偽りの優しさ
お茶会から一週間が経った頃、ジゼル宛に封筒が届いた。
中身は見なくてもわかっている。新聞の切り抜きだ。
見たくないと思いつつその内容が気になった。お茶会での出来ごとが書かれているだろうか?それとも、その後のロランとシャルロットの様子についてだろうか?
ロランはあの日のことを一切話さない。だからジゼルにはその後のことはわからない。見たくないと思いつつも、ロランの態度が変わった本当の理由、その手がかりがあればと封筒を手にした。徹底してジゼルに冷たかったロランが急に態度を変えるなど不自然だからだ。その優しさを信じたい、けれど信じる根拠が何一つ無い。
ジゼルは思い切って封筒を開けた。
最初に目に飛び込んできたのはシャルロットとロランのキスシーンが描かれた切り抜き。そこには「本当の愛はあなたに捧げる」と書かれていた。
あの日、ロランはジゼルを連れ帰ったあとローブを羽織って出かけて行った。その絵にも同じローブが描かれている。
ジゼルは唇を固く閉じその切り抜きをテーブルに置いた。
封筒に入っている切り抜き全てを取り出しテーブルに並べる。どの切り抜きも角度は違うがキスする二人の姿が描かれている。新聞社が違っても内容は同じ。見なければよかったと後悔するが、見なければ起きもしない奇跡を期待し、もっと悲しい思いをする。
魂が抜けたようにテーブルに広げた切り抜きを見つめていると、ジゼルという言葉が目に飛び込んできた。それを手に取る。インタビュー形式の記事のようだ。そこにはあの日起きたことが書かれていた。当然の如くジゼルは悪役、シャルロットは被害者で悪女に背中を押されたと書いてある。想定内の内容。だが、その次の文章を見てジゼルは息が止まった。
「悪女がシャルロットに危害を加えた理由、それは私が冷たく接したからだ。残り三ヶ月、今回のような事件が起きないとも限らない、不本意だが悪女に優しく接しようと決めた。優しくさえすれば大人しくしているだろう。これはシャルロットを守るための偽りの優しさだ。愛する人はシャルロットだけ」
切り抜きを持つ手がブルブルと震えた。
夢のような数日が音もなく崩れてゆく。あの言葉も、あの温かさも何もかもが嘘だった。騒ぎを起こした原因を尋ねられることなく、怪我をした理由すら触れられなかった。なぜだろうと思っていたが、怖くて聞けなかった。もしロラン様が私を信じてくれなかったら、そう考えるだけで立っていられないほど悲しいからだ。
でも実際はその通りだった。
ロラン様は私を信じていなかった。
ジゼルは天井を仰いだ。抱き上げてくれた力強い腕、背中に触れる温かい手、ジゼルを気遣う数々の短い言葉、今でも鮮明に思い出せる。
心を奪われたあの穏やかな眼差しもその全てが偽りだった。
握り締めた両手に力が入る。切り抜きは手の中で握り潰されあの日の喜びと共にクシャクシャになった。
寒々しい心に反応するように血の気は引き、肺は酸素を取り込むことを拒む。これ以上生辛い思いをしたくないと心が叫び体がそれを受け止めている。ジゼルは崩れるようにソファーに倒れ込んだ。
苦しい。奈落の底に落ちてゆくような感覚。
理由のない優しさは存在しないのだと現実を突きつけられた。
「ふっ、うっ……」
嗚咽が漏れる。同時にポロポロと涙が溢れ握った手の上に落ちた。手の中にあるクシャクシャになった切り抜きが涙で濡れ文字が滲む。ジセルはそれをテーブルに置いた。
思い返せばロランは常に真っ直ぐに自分の気持ちをジゼルに伝えていた。愛する人がいる、何も期待しないでくれ、勝手にしろ。気持ちを隠さず真っ直ぐだからこそ、ロランの些細な優しさに喜びを感じられたのだ。
だが今は違う。ロランは何一つ自分の気持ちを言葉にせず優しさだけを向けている。今の優しさは形だけの優しさ。本当の気持ちはどこにも見当たらない。
ジゼルは切り抜きを全て封筒に戻した。涙で濡れた切り抜きもそのまま入れる。
私が世間に疎く新聞を読まないと知っていらっしゃるからロラン様は記者にお話しになったのね。
