どうしようもない~スカッと系へのアンチテーゼ~
『…………はぁ』
酒場のカウンターで偶然横になった三人の男が、全く同時に重苦しい溜め息を吐く。
彼らはそのことに驚き顔を見合わせて苦笑。互いに軽く頭を下げると、再びそれぞれのグラスを傾け酒をあおった。
しかしほんの数十秒後。
『…………はぁ~』
再び三人の重苦しい溜め息が重なる。
今度はどんな表情をしていいか分からず、力なく笑った。
そんないかんともしがたい空気を漂わせる男たちに、マスターが静かに話しかけた。
「お客さん方、悩み事があるならいっそここで吐き出してみてはいかがです? 一人で悩むより、楽になるかもしれませんよ」
『…………』
そう言われて三人は戸惑うように顔を見合わせる。
そんな彼らの背を押すようにマスターは続けた。
「ここで見聞きしたことは一夜限りで忘れるのがマナーです。なに、仮にマナー知らずがいたとしても、酔っ払いの言葉を真に受ける者はいませんよ」
そう言われて男たちの纏う空気が緩む。
あるいはずっと誰かに吐き出したかったのかもしれない。一番年嵩の中年男性が「そういうことなら」と口火を切った。
人の好さそうな顔をした男は自分を「商人」とだけ名乗った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私は長年この街でちょっとした商いをしている者です。
具体的な商いの内容は伏せさせていただきますが、ありがたいことにこれまで商いは順調でしてね。私の代でいくつか支店も出して、使用人も倍以上に増やすことができました。
──『景気が良くて何よりだ』と三人の内、がっしりした体躯の戦士が羨むように言う。
ありがとうございます。
仕事人間だった私ですが、十年ほど前に知人の紹介で今の妻と見合いをしましてね。慎ましやかな仕草に惹かれてすぐに求婚しました。もう本当に、自分でも驚くぐらいに熱烈に口説き落として、出会って半年後には結婚にこぎつけたんです。
長年子供には恵まれませんでしたが、それでも十分に私は幸せでした。商いは親戚の子にでも継がせてやればいいと思っていたところ、ちょうど一年程前に妻が懐妊したんです。
──『順風満帆ですね』と三人の内、フードで顔を隠した若い男が相槌を打つ。
──『ありがとうございます』しかし言葉とは裏腹に、商人の表情は苦々しいものだった。
あの時は本当に嬉しかった。
生まれたのは娘です。跡を継がせるのは難しいが、それでも全然かまわなかった。
嫁にやるのは嫌だったので、絶対に婿を貰おうなんて、気の早い話なんかしてね。
──そこまで言って暗い表情で黙り込んだ商人に、マスターが『何かあったんですか?』と気遣うように言う。
娘は……私の子供じゃなかったんです。
髪も目も全く私たちの特徴を継いでいなかったので、念のためと部下の勧めで魔術師に調べさせたら分かりました。
きっとその部下は薄々察していたんでしょうね。
娘の父親は、私が長年頼りにしていた腹心の男でした。
──『…………』
その後のことは……自分でも少しみっともない真似をしたと思います。私に気づかれていないと思っている妻と腹心を泳がせ、罠にかけ、徹底的に破滅させてやった。
やり過ぎた……とは思いません。別にそうしたところで何一つ気分は晴れませんでしたが、あれは私が前を向くために必要な行為でした。
娘に関しては妻──いや、元妻はとても子育てなんてできる状態ではなかった。私もあの女の面影のある子供を育てる自信がなかったので、相応の喜捨とともに付き合いのあった神殿に預けました。
全てにケリをつけて、これからは今まで以上に商いを頑張ろうと考えたんですが……。
──『何か問題でもあったのか?』と戦士が首を傾げる。
妻を腹心に寝取られていた話は身内だけでなく、同業の間でも広まってしまいましてね。いや、もちろん皆さん私に同情してくれて、大変だったなと仰ってくださるんです。
ですがその……商人としては舐められてしまったんですよ。人を見る目のない間抜けだとね。
──『…………』
