第9話 第1章「北練井の学問所」その3
神奈ノ(の)国の国教である真叡教の寺院であり、また“学問所”と呼ばれる学び舎の庭でもある草地に一本古くて大きな木が生えている。
その木陰でわずかに斜面になっているところがあって、なるほど昼寝にはもってこいの場所なのだった。
蒼馬はそんな場所から上半身を起こし、両腕を挙げて“伸び”をし、あくびしながら言った。
「君だって城の庭じゃさんざん馳弓の稽古をしてるじゃないか」
馳弓というのは駆ける馬に乗りながら弓を射る技術のことだ。
「それにしょうがないよ。選択科目で武術の稽古を選んじゃったし。今のままじゃ卒業後このまま寺男として寺院の用務員を続けなくちゃいけないだろう?でもそれ以外にもほら、刀が振れたらいざというときに北の大壁の警備兵とかできそうじゃないか。将来の可能性を広げられるとなれば、気合も入るもんだよ」
「まったくもう」
雪音は蒼馬のそばにある木の根に腰を降ろした。
「なんでそんな風に自分の将来を限定してしまうのかしら。別に北練井に住んでいるからといって北の大壁や国境の警備に関わる仕事ばかりではないのよ。実際農家とか猟師とか商売人とか役人さんもいるでしょう?そんなことよりあなたさっき、以前わたしに話した夢をまた見ていたんでしょう」
蒼馬はどきりとした。
「その通りだけど・・・どうしてわかったの?読心術ってやつ?」
「ただの勘よ。私が心を読む術を使ったんじゃないかって疑ってるでしょ?最近色々研究してるんだけど、私たち蛇眼族が力を使うときって人の心を服従させるじゃない?でも、その心をちゃんと見たり、知ることができてるわけじゃないの。犬や馬にいうことをきかせられても、彼らの心の動きまで完全にわかっているわけではないのと同じよ。ああ、人を犬や馬に例えるなんてひどかったわ」
「別にいいよ」
「うーん、別の例えをするなら…いま公には禁じられてるけど、普通の人間でも呪術師とかって催眠術を使うでしょう?もし呪術師に催眠術が使えたとしても読心術ができるわけではないのと同じなのよ」
「なんとなくわかるような気もする…」
「つまりもし誰かがあなたの心を操れたとしても、その人物はあなたの心を見ることができているわけではないの。そこに何て言うか…勝機があるのよ」
蒼馬はどきりとした。勝機ってどういう意味だろう?蛇眼を持たない常人が蛇眼族に勝てるということ?
雪音は踏み込んではいけないところに踏み込んで話しているのではないだろうか。
雪音自身もそう感じたのか、話題を変えた。
「それにしても十年ぐらいも前のことをよくそんなに夢にまで見たりするのね。わたしが“龍眼”を使ったのがそんなに驚きだったの?」
蛇眼族が常人にかけるのを“蛇眼”というなら、蛇眼族が蛇眼族にかけるのを一段上の“龍眼”というらしい。
言い換えれば、普通蛇眼族同士で人を意のままに操るその神通力は使えないらしい。
「うーん、そうかもしれない。だって結局君がその“力”ってのを使ってるのを見たのはそれが最初で最後だったからさ」
「そう?でも実はね、こっそり“力”を使う練習はしてるのよ」
「え、どうやって?」
そこにいきなり横槍が入った。
「またふたりでこそこそと話し込んでる!」
「最近はあからさまに仲がいいのね」
木の後ろから声がしたのだ。
夢に出てきていた赤間康太と椎原加衣奈だった。