眠れぬ夜
ソファーで休んでいるとロランが帰ってきた。
ジゼルはウトウトとしていたが起き上がりロランを出迎えた。
「お帰りなさませ。あの、今日は……」
ジゼルは頭がまだ半分眠っていたせいか言葉に詰まった。それに帰ってきたばかりのロランに突然話しかけ自分のことを優先してしまった。 ロランはまだローブを羽織ったままだ。
どうしよう、
ジゼルはロランを見つめたまま体の前で重ねた両手を握り俯いた。
ロランはジゼルの様子を見て何か話をしたいのだと察し、ローブを脱ぎそのまま黙ってジゼルが口を開くのを待っていた。
ジゼルは動かないロランの足元を見て、話を聞いてくれるのだと気が付き顔を上げた。ロランはジゼルを見ている。長い一日を終え疲れているロランを待たせるわけにいかない。
今言わなければ。謝って、ここを出てゆくとお伝えしなければ。
緊張で心臓が鳴り響き、湿り気のない喉は言葉を出すには心許ない。生唾を飲み込み潤いを与える。最初の一言さえ出せたらあとは一気に話せばいい。
ジゼルは口を開いたが「ここから出て行く」と言葉に出すことが辛くなった。
言葉に出してしまえば月に一度しかロランに会えなくなる。ロランに会えるのは残り三度だけ。この先の人生でロランに会うことはもう二度と無いだろう。辛い生活でもあったがその中でも日常の些細な喜びもあった。その何気ない喜びを得る事ができなくなる。……そう考えるだけで話すことを躊躇する。けれど、ジゼルがロランのために出来ることはここから去ることだけだ。ジゼルは小さく息を吐き口を結んだ。
私ができる唯一のこと。
ジゼルは覚悟を決めロランに話し始めた。
「ロラン様……本日はご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。シャルロット様に悲しい想いをさせ、これ以上ロラン様にご迷惑をかけることは出来ません。だから神殿に……」
「……休め」
ジゼルの言葉を遮るようにロランは言った。
「あ、あの、ここを出て神殿に……」
「聞こえなかったのか?休めと言った」
ロランはベッドに移動しながらジゼルに言った。
「……はい……あの、お、お心遣い感謝致します。」
ジゼルは緊張で震える指を握りしめた。だがその緊張は先ほどと違い言葉で例えづらい奇妙な緊張感。
調子が狂う。いつもと同じ言葉は少ないが、やはり何かが違う。覚悟し話しかけたがこうもあっさり話を切られるとは。
シャルロットを悲しませ、お茶会を混乱させたジゼルをなぜ責めないのか?「勝手に参加しろ」と言ったロランがあの状況で、シャルロットの目の前でなぜジゼルを連れ出したのか、そして今、出ていくと話したジゼルの言葉を遮りなぜ「休め」と言ったのか?
ジゼルはソファーに腰掛けクッションを体の前に置き抱きしめながら胸の高鳴りを抑えようと顔を埋めた。
誤解したらダメ。ロラン様はきっと怒っているけれど怪我をした私を叱責することに躊躇しているだけ。元気になったら、いえ、明日になったらきっと出て行ってくれと言うはず。
そう考えながらも、心の中はロランの態度に喜びを感じている。
も、もしかしてロラン様は怒っていないのかしら?……怒って、いない?
ジゼルは顔をあげロランを見た。ロランはベッドに腰掛けていたが視線をジゼルに向けていた。
視線が交わる。
ジゼルは飛び上がるほど驚き慌ててクッションに顔を埋めた。
ロラン様が私を見ていた?!
心臓が波打ち体の隅々までは血液が循環するのがわかる。体が熱くなり熱病に犯されたように顔が赤く染まり口から心臓が飛び出そうなほどロランにときめいた。両手で赤く染まった頬を押さえながら平常心を取り戻そうとする。しかし心とは裏腹にジゼルの脳裏には先ほどのロランが浮かぶ。
浅はかにも同じ部屋にいさせてもらえる事を神殿に感謝したくなった。
あー、私、何を考えているの?先ほど出てゆくと決めたのに、覚悟したのに。恐ろしいほど意志が弱いわ。
ロラン様が私を見ていたからと言ってのぼせあがるなど。疎ましく思って見ていたかもしれないのに。でも、ロラン様の表情が柔らかく感じたから、だから私は……。
あー、もう!一体私は何がしたいの?!明日きっと追い出されるはずよ。今日の失態を思い出すのよ!反省するの。ロラン様に迷惑を、大きな迷惑を、、
「……お前、ベッドで寝ろ」
ロランはクッションに顔を埋めているジゼルを見つめ言った。
「?!!」
ジゼルは顔を上げ目を丸くした。
意味がわからない。ロラン様は何を仰ったの?空耳?
私がベッドに寝たら……ロラン様はソファーで寝ることになる。
「い、いえ、私はこちらで充分です、大丈夫ですから……」
ジゼルは両掌をロランに向け何度も頭を下げ遠慮のジャスチャーをした。いくら怪我をしたからと言って、流石にこの屋敷の主人であるロランをソファーで寝かせるわけにいかない。この結婚が始まった時に神殿から同じ部屋で過ごすようにと言われどんなに辛くてもこのソファーで耐えてきた。けれどロランにソファーを使わせるなど到底出来ない。冷や汗が出てくる。
躊躇するジゼルを見ていたロランはもう一度ジゼルに言った。
「聞こえなかったのか?ベッドに来い」
ロランはベッドの端に腰を掛け、マットをポンポンと叩きながらジゼルに言った。その表情は普段通りだが、その瞳は柔らかい。長い髪はロランの肩の上で曲線を描きながらロランの動きに合わせ左右に揺れた。
ジゼルは突然の事にどうして良いのか分からなくなったが、目の前のロランの姿に心臓を鷲掴みにされたような甘い息苦しさを感じた。
この美しくも気高い男性が私の夫。例え形だけであっても今ロラン様の瞳は私を映し、その唇は私を呼んでいる。
遠慮と戸惑いとときめく気持ちを抱きながらもとりあえずロランの言葉通り動く。ジゼルは立ち上がりおずおずとベッドに近づいた。目の前にはロランがいる。
「あの、ロラン様はどちらに……」
流石に聞かない訳にいかない。緊張で言葉が上ずるが気にしている状況ではない。
「私もベッドで寝る、このベッドは広い、半分使え」
ロランはそう言って立ち上がり戸惑うジゼルをベッドに引っ張り無理矢理寝かせ、ロランも隣で横になった。
「?????!!!!」
ジゼルは寝るどころじゃなくなった。
何がどうなってこうなったのかわからぬまま眠れぬ夜を過ごし明け方にようやく疲れ眠った。