逃げ出したい
目を開けるとジゼルは城の中にいた。
燃え盛る炎の中、ロランは城に防御魔法を使った。
一体何が起きているの?
ジゼルはこの惨劇に体を震わせながらロランを見た。ロランは「心配するな」と言って優しく微笑みジゼルの手を握った。
ロラン様がいてくれる。
その安心感と手の温かさに体の震えはおさまった。ジゼルの様子を確認したロランはその手を引きゆっくりと城内を移動し始めた。
ごうごうと燃え盛る炎にパニックを起こした兵士や使用人達は右往左往していたが、ロランが水の魔法で炎を鎮火し「もう大丈夫だ」と声をかけた。ロランの声に彼らは冷静さを取り戻し、それぞれ持ち場に戻り始めた。ロランはさらに移動し、各箇所に様々な指示を出しジゼルをつれて城の被害状況を確認していた。
ジゼルは人々の反応が気になっていた。ロランにはシャルロットがいる。違う女と手を繋ぎこの城内を歩き回るロランの姿を見てどう思っているのだろう?
しかし城で働く人々はジゼルを見て一瞬驚くが特段気にしていないように感じた。恐怖で動けなくなった貴族の女を助けているように見えているのだろうか。誰もジゼルをロランの妻だと思っていない様子だ。悪女だと言われ散々新聞に顔を晒されているはずだが、誰もジゼルを気にしていない。
その理由は明確だ。
ここにはシャルロットがいる。そんな場所にロランがジゼルを連れてくるなど彼らは微塵にも思わない。
それほどまでにロランとシャルロットの関係は強固だと分かった。
悪女と言われた方がまだマシだと思う日が来るとは。ジゼルは改めて自分の立場を思い知った。
「ロラン様!!シャルロット様は無事でございます!広間に避難しております!」
ロランの姿を見た騎士が駆け寄りロランに言った。ロランは何も言わず頷きまた移動し始めた。
ジゼルはシャルロットの存在の大きさをまた思い知る。この騎士もまさかあのロランが妻と手を繋いでここにいるなど微塵にも思ってもいないのだ。
会いたくない!シャルロット様とロラン様の姿を見たくない!
ジゼルはあのお茶会で見た二人の姿を思い出し心臓が冷たくなった。
手が震えそう、だけどロラン様に繋がれている今、感情を表すわけには行かない。今感情を表してしまったらロラン様が困ってしまう。今こそ空気のような存在にならなければならない時。
堪えるのよ!
ジゼルは頬の内側を噛み、痛みで全ての感覚と感情を麻痺させた。
シャルロット様に会う前に……ここから立ち去ろう。
ジゼルはこの城に来て改めて思い知った。ジゼルがいるべき場所ではない。この城もロランの隣も。
考えなきゃ、心が傷つく前にここから出てゆく方法を。
ロラン様はきっとこのままシャルロット様がいらっしゃる広間に行く。一緒にいたら嫌でも会ってしまう。こんな状況で会いたくない。
ロラン様がどう考えているのかわからないけれど、私は先ほどロラン様がキスして下さったその思い出だけで十分だからシャルロット様に会わず残りの日々を終えたい。もうこれ以上傷つきたくない。
この城からいますぐに離れたい!
でも、どうやって?
どのタイミングで?
ジゼルは考えた。
ああ、そうだ、ロラン様が広間に入るタイミングでここから出よう。二人の姿を見ることなくここから出て行けるのはそのタイミングしかない。
でも、外に出たらドラゴンがいるかもしれない……だけど、不思議と怖く感じない。
怖いのは、見たくないのは、逃げたいのはドラゴンからではないわ。
ジゼルは決心した。
だが、予想と違いロランはすぐに広間には向かわなかった。城の被害状況を確認しながら進んでいる。特に焦っている様子もない。
なぜロラン様はすぐにシャルロット様の元に向かわないの?
ジゼルはロランのことがわからなくなった。愛する人の無事を聞いてもすぐに自分の目で確認したくないのだろうか?
