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【書籍化決定】この結婚が終わる時  作者: ねここ
第一章 ジゼル・メルシエ

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ある夜のこと


「……深く考える必要のない会話だ。答えなくても良い」

 

 ロランは口籠るジゼルを見て穏やかな口調で言った。

 

「……す、すみません」

 

 ジゼルはその口調を聞き体に力が入った。何気ない会話ですら偽りの言葉として捉えてしまう。適切な返答を瞬時に選ぶことができない。とうとう会話すらできなくなった。

 ……けれど。

 思い返せば今までもスムーズに会話ができたことがない。それに気がつくとこれで良いのだと思い顔を上げた。

 

「ハァ……」

 

 ロランはそんなジゼルを見てため息を吐き席を立った。


 ロラン様のため息……。

 

 ジゼルはそのため息を聞いてホッとした。今までだったらため息を聞くと悲しみに唇を噛んだ。けれど今このため息はロラン様の本当の気持ちで嘘じゃないと思える。先ほどの直球の冷たさも今思えば偽りない冷たさだ。そのままを見せてくれる方がよほどマシなのかもしれない。優しい言葉よりも冷たい態度にホッとする私もずいぶんおかしくなってしまった。

 とにかく、偽りに慣れなきゃ。ロラン様がこれ以上嫌な思いをしないで済むように。


 

 

 ……ある夜のこと。食事が終わりロランは仕事があると執務室に行き、ジゼルは部屋に戻り本を読んでいた。とても静かな穏やかな夜。窓から入り込んでくる心地よい風は優しく頬を撫でる。

 

 気持ちがいい。

 ジゼルは本を閉じ目を瞑った。先日の封筒を鞄に押し込み、何事も無かったように振る舞う日々。ロランの偽りの優しさに内心傷つきながらもこうして静かな夜を過ごせることに感謝していた。

 

 小一時間ほどし、ロランが戻ってきた。出迎えるためソファーから立ち上がろうとすると制止するように片手をあげジゼルに話しかけてきた。


「お前、海を見たことはあるか?」

 

 ロランは穏やかな表情を浮かべジゼルに言った。

 ジゼルは返事をしようと口を開いたがロランを見て言葉に詰まる。

 泣きたくなるほどの優しい瞳。

 

 あの日からずっと何も知らないふりをしロランに接している。相変わらず言葉数は少ない、でも優しさがある。それが偽りだとわかっていても信じたくなる気持ちを否定できない。けれどこれ以上傷つきたくないと、それについてあまり考えないようにしていた。


「海……いいえ……見たことはありません」

 

 ジゼルは悲しさに詰まる気持ちを抑え、ロランに微笑んだ。


「……そうか……」


 言葉と同時にロランはジゼルに歩み寄り目の前に立った。

 驚き顔を上げるジゼルの腕を掴みソファーから立たせる。突然の行動に声が出ない。ロランはそのまま強引にジゼルを抱きしめ移動魔法を使った。

 考える隙も与えないロランの強引な抱擁に胸が高まる。このまま時が止まれば良いのに、そう思い強く目を閉じた。


 

「ザー、ザザー」


 波の音が聞こえる。ジゼルはゆっくりと目を開け目の前に広がる夜の海を見た。


 これが海。


 緩やかな風が潮の香りを運び鼻腔をくすぐる。

 これが海の香り?生命の源である海の香りは生々しい命の香りがする。

 

 ジゼルは初めて見る海を目の前にしその存在に圧倒された。

 

 ロランは目を輝かせるジゼルを見て抱きしめる腕を緩めた。


 海、海へ、海に触れてみたい。


 月夜に浮かびあがる海の色は深い青色、水面の波は月の光を受け白く優しく光っている。足元の砂浜は柔らかく足を包み込み、早く前に進めというように足を捉える。ジゼルはこの大自然の美しさに鳥肌が立った。


 ロランから離れ導かれるようにゆっくりと海に近づいた。


 ロランはその場に止まり黙ってジゼルを見つめている。


 ジゼルは波打ち際まで行き、靴を脱ぎドレスの裾を持ち上げそっと海に入った。



「冷たい……だけど、気持ち良い」


 海岸に打ち上げる波を見ていると不思議な気分になった。懐かしいような切ないような。

 大自然の鼓動を感じさせるように波打つ大きな海。全てを包み込んでくれる母のような海を見てジゼルは肩の力が抜けた。


 空気のように過ごそうとしていたのに大好きな人を目の前にし、いつの間にか抱いてはいけない欲が出てしまった。見窄らしい私に衣食住を与えて下さっただけでも十分感謝しなければならないのに。


 ジゼルは波打ち際にしゃがみ文字を書いた。


 ありがとうございます。


 波はその言葉を懐に入れ大海へと運ぶ。それを見届けたジゼルは目を細めた。

 私の気持ちが溶け込んだ海。


 ジゼルはもう一度心を込め砂に文字を書いた。

 

 ロラン様 


 ありがとう


 ゆめみたいです


 砂に書いた文字が三度目の波に溶けた。別れのキスをするようそっと足元に触れ、その後ゆっくりと大海へと去っていった。その様子は優しくもあり、力強くもあり、海はジゼルの気持ちを受け入れたかのように何度も足を優しく撫でた。


 この海には沢山の人の想いが溶け込んでいるのだろう。喜びも悲しみも。

 おおらかで力強く見る者の心の琴線に触れるこの大きな海。

 そんな海を見ることができて良かった。

 

 私の偽りない感謝の気持ちがいつか雨となってロラン様の心に降り注ぎますように。

 たとえこのサプライズが嘘であっても、私は心からロラン様に感謝をしている。

 


 ジゼルはそのまま海岸線を少し歩き振り返りロランを見た。

 

 ロランと目が合う。その眼差しに心が浮き立つ。ロランは目を細め優しくジゼルに頷いた。


 ジゼルは嘘だとわかっていても今向けられたロランの優しさを素直に受け取ろうと思った。

 少し躊躇しながらもロランに向かって笑顔で会釈し、連れてきてくれたことに感謝をした。

 なぜ突然海に連れてきてくれたのかわからない。だけど生まれて初めて心の底からの喜びと、感謝の笑顔をロランに向けることができた。

 

 ジゼルはロランの元に戻る途中、足元に転がっている貝殻を見つけた。この貝はどこに行ってしまったんだろう?家を出てどこに?


 ジゼルはこの貝殻を持って帰ることにした。ロランと離婚したジゼルに帰る家は無い。


 まるで自分のように感じた。

 

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