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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里
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第94話 第7章「森の中へ」その9

 だが蛇八郎はそんな宗次の嫌悪感などまるで気にしていないかのように話し続けた。

「堅柳さまにとっては少し残念な話しかもしれませぬが、兵士の数は計画当初より少ないおよそ三万人となります」

「なに…」

 宗次は眉をひそめた。

 蛇八郎は話を続けた。

「理由なのですが、非戦闘員を多く連れていくためとのことです」

「非戦闘員?」

「はい。具体的には、真叡教斎恩派の僧たちです。斎恩派としては、この機会に北部諸侯に拡がる成錬派を一掃し、斎恩派に再教化したい思惑(おもわく)があるようです。どうやら五百人を超える大僧団で、北部の各諸侯のもとに僧を駐屯させたいようです」

「ちょっと待ってくれ」

 さすがに宗次は声を上げた。

「今回の目的はあくまで北方の蛮族を征服するための遠征だ。われらが神奈ノ国にいる北部諸侯の再教化などではない。計画の初めから別方向を向いている集団が混じっていれば計画に支障をきたす可能性がある。いまからでもそれを止めさせるよう、王府に要請することはできるのか?」

 若干鼻息の荒い感じになった宗次であったが、蛇八郎は冷静に応えた。

「堅柳さまの言われることもごもっともです。ですが今回の決定に関しては斎恩派の明擁教主、そしてなにより総麗国王みずからのたっての願いということなのです。後日お二人様それぞれより堅柳様に僧団の守護を要請する正式な書面が届くことと思われます」

 宗次と勘治はそれを聞いてしばらく黙って立っていた。

 いつの間に彼らの周りには常人の影は見えなくなっている。

 みな宗次と蛇八郎の放つ蛇眼族特有の空気に追い払われたようであった。

「…わかった」

 だいぶ経ってから宗次は言った。

「情報をしらせてくれたこと、感謝する。ところでわれらはこれから北練井城に戻ってやらねばならぬことがある」

「そうなのですか。われらも北部でやらねばならぬ隠密の仕事があるゆえ、ここでひとまず別れなければならぬようです。ところで、鈴之緒(すずのお)一刹(いっせつ)さまとは円滑に計画を進めておられますか?」

 蛇八郎の問いに宗次は嫌味めいたものを感じた。

 この男は蛇眼の忍び団首領だ。

 堅柳家と鈴之緒家の因縁など知らぬはずはなかろう。

 そればかりか、神奈ノ国北部諸侯が堅柳家にどんな想いを持っているかも、我よりも知っているかもしれぬ。

 宗次はそう思いながらむすっとした調子で、

「一刹殿とはうまく話を進めているつもりだ。それが何か?」

と答えた。

「これは失礼しました。いや、というのも…」

 蛇八郎は長く見える顎に手をやり、なにやら思わせぶりな顔をする。

「鈴之緒一刹さまといえば、いまや北方鎮守府を統括する最高司令官であるばかりでなく、真叡教成錬派の第一の守護者であられます」

「そんなことはわかっている」

「一刹さまは成錬派の教えにのっとり、蛇眼族と常人との融和政策を推し進めてきたようですが、それに関しては北部の成錬派諸侯の間からも性急に過ぎるのではないか、という声が上がっているとか」

 正直、宗次にはあまり興味がないことだった。

「それが何か?」

と再び返す。

 蛇八郎は続けた。

「聞くところによると、一刹さまは従来の若者向け学問所を蛇眼族と常人が一緒になって教育を受ける学び(まなびや)に変えたとのこと」

「ふむ」

「ただ北部諸侯にも自分の子息を常人と共に学ばせようとする方はいなかったため、自らが先例として一人娘の雪音さまをその学び舎に通わせているとのことです」

「そうか」

「これはあくまで噂ですが」

 蛇八郎がわずかに宗次に近づき、声を低くした。

「雪音さまはたいそうお美しく、また蛇眼をも制する“(りゅう)(がん)”を持っているとの噂です。が、同時に常人とも分け隔てなく接するとのことで、彼らからたいそう慕われているとのこと。なんでも同学年の常人の男子と恋仲になっているとの噂もありまして。しかもその男子、学び舎のある寺に住み込みの孤児らしいのです」

