少しの興味
「あなたは形式上私の妻だが、あなたを愛することは無い」
結婚式が終わり、別邸のソファーに向かい合って腰掛けるジゼルにロランは話しかけた。
面倒なことは最初に終わらせねばならない。
顔にかかる鬱陶しい髪を手櫛でかき上げながら、目の前の悪女と呼ばれるジゼルを牽制するため出来るだけ淡々とした口調を使い冷たく言い放った。
その言葉を聞いたジゼルは顔をあげロランを見た。その瞳には深い悲しみの影がある。だが、悪女と呼ばれる女。そんな演技は通用しないのだと言うようにロランは一切の感情を出さず冷たく冷え切った視線をジゼルに送った。
「五ヶ月、五ヶ月経ったら離婚ができる。それまで我慢するが私に何も期待しないでくれ。私には愛する人がいるから」
そう言うとジセルはロランから視線を外し下を向きドレスを握り締めた。その両手は細かく震えている。
これも演技だろうか?
ロランはそのまま黙ってジゼルを見ていた。黒い艶やかな髪がサラサラと落ち俯いたジゼルの表情を隠した。指先を隠すように握りしめる両手は微かに震えている。そんな姿を見て一瞬胸が痛んだが、まだどんな人間かわからない。今言っておかないとこの先牽制できなくなったら厄介だ。
ロランはさらにとどめを刺す言葉をジゼルに投げかけた。
「あ、あと、夫婦の契りは契約上交わさなくてはならない。月に一回で充分だ。愛していない女を抱くのはきついからな」
ロランはよりリアルな気持ちを伝えようとわざと軽い口調を使った。これだけ言えば良いだろう。
「何かあるか?」
ロランはパラパラと顔にかかる髪を後ろに流しながらジゼルに聞いた。
「いえ、何もございません」
目の前のジゼルは言葉を震わせながらながらそう言って黙った。
なにも言えるはずが無い。平民に近い貴族の娘が数ヶ月だけでも公爵家の嫁になれるのだ。
夢のような現実に私の冷たい言葉などきっと、なんとも思わないだろ。
ロランは改めて黙って俯いているジセルを見つめた。
深い夜の闇のような艶やかな黒髪に不安に揺れるダークブラウンの瞳、この世界では珍しい組み合わせだ。どこか異国情緒あふれる魅力的な容姿をしているが、どこの国にも属していないように思える。先ほど垣間見たこの女の一族とも明らかに容姿も違う。
「この世界の異物のような存在」
ベルトランの言葉を思い出した。
だが、それが何を意味するのかこの時のロランにはわからなかった。
ジゼルはメイドや使用人達にも嫌われていた。世間はシャルロットの味方だからだ。
ジゼルはほぼ全ての事を自分でこなしていた。貴族らしく何もしないでメイドにやらせればいいような事も自分で行う。手慣れた様子で身の回りのことをこなすジゼルにメイド達は驚いていた。
もちろん、最初こそメイド達も手伝おうとした。だがジゼルが断ったとヤニックが言っていた。平民に近い貴族だからそんなこともできるのだろう。
何を考えているのかわからないが、メイド達は悪女と今は関わらなくていいと安心しているようだ。
魔力を持たない女。
生まれた時から魔法が使えるロランには魔法が使えない人間がどう生きているのかわからないし、興味も湧かなかった。魔法が使えないのは神罰なのかもしれないと世間は言っていたが、確かにそうなのかと思うほどジゼルにとって生きづらい世の中に見える。
食べ物一つとってもそうだ。魔法が使えないジゼルは自分の食事を温められない。
いつも冷たい食事を食べている姿をみると、なぜ甘んじて受け入れているのか不思議に思った。だがジゼルの為に何かをしてあげようとは一切思わなかった。
なぜならジゼルはそれを当たり前として捉え生活してるからだ。気にしていないように見える。
図太いのかわからないが、空気のようにそこにいてもいないような存在。一切目を合わすことなく何も言わずあるがままを受け入れ生活している。いてもいなくても分からないほど影が薄くまるで空気だ。そんな様子を見ているとジゼルもこの結婚を望んでいなかったのだと思えた。丁度いい。淡々と日にちをこなす相手だと思えば良い。