商売人にとって、人を見る目と言うのは最も大切なスキルです。それが一番身近な人間の裏切りに長年気付けなかったなんて笑い話にもならない。家庭を疎かにしていたなんて言い訳するつもりもないし、疎かにしていたつもりも無かった。
彼らは表向きは私に同情しながら、裏では頼りない人間だと馬鹿にしています。
商談一つとってみても分かるんですよ。
以前ならすぐに理解して応諾してくれていた相手が、一つ一つ疑問を挟むようになってきた。
実際、数字にも影響は現れ始めてる。
心機一転、商いに精を出そうと思ったのに、こんなんじゃ……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……はは、暗い話をしてしまいましたね」
その場の空気が重くなったのを察し、商人が自分の話を打ち切る。その表情は話し始める前より、ほんの僅かだけ明るくなったように見える。
「なに、気にすんなよ。元々愚痴を吐き出そうって話だろ」
そう言って戦士はグイッと手元の蒸留酒をあおった。
「……くは。折角だ、俺の話も聞いてくれよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺のことは「戦士」とだけ呼んでくれ。
話を聞けばすぐに素性は分かるだろうが、そこはちゃんと知らんふりしてくれよ。
俺は元々農家の三男坊でね。
同じ村で育った幼馴染と三人一緒に冒険者になった。
ただ冒険者生活はスタートこそ順調だったが、すぐに一つの問題にぶつかった。
──『問題?』と商人が首を傾げた。
……才能さ。幼馴染二人は所謂天才ってやつでね。すぐに冒険者として頭角を現していった。対する俺は……全く才能が無いとまで卑下するつもりはないが、所謂凡人って奴だった。
後は分かるだろう? よく聞くパーティー追放騒動さ。
──『それは……』フードで顔を隠した男が言葉を失った。
別にそこは気にしないでくれよ。
そりゃ当時はかなりムカついて落ち込んだが、今から考えりゃ、あいつらが俺を追放した気持ちも分からんではない。
それにあの経験があったからこそ、俺は本気で剣に向き合う気になれたとも言える。
ドラゴンを倒せるような英雄になってやるって馬鹿なこと考えて、何度も無茶を繰り返して──実現した。
──男たちはそれを聞いて戦士の正体を悟る。二年前に辺境の古代竜を単独で討伐し、英雄として称えられたあの男だと。
幼馴染にも再会したよ。
もう一度会ったら『ざまぁみろ』って笑ってやろうと思ってたが、いざ会ってみると何も感じなかったな。
あいつらは色々言ってたが、正直何も覚えてない。ふ~ん、って感じだった。
──『素晴らしいことです……話を聞く限り、何も思い悩むことは無いように思うのですが?』
商人さん。あんたの言う通り、話がここで終わってりゃ、まさにハッピーエンドだったろうよ。
問題の話が俺のところに届いたのは半年ほど前だ。俺が竜を倒した領地の領主から苦情が来てな。
──『苦情……ですか?』意味が分からないと商人が首を傾げる。
ああ。平たく言えば『お前が竜を倒したせいで、竜が餌にしてた凶悪な魔物が増えて困ってる』ってな。
聞いた時は言いがかりだと思ったんだけどよ、確かにその古代竜は人から恐れられてはいたが特に何か害があるってわけでもなかった。俺が竜を狩ったのは人を守るためとかじゃなく、竜殺しの栄誉と竜の肉体っていう宝の山を手に入れるためだったんだ。
そのせいで迷惑被った奴がいるってんなら確かに申し訳ないとは思ってよ。定期的にその領に滞在して魔物を狩るって約束して話を収めたんだ。
──『少しお人好し過ぎる気もしますが』フードを被った男の言葉に戦士は苦笑しながら頷く。
ああ。今思えばもう少し考えるべきだった。
俺が軽く苦情を受け入れちまったせいで、なんつーか、こう……舐められちまったんだろうな。
これまで冒険者相手に何も言わなかった連中が文句言うようになったんだよ。
──『冒険者相手に……素行が悪いとかですか?』商人の言葉に戦士は苦笑して首を横に振る。
うんにゃ。『魔物を許可なく勝手に狩るな』だと。
