1 レル 「グリファナスあらわる」
魔法の力を持った少年少女が村を守るお話です。
このスピカ村の住人はみんな魔法の力を持っています。体のどこかに魔法の印、グリフがあります。それぞれ、デル(鹿)のような俊敏さだったり、アンフォラ(器)のような収納の力だったり。
グリフ(印)は22種類があります。同じ種類のグリフを持つ人々は集まってギルドを作っています。
「グラファナスあらわる」
1.レル
森の中に弓を持った少女がいる。少女は腕の良い狩人で、いまは地面に這いつくばっている。いかにも俊敏そうな身体つき。地面についたズボンの膝は土で汚れているが、気にしている様子はなかった。
彼女は音を立てないように注意深く移動している。それから暫し止まって、聞き耳を立て、風の匂いを嗅ぎ、茂みの影から地面をよく見た。まばらな木立の下に草が広がっていて、行儀良く並んだ草が少しだけ乱れていた。その少し先を見ると二羽のうさぎが仲良く食事中だった。今日はついてるとレルは思った。
「レルーー!」
弓を持った少女レルは、自分の名前が呼ばれる声を聞いた。幼なじみで親友のフラーが追いついてきたのだ。あまり運動が得意ではないフラーにしては追いついてくるのが早すぎるが。
そのフラーの声に反応したウサギは、警戒して頭を上げた。チャンスだ。レルは弓を引いて矢を放った。
ブンと弦が音を立てる。飛んで行った矢はなんと二羽のウサギを一度に仕留めた。レルは駆け寄ると、狩の精霊に感謝を捧げてから、自分の獲物をしっかり手に持った。それから、今度は気配を隠すことなく、「フラー!」と親友の名を呼んで跳躍した。まるで野生の鹿のように。
フラーは飛んできたレルに驚いた。二羽のウサギを見ると笑顔になり、二人は連れ立って走った。
行き先は二人の秘密の場所で、子供が来るには森の奥すぎるのだが、優秀なデル(鹿)のレルと一緒ならインドア派のフラーでも心配はいらない。そこは、村の力自慢の木こりが切り倒した大木の切り株で、これを大きなテーブルに見立てて、二人はよくままごとをしたものだった。
大きくなった今でも、やっていることはあまり変わらない。レルがウサギをテーブルに置くと、フラーはどこからともなく油紙を取り出した。それでウサギを包む。フラーが触るとそれは消えてしまった。まるで手品だ。2人の少女とも、特に驚く様子はなかった。それが、フラーのグリフの力だからだ。フラーの胸元に正三角形を逆さまに二つ合わせた砂時計のような線画が見えた。これがアンフォラ(器)のグリフだ。これは生まれた時からあって、このグリフの力で物をどこかに「しまうこと」ができるのだ。「どこか」というのは体の中と言われているが、体より大きな物をしまうこともできるから、じつは誰にもよくわからない。
レルのグリフはデル(鹿)だ。右上腕の内側にある。三本の線が交差して、それぞれの線には二本づつ角が出ているような印、ちょっと雪の結晶のような印で、鹿の角を模していると言われている。レルがデル(鹿)のような俊敏さと敏感さを持つように、フラーはアンフォラ(器)のように物を入れる力を持つのだ。
フラーがテーブルの上にてのひらを差し出すと、ティーカップと湯気を出しているポットが出てきた。それから砂糖入れとクッキーとカットされた果物。クッキーは焼き立てで、果物は汁が滴っている。二人は、村の噂話に花を咲かせながら、お茶を楽しんだ。
まだ暑くなる前の初夏。木々の葉はそよ風に吹かれ、木漏れ日は楽しそうに踊っている。
レルは気配を感じた。研ぎ澄まされた耳が、野生動物の歩く音を拾った。親友の変化にフラーはすぐ気付いて口を閉じた。フラーがこんな森の深いところで平気でいられるのは親友のレルがそばにいるからだ。子供の頃からレルはデル衆のなかでも特に優秀で、今も森の深部に一人で行く許可を持っている一番若いデルだ。フラーは、レルがいる限り森の中でも安心できた。そのレルの変化をフラーは敏感に感じ取った。
レルは耳をすませた。大型の動物だ。でも鹿じゃないし、熊でもない。猪でもない。それより小さい動物とは思えない。風は匂いを運んでこない。風は、ちょうど横に吹いているのだ。こちらの匂いも感づかれることはないだろう。
ピリピリする。レルは思った。獲物なのか敵なのか。今のレルには、森のいかなる動物でも獲物にする自信がある。しかし、これはなにか違う。ピリピリする。
そしてレルは気づいた。動物の気配じゃない。これはグラファナスという怪獣の気配だ。グラファナスというのは強い魔法の力を纏った異形の怪獣で、並の攻撃では傷つくことはない。この魔法のバリヤーはフレアと言われるが、これがピリピリの正体だ。
レルは焦った。1人ならともかく、アンフォラ(器)で運動音痴のフラーを連れて逃げるのは難しい。1人なら気配を消して、一目散に村に逃げるのだが、フラーは気配を消すどころか、村で一番賑やかなことで有名だ。
そもそも森のこんな浅いところ、つまり村の近くに、モンスターが出るとは考えていなかった。どうするか……。
レルが考えている間に、フラーはティーセットを収納して、レルの指示を待っていた。レルはフラーに目配せをして、ゆっくり静かに村の方向へ歩き出した。幸い、まだこちらからもモンスターを視認できないし、向こうはこちらにまだ気づいていなさそうだ。
ばぎっ!どたん!
