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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里


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第88話 第7章「森の中へ」その3

 一方、堅柳宗次たちが発った後、慶恩の都で連日行われていたのは情報の収集と会議だった。

 本来今回の計画は北方侵攻計画であり、純粋な軍事的計画だった。

 従って本来ならば王府と八家門の軍事の専門家、つまり武家の武人たちが会議の中心となるはずであったし、実際過去の北方侵攻計画の際は自然とそうなった。

 ところが今回は事情が異なっていた。

 宗教関係者、つまり国教である真叡教の斎恩派の僧が多くを占めていた。

 これには理由がある。

 二十年以上経った前回の第三次北方侵攻計画のときには注目されず、従って議論もされなかった成錬派の台頭がそれであった。

 そして今も慶恩城内の会議の間で熱弁をふるっているのは斎恩派の僧侶、しかも現教主の明擁(めいよう)大僧正に次ぐ権力を誇ると言われる儀礼僧長、()(どく)であった。

「ですから!」

 智独は座りながらも身を乗り出し、口角泡を飛ばす勢いで話し続けた。

 広い板の間で部屋一つ分はありそうな大きな地図を広げ、その向こうに数人の議論の相手たちが智独と対するように地図沿いに並び、敷物に座って顎に手をやっている。

 彼らは王府の軍事責任者たちと、加えて八家門会議のなかから特に北方侵攻計画に積極的に賛同している(すう)禅寺(ぜんじ)家の当主・(たけ)(よし)がいる。

 そして何も表立って表明していないが、いや、それ故に侵攻消極派と思われている来栖(くるす)家の現当主、(こう)史郎(しろう)も同席していた。

 骨太でいかにも武人の崇禅時武義と比べると来栖幸史郎は細身で絵にかいたような文人、というか文学青年である。

 智独もまた、数人以上の部下を横に従え、大きな地図の横に僧衣の集団がずらりと並んでいる。

「今回の侵攻作戦において重要なことは、北部の武家たちの協力です」

智独は続けた。

「ところが、です。かれらのほとんどは北方侵攻にまるで積極的ではない。それどころか北方の蛮族国家と和睦を結ぼうなどと言い始める武家も出ておるのです」

「そ、それにはいくつか背景があると思う。最近出た論説文を読んだのだけれど」

 若く、蒼白い細面の来栖幸史郎がどもりながら、片手に持った糸綴じのやや厚い本を持ち上げた。

彼はこのような場面になると莫大な読書量から得られた知識によって返答するのが常なのだった。

「鈴之緒家の信望が厚いから不満の声も大きくなっていないけど、北方鎮守府と北練井の街の大部分を北部の諸侯で維持するのは結構な負担だと思う。王府もかなりの負担はしてるけど、正直八家門の負担はそれほど大きくはないんだ。それに北方の脅威を強調しすぎることで北部の経済発展を抑制している面もある。結果慶恩の都周辺の地域と格差が広がって不満を持つ者も出てきてる。北方との和睦を唱えてるのはいわば急進派じゃないだろうか」

