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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里


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第90話 第7章「森の中へ」その5

 北練(ほくね)()にはすでに肌寒く感じる風が吹き始めている。

 北国の夏は早く終わってしまうのだった。

 堅柳宗次は北練井の街をそぞろ歩きしていた。

 すぐ斜め後ろにはいつものように佐之雄勘治がまるで関係ない風を装って尾行しているかのようについている。

 二人とも、身なりは常人の町人に間違われそうなぐらい地味な着物であった。

 もっと若い頃から、堅柳宗次は王府の招集で(けい)(おん)の都に駐在しているときに、都見物したいと言ってよくお忍びで街中を歩き回りたがった。

 宗次は一人で行動したがったのだが、家臣は常に彼について行こうとした。

 堅柳家の当主に万が一でもなにかあったら大変です、常に連絡を取れる状況にしておかないと、というのが家臣たちの言い分だった。

 正直、蛇眼と武術の腕では私にかなう家臣はおらんのだがなあ、と宗次は愚痴ったものだった。

 が、結局ほとんどの場合において宗次が“お忍び”で出かける際は家臣が離れた場所で見守ることとなった。

 と言っても今回のように見守り役はほとんど佐之(さの)()(かん)()が務めている。

 若い春日野(かすがの)慶次郎(けいじろう)が務めることも過去あったが、今回の先遣隊の旅で北練井に着いてから無理がたたったのか、また傷ついた右脚の調子が悪くなり、宗次と勘治が説得して半ば強制的に休ませているのだった。


 頬をやや冷たい風が撫ぜていく。

 いいものだな、と宗次は思う。

 北練井城の中ばかりにいると息がつまる、と思う。

 北練井には北の大崖と呼ばれる大峡谷の(へり)に位置する北の大門とその横に位置する旧処刑場を北側の極とし、北練井城を中心として長い防御壁が作られている。

 その内側が旧市街であり、いまでも多くの人々がその中に住んでいる。

 だが北練井がそんな要塞都市として始まってから数百年が過ぎ、いまでは市街も防御壁の内側だけにとどまらず、外へあふれ出すように広がっている。

 いわゆる新市街と呼ばれる場所で、いま宗次が昼下がりに歩いているのもそんな新市街で最もにぎわっている通りなのだった。

 宗次はそこをゆっくり歩きながら、この数日のことを思いだしていた。


 宗次率いる先遣隊は苦労して、死者まで出す災難に会って北練井までたどり着いた。

 北練井にたどり着いてから二日間、さすがの堅柳宗次も徹底して休息を取らざるを得なかった。

 自分でも意識していなかったが、そこまで疲労が蓄積していたのだった。

 ただその完全休養の二日間が過ぎると、宗次は再び精力的に動き始めた。

 彼がまずしたことは、実際に自分の目で北の大門が開いているのを見ることだった。

 実のところ、宗次は北の大門が塞がっているとき、つまり“北の大壁”といわれているときをみたことがない。

 彼の父親である堅柳(けんりゅう)宗矩(むねのり)の軍は第三次北方遠征の際、敵である北方の軍に急襲され、撤退して北の大橋を渡って戻るところまで来た。

 そして当時の北の大壁を急ごしらえの梯子(はしご)や綱を伝って超えようとしたところを北方の軍、いまだ実体のはっきりつかめない、神奈ノ国の王府に言わせれば蛮族の軍の射る弓矢の餌食となってしまったのだった。

 その後、夫を失った宗次の母親は北方の話を病気で亡くなるまで全くすることは無かった。

 母の北方を忌み嫌う気持ちは幼い宗次もなんとなく感じていた。

 だからあえて北方に出向くことなどまったく話にも出なかったのだった。


 まだ午前中の日光を浴びながら宗次は土嚢を積んでつくった急ごしらえの阻壁をよじ登るようにして乗り越え、はじめて北の大門の前に立った。

 佐之雄勘治もついて来ていた。

 北の大門は巨大で無機質な立方体のようだった。

 その中央には上面が弧を描くこれも巨大な開口部がある。

 すぐその先にあるのは、おなじく白い北の大橋だった。橋の上面にあたる通路が一本道のように伸びている。

 普通に歩けば十分以上はかかりそうな長い橋だった。

 遠くに小さく、向こう側の端に同じ形の門が見えている。

 そちら側の門は前史文明時代に作られて以来、閉ざされることなく何千年も前からそのままだという。

 単純で美しい形をもつ橋が古代より架かっているのは列島世界で最も大きな峡谷である。

 その大峡谷は列島のうち最大の中津大島の北三分の一を分割している。

 その南側がこちら側、つまり神奈ノ国の北限である。

 そして大峡谷の北側には神奈ノ国にとっては未知の北方、慶恩の都にある王府に言わせれば蛮族の支配する未知の王国があるはずの地が広がっているのだった。

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