三日目の朝
ジゼルは広いベッドを見つめため息をついた。ロラン様はどこにいってしまったのだろう?
起き上がりエミリーに支度をしてもらい朝食を取る。その後部屋に戻るとエミリーが両手一杯の手紙やカードを持ってやってきた。ロランのいるこの別邸にはたくさんの手紙が届く。ジゼルはそれを振り分け大きな封筒以外をエミリーに渡した。エミリーはそれを持ってロランの執務室に向かった。
ジゼルは手元の封筒を見て、またため息をついた。
この封筒は変わらず届けられる。だが中を見ることは無い。
昼食後、医者が訪ねてきた。早速ジゼルの傷を確認する。
「ああ、傷の具合は良好ですね、今日は抜糸をしましょう」
医者は手慣れた様子で抜糸をした。少し緊張したが痛みはない。ジゼルは肩の力を抜きホッと安堵した。
「ありがとうございました。今は痛みもなく治ってよかったです」
医者はジゼルの言葉に笑顔で頷きながら少し眉尻を下げ言った。
「後は傷跡がどこまで消えるかですね……あ、ジゼル様、先日は余計なことを申し上げてしまい……まさかあんなことになるとは。あ、これも余計なことですな。ではまた。あ、新聞は机の上に、では失礼」
医者は少しバツの悪そうな表情を浮かべ頭を下げた。
あんなこと?新聞?ジゼルは意味がわからずポカンとしながらも医者に頭を下げた。医者は額の汗をぬぐいながらエミリーと共に部屋を出ていった。
あの医者は一体何を言っていたの?余計な事?何が何だかわからない。でも、ようやく抜糸が終わり一息つけた。
ジゼルは鏡の前に立ち顔にかかる髪を手で押さえ傷跡を眺めた。額にある五センチほどの傷跡はまだ赤みが残っている。普通の令嬢なら泣き叫ぶほどの傷跡だが、ジセルはその傷を見てこれが残っても問題はないと思った。この先誰かに嫁ぐわけでもないし、誰かと恋愛をする事もない。
それよりも抜糸が済みようやくあの事件から解放されたように感じた。あの日以来どこかモヤモヤした気持ちをずっと持っていた。それが今日抜糸と共に取り除かれた。これ以上誰にも心配かけなくてもいい。清々しい気分だ。
このまま平穏に、誰にも会わず残りの日々を過ごそう。
ジゼルは鏡を見ながら笑顔を作り気持ち軽やかに部屋を出ようとした、が、ふと机の上に置かれた新聞が目に入った。医者が言っていた新聞?頼んでもいないのに?
怪訝な顔をし新聞を見つめる。
ロラン様が頼んだのだろうか?
ジゼルは新聞を手に持ち何気なく開いた。一枚の紙が挟んである。そこには号外と書かれたロランとシャルロットの折り込み記事が入っていた。
見たくない!
そう思いつつも立ち止まり号外を読む。封筒を見ずに過ごしていた日々があっけなく崩れる。心の奥に抑え込んでいた知りたいと言う欲求を止めることができなかった。
そこには昨日のロランとシャルロットのことが書かれていた。
二人はロランの離婚後に一緒に住む邸宅を視察、その足でジュベール公爵家に行き結婚の日程など具体的な話をした。詳細を決めるため二日間にわたって話し合われたようだと書いてあった。
……ああ、だから帰ってこなかったんだ。
でも、私との離婚後に住む邸宅を視察?公爵家に住まない?少し違和感を覚える。だが何か事情があるのだろう。
号外を持つ手に力が入る。
ジゼルはそこに描かれている二人の姿を見つめた。幸せそうに抱き合う二人。
約束した契りを取りやめ慌てて出てゆくほど……ロラン様にとって大切な存在。
先ほどまでの明るい気持ちは引き潮のように引いて行く。だが、以前のように泣くことも震えることもない。記事の内容はショックだが心が磨耗し以前のように激しく動揺することはなくなった。それに心のどこかで想像していたことでもあった。
今日までの事を思い返せばわかっていた事。
想像できる喜びも悲しみも慣れてくると心を動かすものではなくなるのだ。
ジゼルは号外を戻そうと新聞を開いた。
「我が祖国カパネル王国と敵対するブルレック王国、国境付近で戦闘!!開戦か?!」
大きな見出しに息を呑んだ。このカパネル王国と、隣国のブルレック王国が開戦?
一面には燃える国境付近の様子が掲載されている。
戦争?!
ロランは魔法使いだ。必ず戦争に参加する。しかも黒魔法使いは攻撃を担うため最前線にいる。
ジゼルは心臓が冷えてゆくのを感じた。
戦争……ロラン様が最前線で戦う?
ロラン様を失うかもしれない。怖い、そんなことが起こったら生きていられない。
想像していなかった現実に足が震え、いても立ってもいられなくなった。
どうしよう、私に何ができる?
ジゼルは右往左往したがふと気がついた。ロランの能力はジゼルが思う以上にある。簡単に最上級の召喚魔法が使え、連続で間髪を容れず質の違う白魔法まで使える人だ。彼以上の魔法使いはいないという証拠はジゼルが彼の妻になったことで明確だ。それにこの世にただ一人の大魔法使い。誰もロランに敵わない。
それでもやはり心配する気持ちが湧き上がる。万が一ということもある。けれど冷静になり考えると、ロランは開戦したことすらジゼルに話していない。話す理由も必要も無いと思われているのだ。
言い換えればロランは君主の娘シャルロットを守るために戦っている。ジゼルのことなど思い浮かべるわけがない。それに、ニ日間家に帰らないことなどロランにとってどうでもいい事なのだ。
ロランの頭の中にあるのは愛する人と一緒になれるその日のことだけ。そのために戦っている。
ジゼルは新聞を折り畳んだ。
私が出来ることは心配する気持ちを心に秘め、出来るだけひっそりと邪魔にならないように生活すること。
常に嬉しそうな笑顔を浮かべロランを安心させることがジゼルの唯一できることだ。
部屋に戻り膨れ上がったカバンに新聞を入れた。
こんな号外が挟んである新聞をロラン様に見せたくない。
ごめんなさい。これはお渡しできません。
ジゼルは唇を結びクロゼットを閉めた。