第7話 第1章「北練井の学問所」その1
ここまで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。
今回から第1章です。蛇眼族の国「神奈ノ国」の北限にある街、「北練井」に物語の舞台が移ります。
コンスタントに更新していければと思います。引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。
草原蒼馬にはよく思い出す子供時代、七歳の頃の記憶がある。
実際彼はよくそれを夢に見たり、心によみがえらせたりするのだが、いまもそれが起こっているのだった。
彼は三人の友達と共に遊んでいる。
鈴之緒雪音という名の少女、そしてもう二人は男子の赤間康太、女子の椎原加衣奈だ。
四人は野原にいる。といっても彼らが住む街の外から完全に出ているわけではない。北練井の街の中心部から少し離れた空き地が野原になっているのだった。
蛇眼族が統べる国の名は神奈ノ国というのだが、その勢力範囲は中津大島のかなりの部分を占める。もとは三つの大島のうちその名の通り南に位置する南之大島も手中におさめていたのだが現在は海峡の交通がままならなくなり、完全な統治には至っていない。中央にある最大の面積を誇る中津大島のうち、北の四分の一ほどを除いては全てが神奈ノ国である。
ちなみに北之大島は蛇眼族にとってはいまだ未知の領域であった。
そして蒼馬の育った街は、神奈ノ国の北限である、中津大島を横切る巨大な峡谷である“北之大崖”に接するように築かれた街、北練井だった。
その街には築かれたときから北方鎮守府が置かれている。つまり初めから国境守護の役割を持って産まれた軍事の街なのだった。
夢の中の四人のうち、蒼馬を除く三人はそこで生まれ、現在までずっと過ごしている。
何をしていたのだろう。花でも摘んでいたのか、あるいは鬼ごっこでもしていたのだろうか。ともかくその時の蒼馬にとってはこの三人と一緒にいるのがたまらなく楽しく、ただ夢中になって遊んでいた。
ただ、そんな子供だけの無邪気な世界にもやがて大人がやって来る。
広々とした空き地の隅に馬が一頭と、その横に立って子供たちを遠くから見守っていた男がはじめからいたのだが、その男が後ほどやってきた馬に乗っている他の男に深々と礼をし、次いでこちらを指差してなにか説明している。
ふたりとも武家と貴族の趣向が合わさったような、動きやすく優雅さも感じさせる紺色の着物に、頭には黒く小さめで丈の低い武家用の被り物をしている。
後から馬でやって来た男は雪音の父、鈴之緒一刹である。鈴之緒家は北練井の首長にして、北方鎮守府将軍をも代々務めてきたが、いまは彼が当主でその役目を神奈ノ国王から任命されているのだった。
もうひとり、はじめからいた男の名は賀屋禄朗という。一刹の補佐役であり、またしばしば雪音の世話役のような役目も果たしていた。
二人は馬を停め、鞍から降りた。
細身で小柄な六郎だけが、手綱を引いて自分の馬と共にこちらに近付いて来る。
「雪姫様」
彼は雪音に愛称で呼びかけた。
「常人の子らとはもう充分に遊びましたか?」
「変な言い方しないで。わたしだってふつうの人間よ」
雪音が口を尖らせて言い返す。
「確かにそうですな。これは失礼いたしました」
禄郎はにこやかに、飄々(ひょうひょう)とした感じで応じた。
「お父様が呼んでおられますよ。もう城に帰る時間です」
「いやよ。もっと遊びたい」
雪音が反抗する。
「まあそうわがままを言いなさるな。もうお家に帰ってお父様と夕飯を食べる時間ですぞ」
「そんなこと言うなら“じゃがん”を使うわよ」
蒼馬たち三人の友達は子供心にもその言葉に不安を覚え、ただ突っ立って二人のやり取りを見ていた。
禄郎は相変わらず飄々とした感じで雪音を諭した。
「ほう、もう蛇眼を使い始めようとはさすが天才児と言われる雪姫様、早いですな。ただそういうことに我らの神通力を使うとは、掟破りですぞ。雪姫様には他の子よりずっと早く我らの法典を教えねばなりませぬな。それに私とて蛇眼族の一員、そうやすやすと蛇眼の技にはかかりませぬよ。なんならやってみますか?」
「ふん!じゃあやってみるから!」
雪音はそういうと目を閉じ、深呼吸すると開いた。
するとその目の奥からほとばしるように紅い炎が放たれる。
面白いものでも観るように腕を組み、にやついて立っていた禄郎であったが、彼女と目を合わせた途端に、小さく見えない雷にでも打たれたかのように体をぶるっと震わせ、金縛りにあったように動けなくなった。その両眼は視線を動かすこともままならず、ただ驚愕に満ちて自分の前に立ち、こちらをにらむ少女をみつめている。
「こらっ!」
怒声が響き渡った。
雪音の父、鈴之緒一刹であった。
いつの間に馬から降り、手綱を引いて大柄な体を揺らし大股で近づいてくる。
「なにをしているんだっ!」
続けて一刹が怒鳴るとその瞬間、禄郎が首を絞められて落ちかける一瞬前に解かれたかのように息をはあっと吐き、へなへなとその場にへたりこんだ。
「雪姫様が…私に…蛇眼をかけましたぞ!」
禄郎がへたりこんで息を乱したまま、なんとか言葉を発する。
「いや、私とて出来は悪いが蛇眼族、その私にこうも易々と蛇眼をかけるとは、“龍眼”ではないのですか?こんな子供でそんなことができるとは…」
「もうよい」
片手で制するように一刹はぜいぜいと荒い息のまま喋る六郎を黙らせ、雪音に向き直ると
「絶対にだめだ、こんなことはっ」
とまたも耳鳴りが起こりそうな低い大声で雪音に怒鳴りつけた。
雪音はただ立ってうつ向いている。先程妖しく光っていた両眼はもう元の色に戻っており、そこから涙がぽろぽろとこぼれてきた。
一刹はそんな娘を見て溜め息をついた。
草原蒼馬は自らの両拳を握りしめた。
よくこういうときに世間の父親がするように、一刹も我が子を殴ったり引っぱたいたりすると思ったのだ。そうしたら自分が雪音を守らなくちゃいけない。蒼馬は子供心にもそう思ったのだった。だがその時の一刹は雪音にかなり怒っていたものの、暴力を振るう雰囲気は感じなかった。
「あとは家に帰ってから話そう。まずは私の馬に乗れ」
一刹はまだしくしく泣いている雪音を導いて自分の馬に乗せた。
禄郎にも彼の馬に乗るよう促し、一刹も雪音を前に抱きかかえるようなかたちで自分の馬にまたがった。六郎は自分も雪音を煽ってしまったのです、と弁護の言葉を述べていた。
こうして鈴之緒家の父娘とその家来は城に帰ることになったのだが、馬を歩かせる前に北練井の首長は娘の遊び友達に思い出したように声をかけた。