凍る微笑み
シャルロット様は今何を仰ったの?これは誰に向けた言葉?
ジゼルの背筋に冷たいものが走った。
心がモヤモヤする。今の言葉はまるで私がシャルロット様に敵意を抱いているかのように聞こえた。私の捉え方がいけないのだろうか?誰もが愛する美しい姫に対する私の嫉妬心がその言葉をネガティブに捉えるの?
ジゼルはシャルロットの言葉に返事することも頷くことも出来ない。
シャルロットは返事を返さないジゼルを見て、首を傾け少女のような笑顔を向けた。誰が見ても惚れ惚れするような可愛らしい仕草と笑顔。しかしジゼルはその笑顔を見て背筋が凍りつきビクッと身体が動いた。
その様子を見つめていたシャルロットはくるりと回れ右をしジゼルに背を向けた。そしてそのまま令嬢達の方に歩き出そうとした。
「キャア!」
突然シャルロットは悲鳴をあげ前方に倒れ込んだ。
「シャルロット様?!」
ジゼルは驚きシャルロットの元に駆け寄ろうとした。しかしすぐに女官が現れジゼルに鋭い視線を向け声を荒げた。
「この悪女!!……シャルロット様!!お怪我はございませんか?!!……この悪女に押し倒されたのですか!!」
その声が会場に響く。女官の声を聞き周りにいた貴族達が二人を囲うように集まり出した。
「シャルロット様!!」
令嬢たちが駆け寄りシャルロットを支える。シャルロットは小刻みに震えながら令嬢達に言った。
「大丈夫です。わ、わたくしが自分で転びましたのよ」
震えながら話すシャルロットを見て黒髪の令嬢が声を荒げジゼルに詰め寄った。
「シャルロット様、悪女を庇う必要はありません!こんなに震えてらっしゃるのに……。シャルロット様を押し倒そうとするとは!!」
ジゼルは一体何が起きたのか分からず頭の中は混乱し呆然とその様子を見ていた。
「シャルロット様が背中を見せた時に悪女が押したのよ!そうじゃなければ何も無いところで倒れるはずがありませんもの!」
赤髪の令嬢も顔を真っ赤にしジゼルに詰め寄る。
まるでジゼルがシャルロットを押し倒したような状況になっている。令嬢達はワナワナと怒りに震え今にも飛びかかりそうな勢いだ。その様子を見ていた貴族達は顔を顰めた。
「やはり悪女だ」
周りの貴族達も令嬢達の言葉に触発された。
「背を向けたシャルロット様に対し危害を加えるとはジゼル・メルシエは死罪だ!」
「優しくお声をかけてくださった姫様に対し鬼畜の所業だ!」
令嬢も貴族も怒りを露わにしジゼルを責め立てる。ジゼルはこの状況に頭の中が整理できない。
何が何だかわからず呆然とその様子を見ている。自分の意思と関係なく進んでゆく現実。
まるで演劇でも見ているような気持ちになった。
「こんな女死んでしまえばいいのに!」
興奮した誰かが叫んだ。ジゼル達を遠巻きに囲んでいた貴族達がジリジリとその距離を縮める。
ジゼルは恐怖を感じ逃げ道を探そうと前方を見た。しかし目の前にはシャルロットがいる。その周りには鬼の形相をした貴族が立っており逃げ道はない。
背後にも貴族はいるがシャルロット達がいない分まだ逃げやすい。ジゼルは踵を返した。だが予想と違い既に真後ろには貴族達が立っていた。
怖い!どうしたらいいの?逃げる道がない!
息を呑み体をこわばらせジゼルはまたシャルロットの方を向こうとした。
「シャルロット様と同じ目に遭うがいい!!」
その言葉と同時に背中に強い衝撃を受けた。大砲で撃たれたようなとてつもない衝撃だ。
「ウッ!!」
ジゼルは無防備な状態で背中を力一杯蹴られ、その強い衝撃で舌を噛んだ。強い痛みを感じたが、それどころではない。蹴られた衝撃で体が勢いよく前方に押し出されこのままだとシャルロットにぶつかり今以上の大惨事が起こる。
瞬時にシャルロットを回避しようと体を斜めに傾け方向を変えた。だが足がついてこない。もつれた足がドレスの裾に絡まりそのまま勢いよくテーブルに突っ込んだ。
ガラガラッ ガッシャー!空間を切り裂くような鋭い音が響く。テーブルがひっくり返り食器やグラスが割れた。
「キャー」
その音に令嬢達が驚き、悲鳴があがる。
体勢を崩したジゼルはスローモーションのように割れたグラスの上に倒れ込んだ。一瞬のことで身を守る術もなく鋭利なガラスの破片がジゼルの皮膚を切り裂いた。
「ウッ……」
身体が動かない。意識が朦朧とする。
転んだショックで鼓動が地響きのように鳴り響く。何も聞こえない。一体どうなったの?うっすらと目を開けたが全てがボヤけて見える。それに口の中いっぱいに生臭い鉄の味が広がる。気分が悪い。
とにかく起きあがろうと頭を持ち上げた。目の前に割れたグラスや食器、少し離れたところに人々の足元が見える。
粉々に割れた食器やガラスの破片が髪に絡まっていたのか、パラパラと床に落ちる。その様子を意識朦朧と見つめながらジゼルは今起きたことを思い出していた。
私、誰かに背中を蹴られた……。
ショックで息が止まる。深呼吸をして気持ちを落ち着かせたいが口の中は血だらけだ。その溜まった血を吐き出すこともできず仕方なしに飲み込む。ドロドロとした液体が胃の中に落ちて行くのを感じた。傷を確かめるために口の中で舌を回す。少し切れていたが噛みちぎっていない事に安堵した。
ジゼルはゆっくりと上半身を起こした。目の前にはジゼルを見下げる貴族達。その視線は凍えるほど冷たく無感情な瞳はジゼルを震えさせた。
怖い。この中の誰かに背中を蹴られた。あの強さは男性。……私を憎く思っている人に囲まれた今、逃げ場もない。どうしよう、ベルトラン様に助けてと言いたい。だけどそれこそ大きな騒動に発展してしまうかもしれない。
私を信じてくれる人がいない中で真実を言ったところで何も変わらない。ロラン様は……きっと、周りの言うことを信じるだろう。……想像するだけで胸が痛む。
そうなれば……私を信じてくださるベルトラン様とロラン様が対立してしまうかもしれない。
ああ、そんなことは望んでいない。
言えない、助けてとは絶対に言えない。
ジゼルは天井を見上げた。魔法が使えたらここから逃げられるのに……。
ポタッ、ポタッ
床に血が落ちた。何?どこから?
ジゼルは首を傾げその血を見つめた。鼻血?ジゼルは手を鼻に当てる。ヌメッとした手触りに嫌な予感がした。鼻血ではない。顔が濡れている?
「ウッ!」
額に鋭い痛みを感じた。転んだ時にぶつけたのだろうか?ジゼルは下を向いた。ダラッと水分が顔に降りてくる感触、それと同時に目の前が赤く染まり額が火傷したように熱くなった。指を額にそっと当て撫でるように触る。腐った果実の様な手触りに息を呑んだ。
「ハッ……」鋭い痛みが顔面に走る。恐る恐るもう一度触る。生暖かい皮膚の感触とぬるっとした血液の滑り。
ああ、どうしよう……額を切ってしまった?
治癒魔法が効かない私が……怪我を……してしまった。