その手を離す
「ロラン様、あの記事に書いてあった偽りの優しさなどもういらないのです。安心して下さい」
ジゼルは手を握るロランに向かって穏やかな口調で言った。本当は泣きたい。けれどここで感情を見せてしまえば今の言葉の説得力が欠けてしまう。感情を堪え穏やかに伝えればその言葉を信じてくれなくとも警戒は解いてくれるかもしれない。そして無駄な優しさを向けなくて良いとわかればこの手を離すだろう。
でも、そんな思いと裏腹に嬉しかった日々が脳裏に浮かぶ。胸がつっかえたように苦しくなる。あの記事のことを知っていたと告白した今、もう二度とあの日々は訪れない。
ジゼルは目に力を入れ込み上げてくるものを抑え俯いた。
だが、ロランは握っているジゼルの手を引っ張り自らの胸にジゼルを引き寄せた。
「え?ロラン様?!」
ロランの胸の中に引き込まれたジゼルは目を丸くしロランを見上げた。肩を抱くロランの手に力が入る。
一体どうなさったの?!なぜ?
ロランはジゼルを胸に抱きしめながら先ほどと同じ低いトーンでシャルロットに言った。
「……あの記事?妻が言ったことの意味はわからない。だがシャルロット、私は妻の側を離れることはしない」
ロランの揺らぐことのない意志を表すその言葉にシャルロットは言葉を失い茫然と二人を見た。
一方ジゼルはロランの胸の中で混乱していた。
なぜ?どうして?私が言ったことの意味がわからないってどういうこと?私の側を離れない?
まさか、
ロラン様は本気で私を選ぶつもり?
ジゼルはまじまじとロランを見つめた。ジゼルの瞳は驚きと戸惑いに揺れている。
信じられないことが起きたのだ。動揺しない方がおかしい。
ロランはそんなジゼルを見て目を細めシャルロットに視線を移した。
ガガガッ、ドーン!!
城の外壁が崩れる音がした。ドラゴンに攻撃されたその場所は先ほどロランが人々を避難させていて建物以外の被害は無い。今、城の外にいるのはここにいる三人だけだ。ジゼルはその音に驚き頭を下げ体を縮めた。ロランはジゼルを抱きしめる腕に力を込めジゼルの耳元で囁いた。
「心配しなくても私がいる」
ジゼルは耳元で囁いたロランの優しい口調に思わず顔を上げた。先ほどから信じられないことが連続で起きている。
シャルロットはロランの言葉と行動に両手を震わせ涙ながらに言った。
「……何故?ロラン。どうして?……そもそもなぜここにジゼルはいるの?一体何が?」
シャルロットはジゼルを悪女だと言った。その悪気ない言葉にジゼルは息を呑んだ。シャルロットのジゼルに対する本音を見た気がした。あのお茶会で聞いたシャルロットの言葉、ジゼルを悪者にしたような言い方、あれは意図的な言葉だったとようやくわかった。ジゼルはシャルロットの心の闇に触れた気がし鳥肌が立った。
「シャルロット!その言い方はやめろ!出かけていたら城が攻撃された。魔法が使えない妻を置いて行くわけにはいかない。そばで守るために連れてきた」
「何を言っているの?ロラン!嫌よ!!絶対にジゼルなんかにあなたを渡さない!」
シャルロットはロランの言葉に即座に反論しロランの腕の中にいるジゼルを睨みつけた。
先ほどからロランはシャルロットからジゼルを守ろうとしているように見える。その言葉、その行動にロランの気持ちが表れている。この二人に何があったのかわからない。だがジゼルはそのロランの態度に言葉に心の明かりが灯るのを感じた。
……もしかしてロラン様は本気で私を心配し本気で守ろうと思ってくれている?
悪女と言ったシャルロット様の言葉を否定し、私を妻だと言い続けてくれている。
ジゼルは噛み合わない二人を見て確信しつつあった。
今まで嘘だと思っていたロラン様の態度は本当だったの?
あの優しさあの態度は本当だったの?
あのキスも全てロラン様の本当の気持ち?
あの記事は嘘なの?
