【第一章最終話】 あなたのいない世界
この結婚が終わる時を読んで下さっている皆様
このお話を以て第一章「ジゼル・メルシエ」は終了いたします。
ありがとうございます!
ねここ
ジセルはゆっくりと体を起こした。
頭の中が真っ白になり何も考えられない。今起きた現実に底知れぬ絶望を感じ、身体はその感覚を遮断した。
城の外壁が崩れ始めたのか砂のように細かい漆喰がパラパラと床に落ちてくる。気が付けばロランの結界は消えている。飛ばされた時にその結界に触れたのだ。
兎に角落ち着かなければ、ジゼルは大きく息を吐こうとした。だが、喉がつっかえたように重苦しくうまく息が吐けない。ゆっくりと少しずつ浅い呼吸を繰り返した。
ズキッ
頭を打っていないはずなのに頭が痛い。ジゼルは無意識に額の傷を触った。
ほんの少し前にロランが優しくキスをしてくれた場所。
けれどロランはジゼルの手を離しシャルロットを助けた。咄嗟の行動なだけにその衝撃は大きい。
本当に大切な人の手を掴む。
ああ、やっぱり私は選ばれなかった。
つい先程まで優しく微笑んでくれたことも、抱き寄せてくれたことも、あの言葉も、全て……
全て偽りだった。
一条の光すら見えぬ失望と絶望。
改めてその事実を思い返した時、胸がズキンと痛んだ。
手を離された時、心が粉々に砕けてしまったはずなのまだこの胸は痛みを止めない。
粉々になっても、小さなカケラであっても心が残っていれば痛むのだと初めて知った。
でもそんな事を知っても一体何の足しになるのだろう?もうこれ以上の悲しみはいらないのに。
ジゼルは頭の上に振りかかる砂埃を払いながら唇を噛んだ。
わかっていたのに、ずっとこの優しさは偽りだと思ってきたのに……
愚かな私はこの期に及んで偽りの優しさを本気で信じてしまった。
情けない。バカみたい。
私は本当にバカみたいだ。
ジゼルはゆっくりと立ち上がった。
髪に絡まっていた細かい漆喰のかけらがコロコロと床に落る。体が思うように動いてくれない。手も脚も心も震え感覚も麻痺し、一切何も聞こえない。
とても静かで孤独。
この先私はこの世界で生きて行くんだ。
……ここからどこに行けばいい?
この孤独から抜け出したいと願っていたけれど、結局出口を失い永遠に一人彷徨うことになってしまった。私の帰る場所はどこにもない。生きる場所もどこにもない。
ジゼルは今、生きているのか死んでいるのかわからないほど全ての感覚がなくなった。
全ての景色がモノクロに見える。
私は今からどうすればいいのだろう?
ジゼルは立ち上がり壁に手を当て震える体を支えた。
ああ、そうだ、手を離されたくらいでショックを受けている姿を見せてはダメだわ。
いつものように、
私は大丈夫です。
怪我もありません。
気にしないでください。
一人で帰れますから。
そう言って微笑まなきゃいけない。
私が出来ることはそれくらいでそうしなければならないのに。
なのに、ほんの一メートル先にいるロラン様とシャルロット様を見て涙が……止まらない。
泣いてはいけないと思えば思うほど堰を切ったように涙がこぼれ、取り繕うこともできないほど二人の姿がぼやけた。
きっとこんな私を見て滑稽に思っているわ。
偽りの優しさを信じていた悪女が泣いているなどあまりに……可笑しいから。
ジゼル・メルシエは立場を弁えずロラン・ジュベールに愛されていると思い込んだ馬鹿な女。この悪女は王国一の身の程知らずで恥知らずな女だと明日の新聞の一面を賑わせるわ。
「フフフ、」
ジゼルは自嘲気味に笑った。
あなたを愛する事はないとハッキリと言われたことを忘れ、期待をし、偽りの優しさを、ロラン様の愛を信じた滑稽な悪女だと。
「ウッ ヒック」
嗚咽が漏れる。こんな風に泣くなんて情けない。ジゼルは嗚咽を堪えようと口元に手を当てた。
ロラン様はきっと呆れているかもしくは焦っているわ。悪女の手を離してしまったと。
折角ここまで演技してきたのに、この土壇場でやってしまったと。
ジゼルはゆっくりと歩き出そうとした。だが足がおぼつかずふらつきその場にしゃがみ込んだ。
どうしよう、もう二度と立てない気がする。立つ気力さえ無くなってしまった。
冷たい床に両手をつくと同時に嗚咽が漏れた。
「うっ、ふっ、」
ポタポタと両手に涙が落ちる。
もう立てない。
もう我慢できない。
もうこれ以上笑えない。
私の本当の気持ち、この誤魔化すことの出来ない悲しみの涙を見せてしまった以上私はロラン様の側にはいられない。
ジゼルは涙をぬぐいロランを見た。
ロランは魂が抜けたように呆然と立ち尽くしジゼルを見つめていた。ジゼルと目が合うとロランは我に返ったようにジゼルの名を叫んだ。
「ジゼル!!」