徹底して空気のように生活するジゼルを見てロランはジゼルが悪女だと思えなくなってきた。口数の少ないジゼルが何を考えているのかわからない。けれど、極力ロランに関わらないように空気のような存在として生きていることだけはわかった。そしてジゼルのオーラはいつも温かい。
不思議な女だ。
ロランは少しだけジゼルに興味を持った。
夜部屋に戻ると大抵ジゼルはソファーで本を読んでいる。私を見て慌てて立ち上がり頭を下げる。そんな事しなくても、と思いながらもそんなジゼルを無視しベットに寝転ぶ。同じ部屋にいても空気のような存在にホッとする。それに、ジゼルは初日からソファーで寝ている。窮屈じゃ無いのかと思ったが、一応立場を弁えているようで安心する気持ちが勝りずっとそのままだ。
結婚してからも何一つ変わらず大魔法使いとして城に通っている。同じ魔法使いの仲間と共に過ごす時間は楽しいが、最近シャルロットの呼び出しが多くなった。寂しい思いをしていると思うと複雑な気持ちになるが、シャルロットに対し相変わらず違和感を持っているのも事実だ。
結婚してからジゼルを無視する毎日を送っていたが先延ばしにしてきた契りを月末の今日行わなければならない。
気が重い。
出かける前に「今晩契りを結ぶ」と言って出かけた。ジゼルは食事の手を止め何か言いたげな様子だったが返事も聞かず部屋を出た。無口な彼女が何か言いたげだった様子は気になるが情をかけたくない。それに情をかけるほどジゼルを知らないのも事実だ。
夕方、心の中で怖くなったと言って逃げないかと期待したが無駄な期待だった。いつも通りエントランスにその姿を見た時内心がっかりした。逃げてくれた方がよほど楽だ。
夜、部屋に入ると緊張した面持ちでソファに腰掛けていたが、すぐに立ち上がりこちらにむかって頭を下げてきた。指先が震えている。
まさか初めての経験なのか?
噂では男を取っ替え引っ替えしていると聞いていた。この国は貞操観念が強く結婚前の性交渉が明るみに出ると女性は結婚することが出来ない。だがこの結婚は強制だ。だからジゼルが男と何をしようが結婚は回避されないと誰もが思っていた。しかし……
「お前、経験はあるか?」
ロランはため息を吐きながらジゼルに聞いた。
「い、いえ、ございません」
ジゼルは緊張しているように答えた。
嘘だろ?あの噂はなんだったんだ?
ロランは驚いた。目の前に立つジゼルは震えている。とても経験があるように思えない。急に責任を背負うような重たさがロランの両肩に乗る。逆に経験があった方が精神的にどれだけ気が楽だったか。
「ハァ、気が乗らない」
思わず本音が出てしまった。ジゼルの初めての相手となる責任を感じその場から逃げたくなった。
だが、この結婚は逃げることもできず、この契りも同じだ。
ロランは覚悟を決めジゼルに言った。
「仕方がない、こっちに来い」
緊張で小刻みに震えながら歩み寄るジゼルを見てロランのテンションは更に下がった。こんなに緊張している人間と契りを結ぶ事など出来るのだろうか?だが必ず今日行わねばならない。
ロランは、考えた末、言葉はいつも通りにし、それ以外は出来るだけ優しくジゼルを扱おうと決めた。上部だけの言葉を言っても意味がない。震えるジゼルを怖がらせないように優しく。きっとジゼルは痛みがあっても我慢し言わないだろう。この顔にかかる髪を束ね顔が見えるようにすれば、その表情から判断出来る。
「私はお前の顔もまともに見たことがない。そもそも興味もないし、どうでもいいことだ。だけどお前は初めてだから。表情で判断するから、顔は見えるようにしてくれ」
そう言ってロランはジゼルに髪を束ねるように言おうとしたがジゼルの震える指先を見てロランは魔法を使った。
だが魔法が効かない。
「ん?なんだ?」
魔法がかからない。こんなに簡単な魔法を失敗した?ロランは首を傾けもう一度魔法を使ったが、結果は同じだった。
……昔、些細な魔法を失敗した事を思い出した。あれ以来2回目の失敗?
「これは一体?」
思わず心の声が漏れた。こんなことあり得るのだろうか?
「……あの、ロラン様……私は魔力がありません。そして私に対して誰一人魔法……使えないのです」
ジゼルは声を震わせながら申し訳なさそうな表情を浮かべロランに言った。




