に入った。
ジゼル・メルシエ。
世間では悪女と言われるジゼル。魔力がない代わりに魔法を無効にできる恐るべき能力をもっている。
ダークネスドラゴンは粉々になった。が、消し去られた訳ではなく召喚魔法自体が無効になった。
神殿に残る口伝になかった真実。この能力は魔法の世界に生きる私達にとって恐ろしい能力だ。
特に私のように魔力が高い人間にとって。
私を無力な人間にできる唯一の人。
大魔法使いである私と対極にあるジゼル。
この結婚はどんな意味があるのだろう?
ロランは窓辺に立ち漆黒の空に瞬く星を見つめた。先ほどのジゼルの黒髪を思い出す。
瞳を輝かせダークネスドラゴンと向かい合っていたジゼル。まるで時が止まったかのようにダークネスドラゴンは慕わしい眼差しをジゼルに向けていた。
ダークネスドラゴンとジゼル。
なぜダークネスドラゴンは召喚しろと言ったのか。なぜ「やっと会えた」と言ったのか。
ジゼルはダークネスドラゴンを知っている様子はなかった。その声も聞こえていない。
……ジゼルは一体何者なのだろう?
大魔法使いと魔力の無い娘。そしてドラゴン王。
創造の女神メシエは私たちに何を望んでいるのだろう?
ジゼルの秘密を知ってしまった以上、ジゼルを守らなければならない。魔法を無効にできるのなら国境にある魔法防御壁も一瞬で無くすことが出来る。戦争を起こそうと考えるものがいたら、その能力に誰か気が付き悪用しようと考えたらジゼルは狙われる。
だが、悪女と呼ばれここから出られない事は裏を返せば安全だ。この結婚が終わったとしても、彼女の安全を守らなければこの国は、この世界は崩壊してしまうかもしれない。
ロランはジゼルの頬を流れる赤い血を思い出した。
傷は深くない。
だが魔法が効かないジゼル。……これから先何が起きるかわからない。
医者が必要だ。
ロランは手元のベルを鳴らしヤニックを呼んだ。
「ハァ……ロラン様……」
ヤニックは呆れ果てたような表情を浮かべ大きなため息と共に部屋に入ってきた。
何かあったのだろうか?
ロランはバスローブの紐を結び直しながらヤニックに言った。
「ヤニック何かあったのか?」
ロランは椅子に腰掛け、目の前で大きなため息を吐くヤニックに言った。ヤニックは片手を額にあて首を振り勘弁してくれと言わんばかりの表情でロランに言った。
「ロラン様、本日の契りは召喚獣それもダークネスドラゴンを召喚するほど激しいものだったのでしょうか?お部屋の半分は吹っ飛び、メイド達は皆驚き泣き叫んでおりました。直ちに保護魔法を使い、修繕魔法士を呼んだから良いものの、こんな激しい契り毎月は絶対無理でございます!!」
「ハハッ!」
ヤニックの発言を聞いたロランは笑い出した。確かに、なにも知らなければ一体なにが起きたのだと思うだろう。だが、本当のことは言えない。ジゼルの秘密を話すわけにはいかない。ロランは顔にかかる髪をかき上げながらヤニックに言った。
「ヤニック、これからは気を付ける。ところで頼みがある。腕の良い医者を邸宅の近くに待機させておいてくれ。あ、治癒魔法ではない。普通の医者だ」
ロランはジゼルが病気や怪我をした時のことを考え、医者を待機させておくことにした。
魔法が使える人間は簡単な治癒魔法は使えるが、魔力によっては大きな怪我や病気に対応できない。そのため高額な治癒魔法よりも医者を頼ることが多い。そのおかげでジゼルも治療する方法があることが幸いだ。
これはジゼルの秘密を知った責任だ。この先信用のできるメイドを選抜しジゼルに付けよう。
ロランは一先ず義務とされていた契りが終わり肩の荷が降りた気がした。