ロランは言葉と同時に駆け寄ろうとした。しかしシャルロットがロランを掴み離さない。まるで戯れあっているようなその様子を見つめていると自分だけが違う世界にいるように思えた。
ロランに初めて名前を呼んでもらえた喜びよりも今は悲しみが勝る。今更名前を呼んでくれても思い出にすらならない。
「ジゼル!!違う、誤解するな!私は……ウッ……」
「ロラン!ああ、私のロラン」
シャルロットがロランの言葉を遮る。
ロランは取り乱したように喉元を押さえシャルロットを押し退けようとしている。まるで演劇を見ている気分だ。
もう何も見たくない。
ジゼルは目を閉じた。
「うっ、うっ」
涙が止まらない。
結界が無くなった今、頭上からパラパラと細かい外壁が落ちてくる。上空にドラゴンはいない。静けさの中外壁の崩れる音とジゼルの嗚咽だけが響いている。
「ジゼル!私の、私の言葉を聞いてくれ!!」
ロランは叫んだ。
その声を聞きジゼルは目を開ける。ロランの声はジゼルの心に響く。だが今更なんだというのだ。
ロランはジゼルに向かって手を伸ばす。だがその胸にいるのはシャルロットだ。
「……」
もうそんな優しさはいらない。もう見たくない。
ロラン様、もう良いのです。
ジゼルは首を横に振り俯いた。
私は選んでもらえなかったのだから、もうその手を掴む事は出来ない。
「ロラン!城の外壁が崩れるわ、防御魔法を!!」
シャルロットが叫んだ。
ロランは防御魔法を唱えながらシャルロットの腕を振り払った。だがシャルロットはロランにしがみつく。
「パシッ」
ジゼルの目の前に結界ができた。ジゼルは結界の外にいる。
これが答えなのだ。
ロラン様は私に消えて欲しいと思っているんだ。
ジゼルは再びゆっくりと立ち上がった。身体中の血の気は引き全ての熱が消えたように感じた。先ほど灯った心の明かりも今は暗闇に変わった。
これほどまでに私は嫌われていた。こんなことをしなくても私はここから出て行くのに。
追い打ちをかけるこの状況にジゼルは口に手を当て嗚咽を堪えロランに背を向けた。
「干渉?!誰だ!…ああジゼル!すぐに……」
ロランはシャルロットを押し退けようとし、ジゼルに向かって手を伸ばす。
「ジゼル!この手を掴め!結界などどうでも良い!ジゼル!!お願いだ!ジゼル!行くな!」
ジゼルは振り返りロランを見た。ロランの手を掴めば結界が崩れる。
選んでもらえないジゼルがその手を掴んでも、もう前のように笑顔を作る事ができない。
ロランが今更何を言ってもジゼルの心は閉ざされた。
生きる希望を失ったのだ。
神殿も、契りも全てを放棄し、全てを諦める時が来た。
悪女と呼ばれる私が悪女らしく去る時。
残りたったの十日。
けれど、その十日を過ごす勇気も気力も堪える力も失った。
この結婚が終わる日を迎えることは私にはできない。
私はもうここにはいられない。
違う、もうここに居たくない!
このまま消えてしまいたい!!
「ガガガッ!!」
息が詰まるような静寂を切り裂くように轟音が鳴り響いた。それと当時に細かい砂埃が雨のように降り注ぎ上を見上げると巨大な外壁が剥がれ轟音と共に落ちてきた。
ジゼルは自分を守る魔法が使えない、
避ける時間もない、
ああ、死ぬんだ……
ようやくこの苦しみから解放される。
ジゼルは顔をあげロランを見つめた。
ロランは涙を流しジゼルの名を叫んだ。
「ジゼル!!掴むんだ!!お願いだ!ジゼル!!ジゼル!!」
ロラン様、何故泣くの?もういいの。もう、いいのよ。
ジゼルはロランに言った。
「……ロラン様、さよなら」
「嫌だ!ジゼル!ジゼル!ジゼル!!」
ジゼルは目を閉じた。ロラン様の声が……聞こえる。
あなたのいない何処かに、生まれ変わりますように。
巨大な外壁がぶつかる瞬間、ジゼルの周りに光が集まった。
真昼の太陽のような眩い光はジゼルを包み込みその後ゆっくりと消えた。
静かな夜の城。
崩れた外壁の近くにジゼルの外套だけが残っていた。
ジゼルは忽然と消えた。
『この結婚が終わる時』を読んでくださった皆様
【第一章最終話 あなたのいない世界】を以て第一章は終了いたします。
誤字脱字、拙い表現の多い中、読んでくださる方々、感想、誤字脱字報告を下さる方方々のサポートのおかげでようやくここまで漕ぎ着けることができました。
心より感謝申し上げます。
物語を書くという崇高な作家様方の懐をお借りして書いている私ですが、
皆様と関わり深い感銘を受けまたその経験を作品に還元したいと思っております。
【第二章】は【第一章】の答え合わせが出来るような形になっております。
(大抵は出来るはず)
「ロランの気持ち、思い、行動」を知っていただければ嬉しく思います。
第二章「ロラン・ジュベール」
皆様に再びお会いできますように、、。
大きな感謝を込めて
ねここ