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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里


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第67話 第5章「開かれし北の大門にて」その9

 老齢の僧は厚手だが簡素な褐色の僧衣に身をつつみ、一人でゆっくりとこちらに歩いてくる。

「洞爺先生。おっしゃって頂ければ早く帰ってお供したのに」

 蒼馬は洞爺坊に近付きながら言った。

 親代わりでもあった老僧の歩き方に最近衰えがみえるのを感じていたので、なおさらそういう言葉も出てくるのだった。

 洞爺坊は微笑んで軽く右手を振った。

「そこまで年寄り扱いされても困るな。まあ、実際年寄りなんじゃが」

「で、要件に関して殿にお許しは得たのですが…本当におやりになるので?」

 賀屋かや禄郎ろくろうが話しかけ、若者たちは当惑して将軍の側近である初老の男を見た。

 蒼馬は雪音をちらりと見たが、彼女もまたまごついたような顔をしており、どうやら何も聞いていないらしい。

「そうじゃよ」

 洞爺坊はいつもの飄々(ひょうひょう)とした感じで答えた。

 そして蒼馬のほうを向き、北の大門を指差して話しかけた。

「蒼馬よ、これからもう一度あの門の上に立ちたい。足元があやしくなっては困るから少し手伝ってくれんかの?」

「え?」

「もう暗いからな。わしが転げ落ちたりせんようついてきてくれるかな」

「いいですが…でもどうしてですか?」

 蒼馬は理由を尋ねたが、洞爺坊は聞こえない振りをしているのかすでに大門に向かって歩いている。

 蒼馬も仕方なく後へ続いた。

 鈴之緒雪音、賀屋禄郎、赤間康太、椎原加衣奈の四人も続く。

「洞爺坊先生が大門の上に行くのを父に許してもらったってことなの?こんな状況で?」

 雪音が禄郎に耳打ちするように尋ねた。

「左様です、姫様」

 禄郎も歩きながらひそひそ声で答える。

「殿と洞爺坊さまとは旧知の間柄ですからな。私も詳しくは聞いておらんのですが、壁の上に行けば北の蛮族がどう出るかわかるとのことで」

「本当にそんなことわかるの?でも壁をみてごらんなさい。いや、いまは北側と同じ“門”となってしまったのよ。頑丈に見えてるけど、あの門の上側が崩落したりする危険はないの?」

「大丈夫じゃろう」

 二人の会話は聞こえていたようで、洞爺坊が振り返り、白く長い顎髭をたくわえた顔でにっこりとした。

「これが単なる事故でなく、予言されたことであるならばな。あれは雪姫様たちが目撃したように、事故で空いた穴ではなく、永年封印されてきた“北の大門”が再び開放された、ということになる」

「で、でも」

 蒼馬は意外と早くしっかりした足取りの洞爺坊に付き従いながら話しかけた。

「あの大門の空いたところの上にわたされた橋みたいになったところ、ありますよね?あの上に立つのは止めましょう。僕にもとても頑丈そうに見えるんですが、万が一でも崩れ落ちたら…」

「わかった、わかった」

 洞爺坊はうるさそう、というよりちょっと愉快そうな様子で応じた。

「階段を昇ったところは大門の(すみ)じゃろう?そこで十分じゃ」

 そうして一行は階段の登り口にたどり着いた。

 洞爺坊は手すりに片手をかけながら率先して階段を上り始めた。

 驚くほど足取りがしっかりしている。

 先生は気持ちが高揚しているんだろうか。蒼馬は思った。

「ねえ、数日前には学問所のみんなでこの階段を上ったのよ」

 気が付けば雪音がぴったりと蒼馬の横についていた。

「そうだね」

 蒼馬は答えながらなんだかその数日前のことが数か月以上前のことに思えて仕方なかった。それほどまでに自分たちをめぐる状況が変わってしまったのだろう、と思う。

 洞爺坊、雪音、蒼馬、康太、加衣奈、そして賀屋禄郎の六人は大門の上に着いた。

 大門の上には見張りのための兵士が五人と以前より多くおり、彼らはみな雪音と六郎を見ると驚いたように深々と礼をし、禄郎は彼らに近づくと何やら言葉を交わしている。

 もう随分と暗くなっている。大壁の上部は石畳になっており、松明(たいまつ)(だい)が等間隔に十ほど並べられ、すでに火がつけられている。

 木のはぜるぱちぱちという音がしていた。

 数日前とはうって変わったものものしさだった。

 見張りの当番兵との会話を終えた禄郎が戻ってくる。

「いままでのところなにも変わった気配は認めないそうですぞ」

 禄郎は洞爺坊と雪音に言った。続けて、

「北の蛮族どもは壁の崩壊に乗じて攻め込んで来たりはしない、ということでしょうかの?まだ数日しか経っておりませんし、いずれにせよあの不気味な(いにしえ)の大橋を渡らなければならんのですから、容易ではないでしょうが…」

と首をかしげながら話した。

 洞爺坊は数日前と同じように、胸の高さより少し低いくらいの縁石に手をかけていた。

 ただ数日前、その視線は穏やかに生徒たちに向けられていたが、いま老僧の視線はそれよりはるか遠くを見つめている。

 眼前には見るものを畏怖させる絶壁の大峡谷が広がっており、そこに唯一わたされた巨大な橋が向こう側まで伸びていた。

 すべてが夜の闇に包まれようとしていくのを(とも)された松明がささやかに照らし出している。

 白い北の大橋がほのかに闇の中から浮かび上がっているようにも見え、肌寒くなってきた空気もあって蒼馬はぶるっと一度だけ震えた。

「この間はわたしたち、よく無傷で助かったわよね」

 横にいた雪音がささやいて蒼馬の手をそっと握ってきたので彼はびっくりした。

 そして知った。

 北の大壁の崩壊と大門の復活に居合わせたのは彼女にとっても相当な恐怖だったのだ。

「そうだね」

 蒼馬もささやいてそっと彼女の手を握り返した。

 雪音は驚いた表情で蒼馬を見たが、すぐに頬を紅潮させてその表情に微笑みが広がっていくのが松明の灯りで横目に彼女を見ている蒼馬にもわかった。

 蒼馬はやはり恥ずかしくなってうつ向いてしまった。

 康太がそんな二人に気づいてにやりとしていると、加衣奈もすかさず康太の手を握って来た。

 康太は蒼馬と違って恥ずかしがったりせず、加衣奈をまっすぐ見つめて微笑むと彼女の手を優しく握り返した。

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