ああ、そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔しないでくれ。気持ちは分かるけど、マジの話なんだ。
俺も初めて聞いた時は何言ってんだこいつ、って思ったんだけど、詳しく聞くと俺が古代竜を狩って起きたような問題が至る所で起きてたって話だったんだよ。
冒険者が素材目当てで好き勝手に魔物を狩るせいで、その土地の生態系が崩れちまう。本来なら地元の猟師が山道やらを整備しながら、獲物を狩り過ぎないよう調整してやってたのに、他所者の冒険者がふらっと来てはその苦労も知らず獲物を奪っていくとなれば、そりゃ文句の一つも言いたくなるわな。
これまでは地元も冒険者に危険な魔物の相手を任せてるって負い目もあったし、下手に文句言って逆上されたくないから黙ってたけど『古代竜を狩った英雄でさえ非難を受け入れたなら、他の一般冒険者も責めを負うべきでは?』なんて言い出す奴が出てきてさ。
ギルドや他の冒険者連中から、お前のせいで活動に支障が出てるって文句言われてんだけど……俺にどうしろって話だよ。
そりゃ俺が切っ掛けではあるけど……なぁ?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
戦士はそこまで喋ると、特に何か反応を求めていたわけではないのか、再びキツイ蒸留酒をグイッとあおって「ぷは~」と息を吐いた。
まさか吟遊詩人の英雄譚にもなっている英雄にこんなトラブルが降りかかっていたとは。話を聞いていた男たちは、それぞれの言い分も分かるだけに沈黙するしかなかった。
しかし戦士は話をしてそれなりに気が晴れたのか、フードを被った男にからかうように話しかけた。
「おい兄さん。人に話させてばっかじゃ不公平だろ。折角だからアンタも聞かせてくれよ」
「戦士様。無理強いは……」
マスターは悪酔いした戦士を制止しようとしたが、しかしフードの男は苦笑して「そうですね」と頷く。そしておもむろにフードの下に隠れていた素顔を露わにした。
『────』
それを見た男たちは絶句する。
この王都に住むものであれば、彼の顔を知らない者などいないだろう。
「私のことは……そうですね。弟王子とでも呼んでください」
そう言って彼は悪戯っぽく笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私には兄がいました。
二歳上の優秀な兄で、いずれは兄がこの国の王となり、自分はその補佐をするのだと教えられて育ちました。
そのことを不満に思うことはありませんでした。ええ、本当に。王位とか面倒くさいことは御免でしたからね。
唯一兄を羨むことがあったとすれば、それは兄の婚約者の存在です。
私の一つ年上の美しく聡明な侯爵令嬢で、恥ずかしくも私は彼女が初恋でした。母から彼女が兄の婚約者だと聞かされた夜は、ショックで一晩中泣き明かしたものですよ。
──この話の顛末を既に知っている男たちは、何も口を挟まず黙って弟王子の話を聞く。
とは言えその令嬢以上に将来の王妃として相応しい女性はいなかった。兄がボンクラならまだしも、私が彼女と結ばれる可能性はゼロに等しい。彼女も兄を慕っていましたから、私はすぐに諦めました。
……いえ、少し見栄を張りました。本当は諦めたフリをして、ひょっとしたらと期待してコソコソ陰で努力はしていたんです。誓って彼女の不幸を願ったわけではありませんがね。
──『…………』
幼い頃は兄と婚約者の仲は良好でしたが、兄が彼女より一年早く学院に入学したタイミングで、兄に悪い虫がつきました。どこの胤かも怪しい子爵令嬢です。
それを知った婚約者は最初は兄を嗜めましたが、兄が聞き入れようとしないので遊びならと渋々それを見逃していました。ですが兄はそれで図に乗ったのでしょうね。隠すことなく子爵令嬢との仲を見せびらかし、婚約者を粗雑に扱うようになっていきました。挙句、その子爵令嬢に何を吹き込まれたのか、学園の卒業パーティーで婚約破棄騒動を引き起こしてしまいます。
兄は第一王子である自分の言うことなら何でも通ると勘違いしていたようですが、侯爵令嬢との婚約は王命です。
