ねぇ、知ってる?
暑い 暑い夏
毎年やってくる夏ではあるが
今年の夏は ねっとりとした空気が 誰かの体温のように
例年以上に身体にまとわりついてくる
今年は浪人して5月後半の引っ越しの安い時期から 一人上京し 六畳一間で ずっと勉強に精を出しているせいだろうか…
実家での家族と共にいた喧騒の日々では 物寂しさや物思いに耽ることもないからな
エアコンも設備としては有るが
日中ずっと回して 深夜も回して…と、なると 流石に少し考えることもある
1日中つけっぱなしで 夏という季節の温度変化を体が感じないままでは 暑さを知らずに終わってしまい流石にものさみしい気持ちと
幾ばくかの電気代節約という名目でだ
しかしながら
このまとわりついてくるような熱気
窓を開けても 生暖かい…いや生暑い風がふわんと入ってくるだけだ
いや 風があるだけ まだましなのだろう…
風が首筋を撫で 背中を通り 上腕へと抜けていく
それがなんとも 背筋がゾクッとする
今日は もう終わりにしようかな…
ひとりごちると 机の前にある窓を閉めるべく立ち上がった
ふわりと風に乗り声が聞こえた
「ねぇ、知ってる?」
「えっ!?」
何処から!?
風向きだろうか?
耳元で聞こえたその声に思わず 辺りを見回す
外には漆黒の闇が広がるばかりで 人の形のようなものすら見つけることはできない
しばし じっとして様子をうかがうものの やはりその後に何かが聞こえることもなく
気の所為だったのだろうと
そっと 窓に手をかけた
カラカラカラ…
ガラスが薄いから軽いのだろうアルミサッシの音は軽く 辺りにに響く
ピシャッ
「知らないの?」
「えっ!」
窓を閉めると同時に聞こえた
知らないの? の声
「だれ?」
思わず呟いたその声と共に
突如電気が消え 漆黒の闇に包まれた
突然のことに 動揺する
今日は新月だ 外からの明かりにも期待はできない
立地として 周辺は野山が広がるのみ
街灯もない場所だ
アパートは日が変わる頃合いには 外の電気も消える仕組みとなっているので
辺りは漆黒の闇が広がるばかり
手元にスマホもなく 灯りをつける手立てがない
勉強に集中するため、と スマホを手元に置くことをやめておいたのが仇となってしまったな…
仕方がないとばかりに
窓の冊子から手を離し
すぐそばにある机 椅子…
と 移動を始めることにする
幸い 部屋の中にはさほど物もなく
スマホをしまってあるバッグは玄関の小脇にあるはずだ
そこまでは壁沿いに歩けば4メートルもないはずだ
五感を研ぎ澄ませ
慎重に進む
目からの情報の多さを改めて痛感する
万が一にも転がっているものがあってはならないと
すり足で そろりそろりと移動する
ふと 足先に当たるもの 細長く硬いもの
…確実に昨日落としたシャーペンだな
見当たらなかったと思えばこんなところにあったのか
壁沿いの自分の座る後ろ側まで行っていたとは…
足先で少し横へ転がして通り道を確保する
またも そろりそろり進んでいくと
今度は形はしっかりしているが幾ばくか柔らかいもの
…消しゴムだろう
これはしばらく前に紛失したものだな
これも同じく壁沿いにあるところを考えれば
転がったものは壁沿いに向かう仕組みになっているのだろうか?
中央の床が盛り上がっていて!?
…まさかな
普段から足の先を意識していないから 当たっても蹴飛ばしているだけだろう…
消しゴムは転がしてもどこへ向かうかわからないか…
仕方がない 壁に手をつき かがんで拾うことにする
自分の体の末端は 視界がなくともわかるものなんだな…
改めて実感する
拾った消しゴムを ポケットへ無造作に突っ込み 壁に手をつき
またも そろりそろり進んでいく
おや、手が壁を触らない所まで来た
…壁の終わりだ
と、いうことは 玄関へと続くドアのあるところだな
壁側とは反対の手を使い ドアの取っ手を弄る
…しかしながら、手は空虚を彷徨う
…ドア、開け放しにしておいたのか!?