「なんだ」

 さすがに宗次は(あき)れたような声を上げた。

「雪音殿の龍眼の噂なら私も知っている。実際に見たことはないがな。それ以外になにか重要な情報と思えば女子の色恋の話か。蛇眼の忍団はそんなことまで探るのか?」

「われらはなんでも探るのです」

 蛇八郎は無表情に答えた。

「いまは何の価値も無いかのように思える情報でも後々役に立つこともありますゆえ」

「では貴殿はそのような仕事に精を出すがよかろう。われらは帰る」

 宗次はろくにあいさつもせず、(きびす)を返してもと来た道を戻り始めた。

 蛇八郎はそんな宗次をみて少し()()()としたようにも見えた。

 佐之雄勘治は蛇八郎に軽く会釈をして、主君の後を追うように足早にその場を去った。


 宗次と勘治はしばらく無言で大通りを歩いた。

 しばらく歩くと周囲にまた常人の町人たちがちらほら見えて、生活感が戻ってくる。

 口を開いたのは宗次からであった。

「村祭りの騒動では加勢してもらったとはいえ、わしはあの男はどうも好かん」

 宗次が苦い表情で言う。

「宗次様。お気を付けください。相手は(しのび)です。どこで聞き耳を立てているやら」

 勘治は押し殺した声で答えるとさっきまで蛇八郎の立っていた場所を振り返って見た。

 そこにはすでに蛇八郎の姿も気配も無かった。

「わたしは別に聞かれても構わんがな」

 宗次は相変わらず苦い表情のまま言った。

「何も嘘は言っておらんしな。嘘でないと言えば、いまから北練井城に用があるのも本当だ」

「それは何ですか?」

 勘治がいぶかしげに尋ねる。

「まあ、着けばわかる。鈴之緒一刹殿が城にいれば良いのだがな」

 宗次の足取りは無意識にやや早くなり、年配者の勘治はついて行くのに苦労した。


 鈴之緒一刹と雪音は城の馬場にいた。

 雪音は愛馬・(かぜ)(きり)(まる)にまたがり、馬場の隅にいる。

 手綱を握りながらも左手に弓を持ち、背中には斜めに数本の矢が入った矢入れ筒がある。

 走る馬上から弓を射て的に当てる、“矢馳(やば)()”の鍛錬であった。

 いつも通り簡素な狩装束で頭にはイグサで編んだ小さめの笠をかぶっている。

 ただ長く真っ直ぐ伸びた黒髪はその中におさまらず、いつも背中に流したままだった。

 馬場の真ん中には、杭のてっぺんに据え付けられた木の板の的が立っている。

 木の板には白黒で二重丸が描かれていた。

 馬が走り抜ける道をはさんでその的の反対側に父親の一刹が立っている。

 一刹は剣術の稽古着を着て軽く腕組みをし、まだ離れたところで呼吸を整える一人娘を

見つめていた。

 雪音は準備が整うとふう、と息を吐いた。

 両の踵で軽く風切丸の腹を蹴る。

 雪音の愛馬はひひん、と一声いななくと走り出した。

 あっという間に並の馬の全速力ではないかという速さに達する。

 風切丸が名馬の評価を受ける理由のひとつがこの加速度なのだった。

 そしてそれ以上に風切丸が素晴らしいのは、どんな速さで駆けていても主人である雪音が落馬しないように気遣いができる、ということだった。

 いまも風切丸は雪音が体をわずかに浮かせたのを感じ取り、彼女の重心を感じ取りながらそれが自分の重心とずれないように走りながらも姿勢や速さを微妙に調節しているのだった。

 雪音は手綱を離し、右手を肩にやると背中にある矢入れ筒から矢を一本取るとそれを弓につがえた。

 そのまま矢を引き絞る。

 的が近づいて来た。

 そして的が雪音の横に来た瞬間、彼女は矢を放った。

 矢はうなりを上げ、吸い込まれるように的の真ん中に命中した。

 的が描かれていた木板が真っ二つに割れる音が響く。

 風切丸は雪音が再び手綱をとって重心を鞍の上に沈めたのを感じ取り、彼女が馬上でつんのめったりしないよう、ゆっくりと減速した。

 娘と愛馬がつくる一連の流れるような動きを静かに見ていた鈴之緒一刹は微笑み、拍手してそれを(たた)えた。

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