ジゼルは先ほどのキスと今のロランの行動に抱いてはいけない希望を抱き始めた。だが、いつもその希望は打ち砕かれる。残り十日、希望を持たず平穏に終われば傷つかないで済む。臆病だと思うけれど、これ以上辛い思いをしたくない。やはり希望は抱かずここから立ち去ろう。
「ロラン!上空のドラゴンはなぜか攻撃しないで旋回している」
ロランと同じ魔法使いだろうか?防御魔法が施されているローブを羽織った男性がロランを見つけ話しかけた。
「グレアム、城の被害状況は大体分かった。襲撃の原因も見当がついている。引き続き警戒してくれ。だが恐らく……ドラゴンは攻撃しない」
ロランはジゼルを見ながらグレアムに言った。
「なるほど……そうか、分かった。じゃあ!」
グレアムはジゼルに頭を下げ走り去っていった。
あの方はなぜ私に頭を下げたの?私が誰なのかご存知なのかしら?ジゼルは走り去ってゆくグレアムの後ろ姿を見つめ不思議に思った。
それからもロランは広い城の中を移動し兵士や魔道士と言葉を交わしながら城内を見てまわっていた。一方ジゼルはいつでもここから抜け出せるように気持ちを整え結んである靴の紐を緩めた。
そしてようやくロランはシャルロットの居る広間に近づいた。
この中にシャルロット様がいる。
複雑な心境になる。思い出の夜になるはずだったロランとの散歩、マグノリアの木の下でのキス、このまま終われば一生一人で生きて行けるほどの思い出となったはず。
……期待してはいけないけれど、あの時ロラン様は何か言おうとした。何を言おうとしたのか今すぐにでも聞きたい。もしかしてこの手を離さないで良いと言ってくれるかもしれない。だけど、私は自分から聞く勇気が持てない。だから傷つく前に何も聞かずここで別れたい。そして残り十日を穏やかに過ごしたい。
ロラン様ごめんなさい。私はここで帰ります。
ジゼルはロランの手を離し言った。
「あ、ロラン様、靴の紐が、先にお入り下さい、すぐに追いかけます」
ジゼルはロランの顔を見ないでそのまましゃがみ込んだ。ロランは「……分かった」と言い広間に入って行った。
今だ。
ジゼルは近くにいる兵士にロランへの伝言を伝え、踵を返し広間に続く大きな廊下を駆け抜け、城のエントランスを抜け城前広場につながる外階段を降り始めた。
急がなきゃ、一刻も早くここから出なきゃ。
「あ!」
ジゼルは立ち止まった。目の前にロランの防御魔法が見える。城全体を覆う巨大な防御魔法、これに触れたら上空を旋回しているドラゴンに攻撃されてしまう!
どうしよう!!このまま進むと防御魔法を解除してしまう!!
出られない!
出られないならどうすれば……ジゼルが来た道を振り返った時、空間が歪みロランが現れた。
「何をしている!」
ロランは強張った表情を浮かべ咄嗟にジゼルの手を掴み城の中に戻そうとした。有無を言わせないほど強引にジゼルを城内へと引っ張って行く。ロランは怒っている。
だけどジゼルはシャルロットに会いたくない。残り十日、今更二人の姿を見たくないのだ。これ以上悲しい思いをしたくない。どうかこのまま帰らせてほしい。
ジゼルは城内に入ろうとするロランに抵抗するように歩みを止めた。
「ロラン様、私は大丈夫です。ほんの一瞬防御魔法を……私はここから家に戻りますから」
「お前は何を言っている?!今ドラゴンから攻撃を受けているんだ!しかもあのドラゴンは理性を失いつつある危険なドラゴンだ!それにお前が怪我をしたら……」
「はい、分かっています。だけど攻撃が魔法であれば私には効きません。ここでロラン様の足手まといになる訳に行きません。それに……」
「ロラン!!」
シャルロットがロランを追いかけ広間から走ってきた。だが、ロランに手を引っ張られているジゼルを見て立ち止まった。
ジゼルもシャルロットを見つめた。