未だ立太子していなかった王命に逆らったとして廃嫡され、私が王太子となることが決まりました。
──ここまでは、この国に住む者なら誰もが知っている約一年前の事件。能力的には優秀だったが女に溺れ道を踏み外した兄王子と王太子となった弟王子の物語だ。平民である男たちはその後の詳しい事情までは知らなかったが、話の流れからすると弟王子が兄王子の婚約者だった侯爵令嬢を娶ったのだろうと想像していた。
突然のことに驚きましたが、私は同時に喜んでもいましたよ。話を聞いてすぐ、兄の婚約者だった侯爵令嬢に求婚しました。
その時私は愚かにも、彼女が自分を受け入れてくれるものだと信じて疑っていませんでした。
──まさか、と男たちが息を呑む。
求婚は拒絶されました。兄の存在は彼女の心に深い傷を残した。彼女は兄と同じ血の流れた私と関わりを持ちたくないと言い、侯爵家もそれを支持しました。もちろんかなり婉曲な表現でしたけどね。
ショックでしたが、道理だとも思いましたよ。
私個人と彼女の仲は良好だと思っていましたが、兄の血縁者と関わりたくないというその気持ちもわかります。結局彼女はその後すぐに別の伯爵令息との婚約が決まりました。
──悲恋だな、と不憫に思う男たち。しかし弟王子の話はまだ終わらないようだった。
失恋はショックでしたが、私も王太子となった身。
王妃教育の問題もありましたから、早急に婚約者の選定を行うことになりました。
ただ何と言うか……非常に情けない話ではあるのですが、婚約者が決まらないのです。
──『えと……つまりそれが、弟王子、様の悩み、ですか?』おずおずと戦士が尋ねると、弟王子は苦い顔で笑った。
はい。
……ああ、とは言っても、別に私"が"選り好みをしているわけではないですよ。そもそも王家の選定基準を満たす令嬢やその家が、やんわりと私との婚約を拒絶しているのです。
──男たちは困惑する。弟王子は目立たないが聡明な王子であり、特に悪評などは流れていなかったはずだが……?
流石にこれには私も困りましてね。
側近を通じて、なぜこんなことになっているのか調べさせたのですよ。
すると、貴族令嬢の間で密かにとんでもない話が流れていることが分かりました。
──弟王子は気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸して、続けた。
要するに、あの兄と同じ血を引き、同じ水を飲んで育った弟も、兄と同様に何か問題があるのではないか、と。
──話を聞いた男たちは絶句した。
あのような蛮行に走った王子を生み出した血統と環境が今の王家。今は弟王子に目立った問題は見られないが、それはかつての兄王子も同じこと。しばらく王家とは距離を置くべきではないか。
それが真っ当な貴族令嬢とその家に流れている風説です。
ふざけるなと言いたい気持ちはありますが、表立って口にしているわけではありませんし、あの兄を生み出し放置した責任が王家にないとも言えない。こちらも非難や強制はできないし、したくない。
勿論、権力欲の強い家やその令嬢は私との婚約を希望していますが、流石にそうした家と縁を結ぶのは避けねばなりません。
とは言え、このまま婚約者が決まらなければいつまでも選り好みしているわけにもいきませんから……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そこまで口にして、弟王子は「まあ、こんなところに王族がいるはずがありませんから、ただの与太話と笑ってください」と淡く笑った。
商人も戦士も深入りする気はなく、同じように苦笑を浮かべて何も言わなかった。
「…………」
奇妙な連帯感が生まれる三人に対し、微妙に居心地が悪かったのは話を勧めたマスター。軽い気持ちで勧めたのに、まさかこんなどうしようもない話を聞かされるとは。
本当にどうしようもない。
マスターはスッと男たちの前に新たなグラスを差し出し、
「……私からの奢りです」
ハッピーエンドの遠い男たちは苦笑を深くし、一斉にそのグラスをあおった。