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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里
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第80話 第6章「堅柳宗次、北へ。」その11

 土の色の着物を着たその小柄な老女もまた、旅芸人一座の一員、のはずであった。

 一座の飯炊きやその他もろもろの世話をするために同行しているはずである。

 その老女がいま、手に提灯を持ってこの世の外から聞こえてくるような声を発しながらこちらに近づいてくるのであった。

 そしてその瞬間、異変は起こった。

 緑色の着物の男が突如弾かれたように後ろに飛びのいた。

 黒木峯之助はあわてたように刀を振り下ろしたが、それは納屋の中で空を切った。

 残っていた村娘がここではじめてひいっ、という悲鳴を上げて走って逃げていく。

 しまった、と黒木峯之助は思ったが、ここで瞬間的に彼の悪知恵がはたらいた。

「蛇眼破りだ!」

 峯之助は大声で(わめ)き散らし始めた。

「旅芸人の奴らが蛇眼破りを使ったぞ!」

 神奈ノ国の蛇眼族においては蛇眼破り、というものにたいしてある種暗黙の了解がある。

 蛇眼族が蛇眼禁忌式目に反して常人に蛇眼を使うことがあったとする。

 そして常人がそれに対抗して蛇眼破りを行った場合、即座に斬り捨ててもその件では蛇眼族側は罪に問われない、というものであった。

 (おおやけ)には蛇眼破りなどというものは存在しない。

 蛇眼が破られたりするなどありえない、ということになっているので法として明文化はされていない。

 だが、蛇眼破りを最も恐れる蛇眼族の間でそれは不文律となっている。

 黒木峯之助はそこを強調して、自分の罪をうやむやにしようと思いついたのだった。

「ここに蛇眼破りの謀反人どもがいるぞ!」

 黒木峯之助は刀を振り回しながら大声で喚き続けた。

「旅芸人どもが蛇眼破りを——」

 だがそこで峯之助の声は途絶えた。

 彼の額から一筋の鮮血が流れ落ちる。

 峯之助の額には深々と小刀型の手裏剣が刺さっていた。

 緑色の着物の男が懐から手裏剣を取り出し、彼に放ったのであった。

 峯之助はその場で倒れ、自分に何が起こったのかよく理解できぬまま絶命することとなった。

 倒れた体が地面に置いた提灯に当たり、それを横に倒した。

 提灯の外張りの紙が引火して燃え始め、それはあっという間に納屋に積んでいた(わら)に広がっていった。


「仕方がねえ!」

 緑の着物の男は手裏剣を命中させた後で老女の方を向いて叫んだ。

「みな逃げるぞ!」


 一方で、峯之助の(わめ)き声は祭りの場にまで届いていた。

「蛇眼破りだ!」

 その叫びが祭りの場にまで響いてきた時点で皆は硬直したように動きを止めた。

 何か引っかかった気分のまま丸太の上に座り、ほろ酔い気分だった春日野慶次郎もお猪口と徳利を持った手を止め、声の聞こえた方向を見た。

 旅芸人たちも演奏を止め、踊り子も舞うのを止めて狐の面越しに仲間と顔を見合わせる。

「旅芸人どもが蛇眼破りを——」

 もう一度絶叫が聞こえ、それはすぐに途絶えた。

 どう、と人が倒れるような音が聞こえてきて、次いで誰か別の人物が叫んでいる。

 逃げるぞ、と言ってなかったか?

 春日野慶次郎はそう思って立ち上がり、何事か確認しようと声の聞こえた方向、広場の外れにあるおんぼろの納屋にまで歩き出そうとした。

 祭りの群衆からどうしたんだ、という声が上がり、皆浮足立ったように騒ぎ始めている。

「みんな落ち着け。その場に待機しろ」

 その場にいた者の中で最高位だった慶次郎は大声で指示を飛ばした。

 少し酔っているせいか、あまり声が通らない。

 先刻まで踊り狂っており、いまは棒立ちになっている群衆をかき分けるようにして慶次郎が納屋の方向に向かおうとしているとき、まさにその納屋から火の手が上がるのが見えた。

「火事だ!」

 誰かが大声を上げ、兵士と村人からなる群衆は今までの当惑したような空気からすぐに蜂の巣をつついたような騒ぎへと変わった。

「おい、そこの村人!井戸はどこだ!早く水をかけろ!」

と、兵士のひとりが男の村人にがなり立てる。

 村人は井戸の方向を指さし、すぐに数人の村人と兵士がそちらに駆けて行こうとした。

 春日野慶次郎は井戸に向かって駆けていく男たちとあやうくぶつかりそうになりながら、自分は一足先に納屋にたどり着こうとした。

 何かが納屋で起こった。

 それをまず確かめねば、と思ったのだった。

 傷跡が痛む右脚をかばいながら駆けだそうとしたとき、慶次郎はふと振り返っていままで群衆が踊り狂っていた場を見た。

 狐の面を被った、若い女性らしき踊り手と、楽器の奏者である男たちは足音を(ひそ)めるようにして(かがり)()の輪から抜け出し、火事の起こっている方向とは反対にある夜の闇の中へと消えようとしていた。

 いきなり慶次郎の脳内に電撃が走ったようになり、彼は立ち尽くした。

 彼は祭りが始まってからずっと感じていた違和感の正体を知った。

 あの旅芸人たち……

 慶次郎は確信し、周りに右往左往している兵士たちに大声を張り上げた。

「おい!あの旅芸人たちを捕まえろ!」

 その声が聞こえた幾人の兵士たちが立ち止まり、きょとんとした顔で慶次郎を見る。

「奴らは(しのび)だ!」

 慶次郎はなおも叫んだ。

「北からの忍なのだ!」

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