どうしようもない現実
ロランはジゼルの目の前に立った。
その表情は険しい。室内は再び張り詰めた緊張感に支配され窓から見えた庭園は絵画のように現実感を失った。
ロランは何かを言おうと口を開いた。が、小さく首を振り押し黙った。
目の前のロランは怒りを堪えている、もしくは諦めに近い心境に達したように見える。
話し合いが上手くいかなかったのかもしれない。
心が騒ぐ。不安に揺れる心を隠すようにロランから目を逸らした。
「…………お前、お祖父様に何をした?お祖父様は私がお前をエスコートしなくともお前を招待すると言った」
ロランは目を逸らしたジゼルにすかさず話しかける。ジゼルは再びロランを見た。
ロランは鋭い眼差しを向け顔にかかる髪を耳にかけた。
その様子がスローモーションのように見えすべてが非現実的に感じた。だが、身を切られそうなほどの眼差しが現実に引き戻す。ジゼルは無意識に心臓を守るようにゆっくりと両手を胸に当てた。
手のひらに鼓動を感じ生きていることを実感する。あの時と違いロランは攻撃を仕掛けたりはしないとわかるが、それでも心臓を射抜くような視線はそれほどの力があるように思えた。
ジゼルは予想と違う現実を突きつけられ思考が停止している。
ベルトランはロランの頼みを断った。
ロランがエスコートしなくてもジゼルをお茶会に呼び、ロラン達はジゼルを横目に悲恋の恋人同士でお茶会に参加する。
最悪の茶番、最悪の結果だ。
何故?どうして?ベルトラン様はなぜそこまでして私を?なぜ?
頭の中が混乱する。だが逃げることもできない今、ジゼルはロランと向き合うしかない。何をどう言えばいいのかわからない。けれど言えることは愛し合う二人を引き裂くつもりは無いと、これだけは伝えなければならない。
ジゼルは自分自身の気持ちを奮い立たせる為にロランの鋭い視線から逃れ俯いた。
大丈夫。
何があっても誠心誠意、ロラン様に邪魔するつもりはないと伝えよう。お茶会を断ることができないならば誰の目にも留まらぬようひっそりと参加すると。
ジゼルは胸に当てた両手を見つめ軽く握りしめた。そして「大丈夫」と呟きロランを見た。
青い炎のような瞳がジゼルを捉える。その瞳を見た瞬間ジゼルの大丈夫は効力を失いロランから視線を外した。
心臓を射抜かれそうなほど強い視線。全てを焼き尽くすような燃える瞳。
ダークネスドラゴンを召喚した時とは全く違う冷たい炎をまとっている。
怖い。逃げ出したい。だが、逃げるわけにはいかない。
どんなに怖くてもロラン様の目を見て誠心誠意話すのよ。
ジゼルはもう一度ロランを見た。
ロランの美しい顔が目の前にある。その息遣いが感じられるほどの距離。だけれどもその瞳は氷のように冷たくジゼルの心臓を凍らせる。氷の魔法をかけられたように一気に凍りつき、凍傷になったかのように手足の感覚を失った。けれどそんな状態になってもロランから目を逸らすことができない。鋭い視線は一切感情の色は無くそれが一層ジゼルを追い詰める。
目を逸らしたい。
見つめられることがこんなにも悲しく辛いことだとは誰も教えてくれなかった。
ロランの鏡面のような瞳に映るジゼルは何かを諦めたような虚ろな目をしている。
諦めたものはなんなのかわからない。
愛なのか、人生なのか、自分自身なのか。
だが、今はとにかく誠心誠意、謝らなければならない……。
「ロラン様、お二人の邪魔するつもりはありません。あ、あの、申し訳」
「なぜお前は……」
ロランはジゼルの謝罪の言葉にかぶせるように何かを言いかけた。しかしジゼルから顔を背け黙った。
静寂が二人をつつむ。
ロランは両手で長い髪をかきあげ天井を見つめ大きく息を吐いた。
その姿は自然体で金色の髪が肩から背中にサラサラと流れ落ちる様子は見惚れるほど美しい。ジゼルはロランの姿に釘付けになった。
こんな状況なのにロラン様を見て幸せを感じるなど私は本当にどうしようもない人間だわ。でも、こうして見つめることはお許しください。それ以上は決して望みませんから……。
ジゼルはロランを見つめ続けている。ロランは魔法を使い長い髪を一つに束ねた。その時のロランは少し楽しげに見えジゼルはそんなロランを見つめ幸せを感じた。
ロランは振り返り再びジゼルを見つめた。その瞳に鋭さはない。
まさかロランが振り返ると思っておらず熱のこもった視線を投げかけていたジゼルは気まずくなりロランから視線を外し手元を見つめた。
ロラン様はシャルロット様を愛している。私がシャルロット様を悲しませる原因だから私を嫌うのは当たり前だけど、こうして二人でいる時、許容してくれているように感じる時もある。
ジゼルは自分の手元を見つめながらロランの言いかけた言葉を考えた。
なぜ、お前は……。その続きはなんだろう?なぜお前は……私たちの邪魔をする?