ドアの蝶番のついている辺りに触れ ドアの位置を確認しつつ床へ座り込む
床に無造作に放ってあると思われるバッグを手探りで少しずつ動いて探す
ドアのすぐにおいてあるはずだが こうも真っ暗闇のなかでは なかなかと見つかるものではないのか…
普段からの備えは大事だな…
改めて実感する
まぁ…原始の人間は洞穴の中で夜を過ごしたのだ
こんな状況だったことには間違いない
さて
床にも 手を這いずっていく
何か 当たるものがある
硬いものもある バッグだろう…
「ふぅ〜」
安堵の息が漏れる
普段から愛用している キャンバス地のズタ袋が こんなにも愛おしいものだとは思わなかったな
こちらへ手繰り寄せようと引っ張るが 動かない!?
もう少し力を入れて…
なかなか動かない?
なんでだ!?
重いものなど 辞書5冊以外にはないはずだが?
もしかしてドアの出っ張りなどに引っかかっているのだろうか!?
ならば 力ずくで引くのみだ!
壁に触れていたもう片方の手もバッグを持ち力を込めて引っ張る!
勢いをつけたせいだろうか?
風を感じる
生温かい風が首筋を通り抜ける
ハッと 首筋を手で押さえる
またも耳元に囁く声が
「ねぇ 知ってる!?」
ハッ!!
振り返るが
漆黒の闇が広がっているだけだ
首筋を押さえたまま 辺りをきょろきょろするものの
闇の中では 別段変わるものはない
さっきの空耳が頭に残っていて 暗闇という特殊な空間で恐れをなして現れたのだろう
人間の心理とは 如何に脆弱なものだ
我が心の弱さに 情けなく思いつつ
バッグを 手繰り寄せる
すると意外や意外
するすると手元に戻る
さっきの重さは何だったんだろう!?
開け放ったままの扉の角に引っかかっていたのだろうか
全く持って 迷惑な話である
バッグの中へと手を伸ばすとスマホを探す
硬質な平べったい物へと指先が当たる
「あった…」
暗闇の中に
もう、2時間も3時間もいた気分となっていた俺は 思わず呟いてしまう程だ
まさか スマホの充電が切れているなんてオチはないよな…
両サイドにあるボタンを指で恐る恐る押してみる
明かりがついた
「ほっ」
安堵の息を吐く
漆黒の闇の中での灯りは
砂漠の中のオアシスと同様の癒しだ
おや…
明るさが下を向いているということは
画面が下を向いているのか…
落とさないよう ゆっくりとひっくり返す
あまりの眩しさに
目を瞑ってしまう
まぶたの裏からも明るさを感じる
文明の利器とは 実に素晴らしいものだ
徐々に明るさに目が慣れてきた為 うっすらと目を開けていく
スマホのホーム画面が見えた
「えっ??」
こんな文字を入れた覚えはない
「ねぇ 知ってる!?」
オアシスとまで思っていたスマホを思わず投げる
部屋の中央へ転がる
床に 何か書かれている
飛ばされたスマホの灯りで目を凝らしてみる
「ねぇ 知ってる!?」
隣には
黒髪の長い死に装束の女が髪の毛の隙間から片目をぎょろりと覗かせていた
あまりの恐ろしさに
俺は そこで意識を失った…
気がつくと 朝だった
明るい 部屋の中全てが見える
あれは夢!?
ホッとしたのも束の間
部屋の中央 床には
あの字が書かれている
「ねぇ 知ってる!?」
言葉にならない恐怖
あの黒髪の隙間から覗くぎょろりとした目玉
「うわぁぁぁぉぉぉぁ!!」
裸足のまま 外へ飛び出した
別棟に住んでいる 年寄の大家がびっくりした顔をして俺を見ていた
この人なら知っているかも…
大家の両肩を押さえ 尋ねる
「ねぇ 知ってる!?」
「……あぁ 知ってるよ」
知っているのか…
その後 大家が重い口を開いたことによると
同じく受験生だった娘が同じ部屋を借りていたそうだ
周りから
君なら受かる 君なら…
言われ続けていたが
残念なことに受験は失敗に終わったそうだ
その後
あの子なら受かると思ったけど…やっぱり噂だけだったのね
などと 本人が同じ場に居るにも関わらず 口性のないうわさを一身に受けたこともあり
それらを苦にして
あの部屋で
自ら命を絶ったそうだ
自分のうわさを知っているか 尋ねたかったのだろう…
俺はそんなうわさは知らなかった
だから部屋で
「うわさなんて知らない!
お前は もう成仏しろ!」
そう怒鳴った
せめて
噂で 弱った心を追い詰めた奴らに自責の念があるといいな…
「ありがとう…」
そう聞こえた気がした
それ以降
声の聞こえることはなくなり
勉強に身が入る日々が続いている