痛みと喜び
ロランはそれだけ言うとジゼルを抱えたまま足早にその場を離れた。
その様子を見送ったベルトランはため息を吐き、モーリスを下がらせひとまずその場を収めた。
一方、ロランの行動に令嬢達は唖然とした表情を浮かべ、シャルロットは両手を握りしめた。
「ロラン様は血がお嫌いなシャルロット様のために行動なさったのですわ」
「そうです。これもシャルロット様を思うが故の行動ですわ」
令嬢達は口々にシャルロットに声を掛けた。その言葉を聞きシャルロットは小さく頷き言った。
「顔に怪我をされたようでお気の毒ですわ。ロランも立場上お助けしないとなりませんから……」
シャルロットはハンカチを目に当てた。
「まぁ、なんとお優しい!」
令嬢達はシャルロットの言葉を聞き胸に手を当てた。
「これほど寛大なシャルロット様を押し倒すとは!あの悪女は許されないですわ!」
令嬢達は再びジゼルの悪口を言い始めた。
ロランはジゼルを抱えたままジュベール公爵家の自室に入った。
ジゼルは額を押さえ呆然と目の前のロランを見る。
一体どうして?ロラン様はシャルロット様のお側にいなくていいの?
ロランは胸の中にいるジゼルを覗き込んだ。流れる涙、血で染まった額のハンカチ、うっすらと唇から滲み出る鮮血。
「私の胸のポケットにあるハンカチで額を押さえろ」
しかしジゼルの思考は止まりロランの言葉が頭に入ってこない。
ロラン様が私を抱きかかえている?ここはロラン様のお部屋?なぜ?どうして?
黙ったままロランを見つめた。
ロランはジゼルを覗き込み言った。
「私の首に手を回せ」
鼻先がふれるほど近づいたロランは燃えるような瞳をジゼルに向けた。
私の好きなロラン様の瞳。私は今何をしているのかしら?ロラン様の元から去ると決めたのに。なぜロラン様は私をここに?
あ、騒ぎを起こしたことを怒って連れて来た?逃げないよう抱き上げて?
ジゼルは完全に思考が停止しロランを見つめている。
「もう一度わかりやすく言う。そのハンカチはもう血だらけで使えない。取り替えるから額から手を離し私の首にその手を回せ」
ロランは瞬きもせずジゼルを見つめた。ジゼルはロランを見つめたまま両手をロランの首に回し抱きつくような格好になった。ロランは片手でジゼルを抱え、もう片方の手でハンカチを取り出しジゼルの額に当てた。
ジゼルはロランの行動に思考が追いつかない。ただわかるのはロランの腕の中は温かく、感情に揺れるこの瞳は自分だけを映している。
それだけが今のジゼルにとって全てだ。
無意識に額に手を伸ばしロランからハンカチを受け取り傷口を押さえた。
額を押さえる様子を見て、ロランは両手でジゼルを抱え直し言った。
「移動魔法が使えるか試す。魔法に干渉しないようにそのまましっかりと私に掴まれ」
ロランは魔法を使い二人は公爵家から姿を消した。
気がつくとジゼルは別邸の部屋に居た。
ロランはジゼルをソファーに下ろしすぐに部屋を出て医者を呼ぶようメイドに指示した。
部屋に戻ったロランを見るとその服にべっとりと血が付いている。ジゼルは慌てて立ち上がり近くに置いてあった手拭き用の布を持った。その様子を見たロランはため息を吐きジゼルに近寄った。
「そんなことしなくて良い。すぐに医者が来る」
そう言いながらジゼルを再び座らせ止血するために押さえていた手を優しく退け傷を見た。
「結構深いな…………」ロランはそう言いながらジゼルの額にハンカチを当てた。
「騒ぎを起こして申し訳……ありません……」
ジゼルは背中を蹴られたとはいえ自分の不注意で怪我をした上にシャルロットをエスコートしていたロランを退席させ、迷惑をかけてしまった。申し訳なさにジゼルは手元を見つめロランの返事を待った。
しかしロランは何も言わなかった。
もう、答えたく無いほど嫌われちゃった……。怒りをぶつけられた方がまだ救われる。
ジゼルは目を閉じた。ポロポロと涙が溢れる。
ロラン様は先程の、私とシャルロット様との出来事を知っているのかしら?
嫌いな相手のためにエスコートを中断し、どれほどお怒りになっているのだろう?
治療が済んだらここを出ますと伝えよう。月に一度、契りの時だけ会えばいい。もうこれ以上ご迷惑をかけられない。
「あの、ロラン様、」
「ロラン様!お医者様が到着されました」
ジゼルが話そうとした時、メイドがドア越しに声をかけてきた。ロランはチラッとジゼルを見た。言いかけたことを話せと言っているように感じたが、この状況では言えない。ジゼルは小さな声でロランに言った。
「な、何でもありません」
ロランは黙ってジゼルを見つめた。
何か言いたげな表情を浮かべたが額に目をやりメイドに返事した。
「入れ」
メイドに案内されながら初老の医者が入ってきた。ジゼルの姿を見てすぐに持ってきたカバンを開けた。
その中から薬品や医療器具などを取り出しジゼルの額を診察した。
「ああ、これは、縫わないと……」医者はそう言うとガーゼに消毒液を染み込ませ傷口に当てた。
「うっ」
叫びたくなるほどの痛みが体を駆け巡る。まるで雷に打たれたような衝撃だ。涙を滲ませ痛みを堪える。ロランはジゼルの隣に腰掛け医者の処置を見ていた。
「痛がっている、どうにかできないのか?」
ロランは医者に言った。
ジゼルはその言葉に胸の奥から湧き上がる喜びを感じた。鼓動が高鳴る。
ロラン様が私を心配して下さったの?……信じられない。でも、痛みが吹き飛ぶほど嬉しい。それも隣に座って下さって肩が触れるほど、その温かさを感じるほど近くに……。
ついつい口角があがる。
「……、痛そうに見えませんが。」
医者はジゼルの顔を見つめ言った。その言葉を聞きロランもジゼルの顔を覗き込む。
ジゼルは目の前のロランを見て赤面し恥ずかしさに俯いた。痛みは全く感じなくなった。
「……、そのようだ」
それから医者は縫合の用意をし、麻酔を傷口につけジゼルに言った。
「弱い麻酔ですから少し痛みますが、我慢してください」
医者はそのままジゼルの額を五針縫った。