いえ、先ほど邪魔をするつもりはないとお伝えした。ロラン様は何を言いたかったの?話してくださらないかしら?
ジゼルは両手を軽く握りロランの言葉を待った。
―だがいくら待ってもロランは何も言わない。
静寂の中時間だけが過ぎる。
これ以上黙ったままだと気まずいわ。それにちゃんとロラン様に謝らなければ。
ジゼルは勇気を出しもう一度謝罪の言葉を口にしようとした。
「ロ、ロラン様……」
「もう謝る必要はない。おまえは一人で参加しろ。……私の話は以上だ」
ロランはジゼルの言葉を遮るように言った。
……もう、謝って欲しくないほど、謝る機会さえ与えたく無いほど嫌われてしまった?
ジゼルは顔をあげロランを見た。ロランはジゼルに背を向け庭園を見つめた。その背中を見てこれ以上のやり取りを拒否されたとわかった。もう何を言ってもロランは受け入れない。
ジゼルの存在はロランを苦しめ追い詰めるのだ。
ジゼルは震える唇を噛み両目を強く瞑った。
ああ、なぜ望んでいない方向に全てが動いてしまうの?私の望みはロラン様の幸せだけ。
それを邪魔しているのは紛れもなく私自身なのだわ。
溢れるものをもう、堪えきれそうにない。悲しみで指先が震える。だけどロラン様はもっと苦しいし悲しんでいる。今は自分の感情を出すわけにはいかない。
ジゼルは震える指先を握りしめた。
大丈夫。まだ我慢できる。
謝罪の言葉を言えないのなら態度で示すほかない。
奥歯を噛み締めロランに頭を下げた。
ロランは頭を下げるジゼルを見つめていたが、何も言わず部屋から出ていった。
ジゼルは一人ソファーに腰掛けハンカチを取り出し両目を押さえた。泣いてはダメ。こんな姿見せたらもっと嫌われる。明日も空気のように何事もなかったように生きなきゃ。それが私ができる唯一のことだから。
翌日の朝「今日は二度目の契りを行う」ロランはそれだけ言ってどこかに行ってしまった。
あんなことがあった翌日に二度目の契り。
ジゼルの顔を見ることなく事務的に告げたその言葉にジゼルは深く傷つき涙が頬を伝った。我慢していた涙が後から後から溢れ出る。
近くに待機していたメイドは涙を流すジゼルの姿を見て居た堪れなくなった。
声を殺し泣いているジゼルにメイドは黙ってハンカチを渡した。
「だ、大丈夫……よ……ありが、と……」ジゼルは手にしたハンカチを握りしめた。メイドの優しさがジゼルの傷ついた心に触れ一気に感情が溢れ出た。
……大丈夫の魔法が……解けてしまった。
「ウッ、」嗚咽が静かな部屋に響く。メイドたちはそっと部屋から出ていった。
その晩、ロランはジゼルを抱いた。
初夜の時とは全く違い、ロランは言葉一つ無く視線を交わすことも無く淡々と事務的に行為をおこなった。お互い望んで抱き合っているわけではない現実は二人の心に暗い影を落とす。ジゼルもロランと同じように心を閉ざしこの残酷な運命を受け入れるしかない現状に涙を落とした。




