第66話 第5章「開かれし北の大門にて」その8
「ちょっとお椀とお箸を返しに行っていいかな?」
蒼馬はそう言いながら食事をもらった炊き出しの場所まで歩き出した。
雪音がその横についてくる。
康太と加衣奈もまたいつものように要らぬ気をきかせているのか、二人との間に少しだけ距離を空けて歩いた。
「ねえ、蒼馬くん」
雪音はひそひそ声で話しかけた。
「もし良かったら父さまに話して、あなたたちの労働を免除してもらってもいいのよ」
「うーん…いや、いいよ」
蒼馬は少し考えてから答えた。
「軍も北からの襲撃を警戒しているんだろう?壁にすべての人員を割くわけにはいかないだろうし、いまに限らず人手はいつも足りないからさ。それに俺もなにか街の役に立つ仕事をしてたいんだよね」
「そう?その…蛇眼族の将兵はあなた方を不当に酷使したりしてない?」
「そんなことないよ。なあ?」
蒼馬は康太のほうを向いて同意を求めた。
「ああ、殿様…一刹さまの軍はほんとに殿の御意向が浸透してる」
康太が思っていたより真面目な返答をしたので蒼馬は意外に思った。
「ほんと、常人の扱いが慶恩の都とえらい違いだ。俺の家族は一時でも北を離れるべきじゃなかったんだ」
そんな思いでいたのか、と蒼馬は驚いた。
康太は幼馴染みで親友だが、父を理不尽に失った彼の気持ちを自分は全然わかってなかったんじゃないかと思う。
蒼馬と康太は給仕役の女性に礼を言いながら椀と箸を返すと、また元いた場所に戻ろうとした。
いつもはこのまま家に帰るのだが、今日は雪音がいるし、なんだかこのまま帰りたくなかった。
「ねえ…」
雪音がなおもひそひそ声で話しかけた。
「これは機密事項だから内緒にしておいて欲しいんだけど」
「え?」
彼女の幼馴染三人は面食らった。北方鎮守府の機密事項など自分たちに話されても困る。
「あの開いてしまった門だけど…あれを塞がないでそのままにしておくってもう聞いてる?」
「え?そうなの?」
蒼馬は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「姫様!!」
横から突然甲高い叱り声が響いた。
賀屋禄郎であった。いつの間に雪音たち三人の若者に近付いていたのだった。
「姫様、困ります」
禄郎がしかめっ面で言う。
「いくら信頼できる幼馴染とは言っても、北方鎮守府が当面箝口令を敷こうかということをそう簡単に話されては」
「ごめんなさい」
雪音は素直に頭を下げた。
蒼馬は少し嬉しい気持ちになった。
昔から気さくではあるが、蛇眼族の一員である賀屋禄郎が蒼馬と康太、そして加衣奈のことを雪音の信頼できる幼馴染と認識してくれているのだ。
「どのみちすぐ皆の知れるところになると思ったのよ」
雪音が珍しく口をとがらせて言い訳じみたことを言う。
「まあそうではありますがな」
雪音のお目付け役とされている禄郎は彼女の言い分に対し不満気に返したが、その雪音の注意はすでに別のところに向けられていた。
「あら?先生ではありませんか」
皆は雪音が声をかけた方を見た。
そこにいたのは確かに彼ら若者たちの教師である洞爺坊だった。