本当に……ロラン様は私を選ぼうとしている?
ジゼルは初めてロランの言葉を、その態度を信じ始めた。
ロランは何も言わずジゼルを抱き寄せシャルロットを睨むように見ている。
「嫌よ、ロラン……嘘だと言って?」
シャルロットは涙を流し縋るような声を出しロランに言った。
「シャルロット、嘘じゃない。これが現実なんだ、ようやく理解したか?」
ジゼルはその言葉を聞き雷に打たれたような衝撃を受けた。
嘘?ロラン様は本当に私を選ぼうとしてくれてたの?ようやく理解した?
以前からシャルロット様に言っていたの?
……私を選ぶと!!
ジゼルは目に涙を浮かべロランを見上げた。ロランはジゼルの額の傷にキスをし優しく微笑み抱き寄せる腕に力を入れた。
「ロラン?!本気なの?どうして?なぜ?!」
シャルロットは半狂乱になりジゼルにつかみ掛かろうとした。しかしロランがジゼルを守るように抱きしめシャルロットを躱す。
ジゼルは夢を見ているような気持ちになった。今日までロラン様が向けてくれた優しさは全て本物だった。今目の前で起きている現実は夢ではない。
エミリーが言った通りロラン様は私を選んでくれた!!
ジゼルはロランの胸の中で込み上げる喜びを噛み締めた。辛い日々が報われた。こんな私にようやく居場所ができた。幼い頃から憧れ続けた人がいる場所が私の居場所になった。
でも、シャルロット様はどうするのだろう?ロラン様は王族のシャルロット様にそんなことをしても良いの?シャルロット様の気持ちを考えると胸が痛む。
本当にロラン様の隣にいても良いのだろうか?
ジゼルはロランを見上げた。ジゼルの視線に気がついたロランは目を細め「何も心配はいらない」と言った。
ロランの力強い言葉に少し安心する。
この夢のような現実に目の前の景色が滲んできた。
シャルロットはロランの名前を呼び続けている。
「ロラン、なぜ?まだ私を疑っているの?ロラン嫌よ!そんな見窄らしい女のどこがいいの?!戻ってきて!」
シャルロットは鬼のような形相でジゼルを睨み言った。
「この悪女!!私のロランをたぶらかして絶対に許さない!!どんな手を使ってもお前を追い詰めてやるわ!」
シャルロットが感情を抑えきれず叫んだ時、上空に再び大きなドラゴンが現れた。
ドラゴンはジゼル達の上空を旋回し始めた。その波動で防御魔法がかけられていない城壁の屋根が崩れている。轟音と共に大きなレンガが地面に叩きつけられ砂埃が上がる。
幸いなことにジゼルたちがいる場所はギリギリロランの防御魔法がかかっている。
ジゼルは上空を旋回するドラゴンを見つめた。そのドラゴンは怒りと悲しみに心を支配されているように見える。
何故怒っているの?どうしたの?
そう思った時旋回をしていたドラゴンと目が合った。ドラゴンはジゼルを見て目を細め、その次の瞬間、シャルロットを目指し急降下してきた。
突然突風が吹き荒れ、台風のような風圧に飛ばされそうになったがロランがジゼルを守った。しかし目の前にいたシャルロットが風圧に耐えきれず結界の外に飛ばされそうになった。
「キャー!!」
シャルロットが体勢を崩した!
「しまった!シャルロット!!」
ロランはジゼルから手を離しシャルロットを抱き寄せた。ロランに手を離されたジゼルは吹き飛ばされた。
「ああ、ロラン!やっぱり私を選ぶのね!!!」
シャルロットは喜びの笑顔を浮かべロランを抱きしめる。飛ばされたジゼルは近くの外壁にぶつかり倒れ込んだ。体を強く打ったジゼルは朦朧とする意識の中でエミリーの話を思い出した。
「本当に大切な人の手を掴むそうです」
この結婚が終わる時 を読んでくださっている皆様へ
次話をもちまして第一章が終わります。
もどかしいお話にお付き合いくださって本当にありがとうございます。
いつも感謝しております。
ねここ