ロラン様が私を抱き上げお茶会から去ったことも意図を持ってなさったこと。けれど、突然の行動に驚いたシャルロット様に誤解されないようお茶会に戻った時にその理由をお話しになった。それであのキスシーンとあの言葉に繋がる。愛する人はシャルロットだけ。全てが筋書き通り。
あの日私を追い出さなかったのも、ベッドに寝かせたのも可哀想だったからじゃない。
その全ては悪女からシャルロット様を守るため。
全ての辻褄が合った。
私はこの世界でただ一人魔法が使えないだけじゃなく、大魔法使いと呼ばれるロラン様の召喚魔法さえ無効にし、苦しめここまでさせてしまう正真正銘、世界で一番の悪女なのだわ。
ジセルはソファーからずり落ち床にしゃがみ込んだ。
バカな私、本当にバカだ。シャルロット様を愛していると言ったロラン様が純粋に私に優しく接する理由などあるわけがないのに。
涙が止まらない。嗚咽を堪えて泣くことは慣れているはずなのに、今日はその嗚咽が行き場のないこの気持ちを解放してくれる。だから誰もいない今、思いっきり泣きたい。声も涙も枯れるまで泣けば空っぽになった私の心はきっと全てを受け入れられるはず。
この先ロラン様に安心していただけるならば私もこの真実を知らぬフリをして、全てを受け入れ残り三ヶ月を過ごそう。
それがロラン様のためになるのなら。
夜、ソファーで本を読んでいるとロランが部屋に戻ってきた。ジゼルが立ちあがろうとした時、片手をあげ「そのままで良い」と言い、向かいのソファーに腰を掛けた。
出来るだけ顔を隠したい。
先ほどお茶を持ってきたエミリーが充血したこの目を見て心配してくれたけれど本当のことは言えない。悲しい小説を読んで泣いてしまったと嘘をつきその場を凌いだ。あまりにひどい顔だったのかエミリーはすぐに目を冷やしてくれたが、今も少し赤みが残っている。
だがジゼルは思い直した。ロランはジゼルの目が赤いことなど気にする訳がない。たとえ気にしたとしてもそれは偽りの優しさだ。それなら気にされないほうが百倍マシだ。そう考えるとまた泣きそうになる。
だが泣くわけにいかない。出血が止まりガーセがいらなくなった額の傷にそっと触れた。少し盛り上がっている。そこを強く押し、痛みに瞳を潤ませだ。その場を凌ぐ嘘。ジゼルもこれからそんな嘘を沢山重ねていくのだろう。ロランは黙ってその様子を見ていた。
「傷は?」
ロランは顔にかかる髪を耳にかけながらジゼルに話しかけてきた。
ジゼルはロランのその仕草に目を奪われた。伏せ目がちな表情、耳にかけた長い髪は首筋に沿って鎖骨へと落ち、髪が織りなす滑らかな曲線としっかりとした骨格が相まって得も言われぬ色気を感じさせる。
強くて、麗しくて、魅力のある人。そんな人が今、柔らかい表情を浮かべ私を見つめてくれている。
この上なく幸せな時間。
だけど、私に向けられているその全ては、本心じゃない。
「……はい、今触れたら多少痛みはありますが、大丈夫です。ありがとうございます」
ジゼルは出来るだけ自然に、いつも通り答えた。
「……魔法が効かないのは命取りだな。お前よく今まで生きてこれたな」
ロランは片手で髪をかき揚げ、口先だけの感情が伴わないような口調でジゼルに言った。
この口調を聞きハッとする。
これがロラン様の本音。そう、ロラン様は私のことはどうでも良いのだ。
優しさにも傷つくが、直球の冷たさにも心が青ざめる。
どう答えたら良いのだろう?
ジゼルは答えに迷った。
魔法が使えないくせに今日までしぶとく生きていたからロラン様は愛する人と結婚できなかった。ロラン様にとって私は生きていてほしい人じゃない。
どう答えたらその行き場の無い気持ちを鎮められるのだろう?
「あ、えっと……」ジゼルは答えられない。
どんな答えを伝えてもロランの人生の邪魔をしている現実は変えられない。
ジゼルは胸が締め付けられ今すぐに自分の存在を消したいと思った。
そう思うとロランの顔が見られなくなり、テーブルに置いた本を見つめた。