フラーが腐った木の根を踏み砕き、そのままバランスを崩して地面に倒れ込んだ。フラーは健気にも悲鳴ひとつ漏らさなかったが、大きな音を立ててしまった。
あたりを気配を窺いながら、倒れたままのフラーと弓を構えたレルはしばしそのまま見つめ合った。2人の額から冷や汗が滴り落ちる。
しばらく待ってみたが、なんの音も聞こえてこないので、フラーはゆっくりと立ち上がり、2人はそろそろと足を進めた。が、しかし。
ぶわっと熱い風が2人を襲った。生臭く熱い怪獣の息だ。振り返ると、茂みの向こうに大きなモンスターの体が見えた。それは一見、白い毛皮の虎のようだった。しかし全体が白く輝いていて、その白い毛皮にはオレンジ色と水色の光る模様が浮かんでいる。大きな口からは牙がたくさん見えるが、その頭部には目も耳もない。あるのはたくさんの触手だ。頭から触手がたくさん上に向かって伸びていて、クネクネと動いている。
奇妙な姿にもかかわらず、レルは一瞬見惚れた。綺麗だった。
それは、ケアールと言われるグラファナスだった。グラファナスは何種類か知られているが、最も目撃が多い種類だ。強力な魔法的モンスターのケアールとの遭遇は、猟師連中の間ではよく話題になる。滅多に遭遇することはない怪獣だが、仲間内の誰かが遭遇したことがある、そんな怪獣だからだ。ケアールを仕留めるなら、チームで絡めとるしか方法はないと言われている。若いデル(鹿)1人で何ができる?レルは自問した。何もできない。
レルはフラーだけは守ると決めて、懐のナイフを探り、それから矢を数えなおした。合図をしたら一目散に逃げるようにフラーに言う。レルはモンスターと刺し違えるつもりだが、そうとは知らないフラーは、素直にうなづいた。
ふいに、煙の匂いがしてきた。近くに人がいるのか?しかし、その人に警告を発してあげることもできない。ここにキニ(「口」のグリフ)がいれば、その人に警告を発してもらい、さらに村に助けを求めることもできたかもしれない。キニ(口)のグリフの力は情報を遠くへ伝えることなのだ。しかしここにいるのはデル(鹿)とアンフォラ(器)だ。
煙がモクモクと辺りに広がり出した。山火事か?とレルは思った。助かるかもしれない。モンスターが山火事くらいで死ぬとは思えないが、煙や熱が目眩しになってくれるかもしれないし、逃げ出した動物たちがおとりになってくれるかもしれない。レルはフラーを促して、できるだけ静かに村の方へ歩き出した。こんどは枝を踏ませないようにしないと!
煙は分厚くモンスターを覆い、すっかり見えなくなった。風がないのが幸いした。ふたりはそのまま、村の入り口にたどり着いた。
村の入り口に立って、森を見下ろしてみると、煙が見当たらない。レルは不審に思った。あれだけ濃い煙があったのだから山火事になっていると思ったのに。ふと気づくと、レルとフラーのそばに、同い年の少年が立っていた。
「ウル」レルは呟いた。
煙の正体は彼だ。ケムリ(煙)のグリフを持つ少年ウル。ケムリのグリフがどんな力を持つのかはよく知られていない。なにしろ、まず滅多にいないからだ。と言うより、煙はウルただ1人だ。それに、この少年はドードー(土偶)やオー(沈黙)やヨモツ(墓穴)のようにどうも不気味でとっつきにくいのだ。不思議な魔法や呪術の匂いがする。とはいえ、レルはこの少年のことがいつも気になっていた。
レルはすぐに礼を言った。ウルは「別に何でもない」といったふうにちょっと笑った。
皆さんは、どんなレルやフラーやウルを想像しましたか?