第82話 第6章「堅柳宗次、北へ。」その13
小屋からは物音ひとつしない。
もしかしたら蝋燭を点けたままにして彼らはもう一人残らず逃げてしまったのでは̶̶̶。
慶次郎の心に焦りが生じた。
何か言ってみろ、と小さな身振りと口を動かして宗次が慶次郎に促す。
慶次郎は頷くと大声を出した。
「おい!小屋の中にいる旅芸人たちよ!いますぐ武器を持たずに両手を上げて小屋から全員出てくるのだ。さもなくば̶̶̶」
そのときだった。
小屋の中から声が聞こえてきた。
「もはや蛇眼は恐れるに足らず。
わたしの手足、
わたしの眼、
わたしの心は自由に動く。
いかなる蛇眼もわたしの動きを止められぬ」
老女の声であった。
慶次郎は思わず宗次の方を向いて叫んだ。
「やはり奴らです!処刑の儀式のときも奴らはこの声を使って̶̶̶」
その瞬間、裏側の扉が吹き飛んだ。
同時に何か複数の光るものがが小屋の中から飛んでくる。
それが同時に二人の武士の額に突き刺さり、かれらはかすかにうめき声を出しただけでどうと倒れた。
手裏剣であった。
そして八人ほどの黒装束の者が小屋から飛び出してくると森に向かって走り出した。
非常に速い。
かれらのなかには女や老女までいるはずなのに何という速さだ。
慶次郎は心の中で恐慌を抑えながら、傷で痛む右脚のことも忘れたかのように小屋を回り込んで忍者たちに追いすがった。
小屋の裏手にはまだ二人武士がいた。
かれらは忍者たちに蛇眼を向け止まれ、と叫ぶがやはり効かない。
そして黒装束の者たちは四角い鍔のやや短い刀を抜き、裏手で生き残った武士二人にそれぞれ一人づつが斬りかかった。
武士二人は応戦し、刀がぶつかりあって火花が飛ぶ。
そこに宗次も参戦し、飛び込むように忍者に斬りかかる。
忍者は後ろに飛びのくようにして宗次の一太刀を避けた。
一瞬黒頭巾からのぞく忍者の両眼と目が合い、宗次は両眼に力を込めるようにして蛇眼を放ち、止まれっ、と叫ぶ。
一瞬効いたかと思われたが、次の瞬間、力を逸らされるような感触が伝わる。忍者はすぐに視線を外した。
“声”による蛇眼破りだ、とお互い刀を構えて忍者と対峙した宗次は思った。
蛇眼は言うなれば非常に強力な暗示である、という考え方がある。
なればそれを超える暗示をかけておけば蛇眼にもかからない。
それが蛇眼破りの声、というわけだった。
それにしても今までになくしぶとい、と宗次は思う。
いま野原に残る忍者は二人。
一人は堅柳宗次、もう一人は春日野慶次郎を中心に手裏剣から逃れた三人ずつの武士を相手にしようとしている。
斬り合えば忍者たちに勝ち目はない。
残りの忍者たちは森に飛び込んでいく。
この二人は自分たちを犠牲にして仲間を逃がす気か、と宗次は思う。
見たところ体格から二人とも壮年らしき男だ。
生け捕りにして責め、なにかを吐かせようとしたところで無意味だろう。
はなから自らを犠牲にする気なら、そうしようとする前に自死を選ぶだろう。
その前に蛇眼を効かすことができれば話は別だが。
ならば、と宗次は素早く判断を下した。
目の前の忍者を見据えながら大声で命令を下す。
「この一人は私、もう一人は慶次郎とあと一人の二人で相手をする。あとの者は森に逃げた者どもを追え。生け捕りにして奴らの企みを吐かせるのだ。老女もいるから逃げ足は速くないはずだ。行けっ」
了解、と叫んで生き残っている武士たちは命令に従った。
宗次たち三人を残し、他の三人の武士が漆黒の森に飛び込んでいく。
夜の闇のなか、草原で四角い鍔の独特の刀を構え、背中合わせに立っている黒装束の忍者二人はそれを見て一瞬ひるんだように見えた。