「左様」

 豪華な僧衣に身を包んだ、壮年の男である智独はあからさまにこの理屈っぽい若造が、と見下すような態度を隠そうともせず、一言で返した。

 幸史郎は続けようとした。

「つまり、まず必要なことは制度的な不公平感を無くすことなんだと思う。北方防衛の問題にしたってもっと神奈ノ国全体で負担を共有する制度を…」

「まず必要なことは!」

 智独がいきなりしびれを切らしたように目の前に敷かれた北部全体の巨大な地図を手のひらでぴしゃりと叩いた。

 幸史郎は目を丸くして智独を見つめ、黙り込んだ。

 崇禅寺武義は動ぜず、幸史郎の横で胡坐をかいて腕を組み、ほぼ両目を閉じてうつむいている。

 怒鳴りたいのを我慢している風にも見えなくはない。

「…そのような北部の不満に乗じて勢力を広げた異端の宗派を取り締まることなのです」

やや落ち着きを取り戻した智独が言葉を続けた。

「…そ、それは成錬派のことですか?」

来栖幸史郎がおずおずといった調子で尋ねる。

「左様。あのわざとらしく()()をまとった連中のことです」

智独は憮然とした調子で返した。

ここで崇禅寺武義が姿勢を崩さないまま口を開いた。

「たしかに、成錬派とか称する僧たちの身なりは大変質素だと聞いたことがある。華美なまでの僧衣を常に身にまとって権勢を誇示する斎恩派に対するあてこすりのようだとな」

それを聞くと智独はきっと武義を鋭く睨みつけた。まるでここにも一人、異端の蛇眼族がいるのを見つけたと言わんばかりだった。

「それで、智独様は彼ら成錬派の行動が謀反的だと(おっしゃ)るのですな?」

「左様です」

武義の言葉に智独が憮然として返答する。

「して、あなたはそれに対してどのような対応策をとろうというのですかな?」

崇禅寺武義は腕を組んだまま、わざとらしく回りくどい言い方をした。

智独を落ち着かせたいのと、それ以上に智独に対する嫌悪感を漂わせている。

それに武義は武人であり、いまも静かな圧を発し続けていた。

それに気づいたのか、智独は一度大きく息を吸うと、今までより落ち着いた調子で話し出した。

「これは既に明擁(めいよう)教主さまのお許しを得たことですが」

智独は続けた。

「堅柳宗次様の率いる先遣隊が北練井で準備を整えている間に、本隊を編成し慶恩の都より出発する予定です。従来の予定では王府の直轄軍と八家門からの連合軍の予定でした」

「そうですな。われらも加わるべく準備を進めておるところです」

武義が頷きながら言う。

「そこに我々真叡教斎恩派の僧団も加えて頂く所存です」

(すで)に決定事項のように語る智独に崇禅寺武義はあからさまに不快そうな表情を浮かべた。

床に広げられた北部の地図に視線を落としていた来栖幸史郎は意外そうな表情を浮かべて

顔を上げた。

「で、その派遣される僧団はどれぐらいの規模にされるつもりですかな?」

武義が憮然(ぶぜん)とした調子で尋ねる。

「大僧団です!百名を超えるほどの!」

智独が高揚したように声を張り上げた。

「ちょ、ちょっと待ってください」

来栖幸史郎がどもりながらも冷静に声を上げた。

「こ、今回慶恩の都を発つのは堅柳さんの先遣隊に続く本隊、つまり本格的な北方侵攻のための軍隊です。北部の諸侯の協力が思わしくなかった場合も織り込んで最悪我ら南部だけでも対応できるようにするためかなりの軍勢になるんですよ。それも北練井に着くまで、そして着いてからも維持できるぎりぎりの人数をいま調整しているところなんです。そこに非戦闘員の僧が百人以上帯同するとなると…」

「兵士の人数をいくらか削らなければならんかもな」

武義が苦虫を嚙み潰したような表情で付け加えた。

「ですから!」

智独が高僧らしくもなく、再びいらだった声を上げる。

「これだけの斎恩派の僧を動員する理由は、まさしくその北部の諸侯を従わせるためなのです」

「ほう。というと?」

武義が訊く。

智独は続けた。

「この機会に北部の諸侯をたぶらかす成錬派を一掃し、代わって彼らの領地に我ら斎恩派の僧を駐留させます。恒常的に、です。そうやって彼ら北部の信徒を再教化し、改めて慶恩の王府と斎恩派総本山を二大頂点とする統治の仕組みを整えるのです」

「ほう…」

「そうすれば北方侵攻などいつでもできますし、北部の諸侯も協力してくれるでしょう。いや、協力させなければなりません」

「それだけの強制力を確立させると?真叡教斎恩派が?」

武義の問いに智独は自信たっぷりといった様子で(うなず)いた。

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