対峙
ジゼルは生唾を飲み込み小さくため息を吐いた。
こうなることをわかって覚悟して来た。どんなに困難で苦しくても覚悟したからには乗り越えなければならない。
重々しい気持ちを噛み殺し、下げた頭をゆっくりと上げた。同じように下げた目線を上げ目の前のシャルロットを見た。
シャルロットは両手で顔を覆い泣いている。令嬢達は涙を流すシャルロットに優しく声をかけ共に涙を滲ませている。
ああ、シャルロット様を悲しませてしまった。やはり私はここに来てはいけなかった。
後悔の念が湧き上がる。今日何度目の後悔だろう?
ジゼルは目の前で泣いているシャルロットに対しどうすることもできない。
令嬢達はジゼルを睨みつけながらシャルロットを慰めている。
ジゼルは唇を噛んだ。愛する二人の仲を引き裂くつもりは無かった。だけど結婚以外の選択肢も無かったのだ。けれど今更何を言っても悪女と呼ばれるジゼルは誰にも受け入れてもらえない。
ジゼルはもう一度頭を下げその場から離れようとした。
「サラ夫人を亡くしたベルトラン様をたぶらかすことは簡単でしょうけど、ロラン様は無理よねぇ」
黒髪の令嬢が意地の悪い笑みを浮かべ言った。
「ええ、そうですわ。だって美しいシャルロット様がいらっしゃるから」
赤髪の令嬢が答え取り巻きの令嬢達は高い声で笑った。
……今、何を言ったの?
ベルトラン様をたぶらかす?簡単?
ジゼルは動きを止め目を見開き令嬢を見た。
ベルトランの品位を下げるような発言をした令嬢達は互いに顔を見合わせ笑っている。その言葉はジゼルを侮辱するだけでなくベルトランを同様に侮辱している。
ジュベール公爵家の偉人と言われているベルトランに対しそのような発言をすることはジュベール公爵家を侮辱していることと同じ意味を持つ。
見過ごせない。
私に対しての発言だけなら甘んじて受け止める。けれどベルトラン様の品位を下げる発言は見過ごすことはできない。
ジゼルは立ち止まり真っ直ぐに令嬢達を見た。令嬢達はことの重大さに気づく様子もなく笑い続けている。ただ、周りにいた貴族達は万が一を想定し巻き込まれたくないと移動し始めた。
無意識の発言。
令嬢達がベルトランを侮辱するなどありえない。それはジゼルにもわかっている。
先ほどの発言はジゼル憎さがゆえの、無意識に出た言葉だ。
けれど。
無意識の発言は時として自覚ある発言よりも罪深い。
ジゼルは目の前で高らかに笑っている令嬢達を見て怒りが湧き起こった。
心の中で沸々と怒りの気泡が弾ける。身体中が怒りで沸騰したように熱くなった。
どんな状況でも味方でいてくれるベルトランの笑顔が瞼に浮かぶ。無意識であっても優しいベルトランを侮辱された悔しさに涙が滲む。奥歯をグッと噛み涙を堪えた。だが怒りは堪えられそうにない。令嬢達に先ほどの発言を取り消してもらいたい。
けれど何か発言をしようものなら令嬢達はきっと騒ぎ出す。騒ぎを起こせばベルトランにもロランにも迷惑をかける。
だから何も言わずに黙って去ってゆくことが正解かもしれない。
けれど世間から悪女と呼ばれ、愛する人に嫌われている今、失うものなど何もない。ベルトランの名誉を守るためにどんな扱いを受けようとも後悔しない。
ジゼルは両手を握った。緊張で体が強張る。口を開き言葉を出そうとするが唇が震え言葉を飲み込む。
衝動的な怒りと対峙することへの怯えが交錯し思考が限界を超えた。
心が昂る。今がその時だ。
ジゼルは気力を振り絞り、辿々しくも語りかけるように令嬢達に話しかけた。
「恐れ入ります。……わ、私のことは何と言われようと批判は甘んじて受け止めます。反論もございません。けれども、ベルトラン様の品位を下げる発言はどうかおやめください。ベルトラン様はそんな方ではございません。先ほどの発言をお取り消しくださいませ」
ジゼルは初めて人に向けて怒りに近い感情をあらわした。不慣れな感情と発言はジゼルの体を震えさせた。怒りで震えているのか発言する怖さで震えているのかわからない。
震えるジゼルを見て赤髪の令嬢は笑いながら言った。
「まぁ震えてらっしゃるわ!」
「ご自分を棚に上げ怒りを向けるとは悪女の名に相応しいわ」
「私たちはベルトラン様を侮辱するつもりはございませんわ。あなたが侮辱させているのよ?わかる?」
「あなたの存在がすべての原因なの」
令嬢達は反論されたことに腹を立て口々にジゼルを責め始めた。
ジゼルはその言葉を聞き感情に揺れる気持ちを抑え込んだ。
……そうだった。私が何を言っても聞いてくれるはずがない。私が、私の存在がベルトラン様を巻き込んだのは事実。ごめんなさい、ベルトラン様。本当にごめんなさい。
不甲斐ない自分、ベルトランのことを思うと涙が滲み出る。けれど泣き顔は見られたくない。ジゼルは俯いた。
「皆さんもうおやめになって」
令嬢たちのやりとりを黙って聞いていたシャルロットが言葉を発し徐に立ち上った。その声は柔らかく、その姿は王族らしく、周りを牽制する力がある。
ジゼルはシャルロットの声を聞き顔を上げた。目の前にシャルロットが立っている。
その美しくも洗礼された佇まい、陶器のような美しい肌に潤いに輝く美しい瞳、ピンクに色づいた可愛らしい唇から発せられた柔らかくも愛らしい声。ロランが愛する女性がいかに自分とは違うのかを思い知る。
カミナリに打たれたような電撃が身体を駆け巡り、放心するほどショックを受けた。
シャルロットは滲んだ涙をハンカチでぬぐい令嬢達を振り返り言った。
「皆さんがわたくしを心配し心を寄せてくださる気持ちは本当に感謝いたします」
令嬢達はドレスを持ち上げ笑顔で応える。
「けれども、この方を困らせてはなりません。わたくしと同じく辛い思いをされています」
ジゼルはシャルロットの言葉を聞き目の前の景色が滲んだ。誰よりも悲しい思いをしているシャルロットがジゼルを庇うなど想像もしなかった。その器の大きさに心を打たれる。
「ロランも同じように苦しんでおります。愛のない結婚は誰をも不幸にする。けれどこの結婚が終わった時、皆幸せになれるのです」
令嬢達はその言葉に涙を滲ませ、シャルロットは話を続ける。
「全てが片付いたらロランとわたくしは結婚し、この方は不慣れな場所に来る必要もなく、悪女という呼び名はいずれ人々から忘れさられ一人幸せに向かって歩んでゆけますわ」
シャルロットはジゼルの方に振り返り柔らかな微笑みを向け言った。
「だからそのような敵意は要りません」




