初夜
「魔力ゼロとは魔力が無いだけじゃ無いのか?魔法使いがお前に対して魔法が使えない?信じられないな。魔法が効かない人間が居るなど聞いた事がない」
ロランは予想だにしないジゼルの能力に衝撃を受けた。
「はい。私にどんな強力な魔法を使っても全て無効になるのです。例えロラン様の黒魔法であっても」
ロランはその言葉を聞き金縛りにあったかのように体が硬直した。心臓が大きく波打ち背筋に寒気が走る。強敵に対峙した時でも感じなかった恐れに近い感覚。
両手に力が入り思わず後退りしたくなった。
この華奢な娘が?
いつも俯いて空気のように生活しているこのジゼルが私にその感覚を与えた?
嘘だろ?
ロランは瞬きも忘れ目の前のジゼルを見つめた。
ジゼルは恥ずかしそうに、けれどどこか嬉しそうに瞳を潤ませロランを見つめる。そんな悪意の無い表情を見て体の力が抜けた。だが、ふと視線をずらすとジゼルの指先がまだ震えている。嬉しそうに見えるがまだ緊張しているようだ。
しかし、この空気の様に無力なジゼルが大魔法使いの魔力を無効にするだと?
「信じられないな、魔法が効かない人間がいるなど聞いたことがない」
魔法が効かないと言う事は、裏を返せば利用される可能性がある。なぜ一族はジゼルの能力を黙っていたんだ?
ロランは首を傾けジゼルを見た。
「はい。は、初めて話しましたから」
初めて話した?
ロランは両手を握りしめるジゼルを見て複雑な気持ちになった。
こんな重要な秘密をなぜ私に話すのだ?
信頼しているのか?
会ったばかりの私を?
家族にも言わないで?
ありえないだろ?
ジゼルは悪女だと世間では言われている。魔力を無効にできるなどある意味で無敵だ。公表し堂々としていれば誰も手を出さないだろう。だけど危険も伴うのも事実。
いや、待て。今はそんなことを考えている時ではない。
冷静に考えよう。
私の黒魔法でさえ効かないと言っているのだ。ありえるのか?本当なのか?出まかせを言っている?でもそんな意味のない事を言う必要がないし、ジゼルの目を見ればわかる。
彼女は嘘は言っていない。
だが、魔法が効かないならば病気や怪我をした時どうするんだ?
いや、その前に、
ずっとそんな秘密を一人で抱えていたのか?!
嘘だろ?私には、今目の前にいるジゼルの人生が想像ができない。
ロランは握りしめた両手を震わせるジゼルを見て同情のような気持ちが生まれた。
「……お前、怪我をした時や病気の時もそうなのか?」
ロランは思わずジゼルに聞いてしまった。
なぜそんなことを言ったのか我ながら驚く。けれど、頼むから誰かが魔法を使ってくれたと言って欲しい。そうでなければあまりにも……。
ロランは唇を結んだ。
「え?」
ジゼルは驚きの声を上げた。意外な質問だったのか常に俯いているジゼルがロランを真っ直ぐに見つめた。
その瞳の美しさにロランは目を奪われた。磁石のように吸い寄せられる感覚が湧き上がる。
ダメだ!こんな感情を持ってはいけない。シャルロットの事も中途半端になっている私が誰かに心を寄せるなどあってはならない。
結婚当初からの私を保たなければ。
ロランは自分にいいきかせた。
「はい、魔法である限り、私には一切効きません」
瞳を潤ませ答えるジゼルを見て胸が痛む。その言葉はジゼルの生きていた環境を浮き彫りにさせる。
ジゼルは魔法を無効に出来る。その事実は誰一人知らない。裏を返せば、ジゼルに魔法をかけた人間はいないということだ。
ジゼルはいつそれに気がついたんだ?いや、その前に、まさか、今まで誰にも心配される事なく放置されていた?
今まで両親にどんな扱いを受けてきたのだ?
ロランは改めてジゼルの顔を見つめた。
いつも俯き悲しそうな顔をしているのに今は嬉しそうに見える。なぜこの質問でジゼルは嬉しそうな顔をしている?
ロランはそんなジゼルを見て少し呆れた。どんな状況でも受け入れ我慢して生きてきたのだろうか?