しめた、と宗次は思う。
かれら忍者たちの蛇眼破りはどうもある老女の声が必要らしい。
その老女の声に蛇眼破りの力が宿っているのだろう。
だが、すでに老女はこの二人から離れている。
時間が経つにつれ、蛇眼破りの効力も薄れてくるだろう。
そうすれば彼らの知っていることを吐かせるのも可能かもしれない。
どうやって時間を稼ぐか…宗次が思った時だった。
一瞬の隙を突いて二人の忍者は申し合わせたように同時に懐に片手を突っ込み、袋のようなものを掴んでそれを地面に叩きつけた。
ボンッ、と爆発音がして飛び広がるような勢いで紫色がかった煙が広がった。
なにも見えなくなる。
「くそっ!」
春日野慶次郎が剣を振り回すようにして煙を払いながら思わず叫ぶ。
「宗次さま、忍法紫煙の技です!北の忍びもこの薬品を持っていたとは!」
慶次郎が振り回した刀が堅柳宗次の構えた刀に当たり、火花とともに甲高い金属音が響いた。
「すっ、すみません」
思わず謝る慶次郎に宗次が
「ひるむなっ。相手の思う壺だ」
と一喝する。
宗次は刀を中段に構えた姿勢を崩さぬまま、夜の闇の中で広がる紫の煙のなかをずんずんと進んだ。広場から漏れてくる篝火の灯りだけが頼りだった。
慶次郎も刀を構え直し、宗次の斜め後ろから遅れてついてくる。
煙の向こうは……宗次の思った通りだった。
北からの忍者二人は蛇眼の武士団に斬りかかることを選ばず、逃げることを選んでいた。
と、彼らが仲間を追って逃げ込んでいったであろう森から黒く小さい何かがうなりをあげて飛んできた。
慶次郎がそれを刀で野原に叩き落とし、
「二度とくらうかっ」
と吠える。
飛んできたのは手裏剣であった。
「森に入って奴らを探し、仕留めてみせます」
と暗闇が広がる森へ飛び込む体勢になっている慶次郎に
「いや、まて」
と宗次が片手を伸ばして制止する。
「奴らがそのまま逃げれば良いものを手裏剣など投げてきたのはどうしてだ?」
宗次は慶次郎に問いかけた。
「奴らはやはり囮となって他の仲間を逃がすつもりだろう。下手に追うと森の帰れない場所まで誘い込まれるぞ」
「しかし…」
慶次郎は悔しがっていた。
宗次はなおも言った。
「無念だが、森は彼らの領分だろう。追うつもりで入ってしまえば迷ったところを返り討ちに合うぞ」
そのときだった。
刀がぶつかり合う金属音が森の奥から響いてきた。
火花が散るのが森の外からでも見える。
続いて鋼の刃によって肉が斬られ、骨にぶつかる鈍い音。
そして刃が素早く引かれ、間髪を入れず腹に突き刺さり、内臓を貫く音。
男の呻き声が聞こえた。
宗次と慶次郎、もうひとりの武士三人は固唾をのんで森の奥の暗闇に目をこらした。
すると黒装束の男がひとり、ふらふらと森から出てきた。
先程の忍者の一人であった。
慶次郎が刀を手に思わず駆け寄ろうとする。
待てっ、と宗次が片手で制し慶次郎を止めた。
忍者の顔を覆っていた黒頭巾が斬り合いのせいで外れ、露わになっている。
壮年の、武骨な男の顔であった。
男はかろうじて片手に忍者刀を握っていたが、両手は力なくだらりと垂れている。
三人の蛇眼族が見つめるなか、北からの忍者はただ虚ろな目をして遠くの光、広場の篝火を見ているようだった。
その口から鮮血がどっとあふれてくる。
忍者の男は体を揺らめかせると、次の瞬間頭からどうと野原に倒れた。
野原には蛇眼族の武士二人、北からの忍者一人の三人の死体が横たわることになった。
「大変なことになりましたな」
突然森から声が響いた。
少し皮肉的な口ぶりの、男の声であった。