いわれなき悪女と言われても。
ロランがじっとジゼルを見つめているとどんどんとジゼルの顔が赤くなってきた。
……無口だが表情は豊かなんだな。
ロランはそんなジゼルを見て微笑ましく思う。
不思議な女。ジゼルは私の興味を引く。
だが、私はジゼルのことは何一つ知らない。あの噂も嘘だとわかり始めた今、私自身ジゼルにどう接したらいいのか迷い始めている。
しかし、
ロランは髪をかき上げながら先ほどの話を思い出した。
魔法が使えないだけじゃなく魔法が無効になる?
何一つ魔法が効かない?
どんな魔法でも?
……おもしろい!
ロランは魔法が効かない人間が存在する現実に再び興奮を覚えた。泉のように湧き上がる興奮がロランの瞳に輝きを与える。
どんな魔法でも効かないのだろうか?無効にする時何が起き、ジゼルはどんな表情をするのだろうか?
見たい!試したい!
体を駆け巡るような興味と喜び、そんな感情が自分にあるなど戸惑った。だが、この気持ちを抑えることは出来ない!
「ダメだ、試してみたい、お前嘘をつくと死ぬぞ?」
ロランは瞳を輝かせ、少年のような生き生きとした表情を浮かべジゼルに言った。そんなロランの顔はヤニックでさえ知らない。
こんなに心躍るような気持ちになったのは初めてだ!
「嘘は言いません。試していただいて結構です」
ジゼルは柔らかくロランに微笑んだ。
その微笑みはこの部屋を温かいオーラで包み込むような不思議な力がある。
そんなジゼルを見て万が一が起きたらと心配になった。もしジゼルを危険に晒してしまったら……ジゼルを知らない時ならそんなことも考えず魔法を使っていただろう。
だが、今……ジゼルに何かあったら……きっと私は後悔するかも知れない。
ロランは冷静さを取り戻すように長い髪をかき上げた。
そうだ、危なくなりそうだったら魔法をキャンセルすればいいのだ。だが通常発動させた魔法をキャンセルするのは危険な行為だ。その魔力が自分に跳ね返ってくる。しかし私はそれをコントロールできる。大丈夫だ。
だが、どうする?普通に無難な魔法にするか?
ロランは腕を組み天井を見上げた。危険の少ない魔法……
〈私を召喚するのだ。この私、ダークネスドラゴンを〉
ロランの思考を遮るような重々しい声が頭の中で響いた。
ダークネスドラゴン?!今……私に話しかけたのか?どうやって?召喚さえしていないのに?
だが、ロランはその声を聞き、導かれるようにそれを受け入れそうしなければならないと思った。
万が一ジゼルに危険があったらと不安がよぎる。だがそれをコントロールするのが私の存在意義だろう。
ジゼルに召喚魔法を使おう。
躊躇は要らない。絶対に危険な目には遭わせない!
ロランは最強の召喚魔法ダークネスドラゴンを召喚することにした。
この世界で唯一ロランだけが召喚出来る究極の召喚魔法だ。
魔法陣を描くと暗黒の世界からダークネスドラゴンが召喚された。通常であればこの時点で男でも失神する程の怖さだ。しかしジゼルは嬉しそうな表情を浮かべダークネスドラゴンを見ている。
その姿を見てロランは鳥肌が立った。
この女は只者ではない。
思わず固唾を呑んだ。こんな経験は初めてだ。
ロランは集中し呪文を唱えた。ダークネスドラゴンは別邸の屋根を突き破りその羽を広げジゼルに向かって襲い掛かった。
普通、立っていられないほどの魔力だが、ジゼルは微動だにせずドラゴンを見据えた。
その瞳は輝き、微笑みを浮かべダークネスドラゴンを見つめるジゼル。
その姿は驚くほど美しかった。
だが、襲いかかったはずのダークネスドラゴンはなぜかジゼルを見つめ攻撃しない。
一体何が起きたのだ?
ロランは息を呑んだ。
こんなことは前代未聞だ。
「……やっと会えた」
何?!
ロランは目を見開いた。
ダークネスドラゴンは今何と言った?!
やっと会えたと?!
その言葉を聞いた瞬間ロランの胸は張り裂けそうなほど苦しくなり、体の内側から湧き上がる喜びと悲しみがロランを襲った。口の中がカラカラに乾き、泣きたくなるような絶望と無力感を感じた。
なんなんだこの感情は?!
ロランは顔を顰めその感情を追いやるようにジゼルを見つめた。




