第60話 第5章「開かれし北の大門にて」その2
「しかし、お主も変わらず成錬派の擁護者なのだろう?」
と一刹が訊く。
「そうだ。親父の代からな」
源一郎が答えた。
「おかげで慶恩の都の連中には随分と嫌われたもんだ」
と肩をすくめる。
「だが、別に昔みたいに斎恩派に戻ろうとは思わん。わかるよな、一刹よ?北部のほとんどの蛇眼族は都の連中のような支配者を演じるのに疲れているのよ。そうだろう、一刹よ?蛇眼なんて残酷な能力を持つ人間の苦しみがお主にはよくわかっておるだろう」
これには思わず一刹のほうが辺りを素早く見渡して、盗み聞きされていないか確認してしまった。
源一郎は武骨に見えるが、子供の頃から一刹にはときに哲学的で繊細なことを言う。
さっきは成錬派のしきたりをからかうような態度をとったものの、その実成錬派に帰依する心はむしろ一刹より強いのかもしれなかった。
そしてそんな源一郎の両面性に一刹はとても惹かれるのだった。
「あまり思ったことをすぐ口にするな、源一郎」
一刹は強いささやき声で注意した。
「慶恩からの者が身分を明かさず北練井の街を歩いていると聞くぞ」
「で、その慶恩の都からなにか言ってきたのか?」
と源一郎は意に介せずといった調子で返す。
「いや、まだだ」
一刹は答えた。
「だが今日明日にでも伝書鷹が来るであろうな」
「ほう。それで都の連中はどう言ってくると思う?」
源一郎はぎょろり、という感じで両眼を開き、鈴之緒一刹を見つめる。
「正直わからん」
一刹は肩をわずかにすくめながら答えた。
「おそらく、だが…早急に北の大門の再閉鎖のための工事にとりかかるように、という意味の指示が来るのであろうな」
「ふんっ」
源一郎は露骨に憮然とした様子で鼻を鳴らす。
「そうやってまた北部の蛇眼族たちを顎で使うわけか。さすが都の連中、慣れたもんだな」
「おい、源一郎」
さすがに一刹も北方鎮守府将軍にして北部総督の立場上、幼馴染の露骨な“都嫌い”な態度に眉をひそめる。
「われらと都との対立を煽るな」
「いや、な」
源一郎はもう少し説明したそうに口をとがらせる。粗野な風貌の彼がそのような表情をするのは滑稽に見えた。
「俺は神奈ノ国の王府や八家門が嫌いってわけじゃない。いや、まあ、好きでもないがな。俺が嫌いなのは斎恩派の生臭坊主どもよ。奴らが俺たちの生活、いや、生きざまのあらゆる場面に首を突っ込んでくるのが許せんのだ。奴らが他人の人生に首を突っ込んできてないときはけばけばしく豪華な寺院のなかでふんぞり返り、王府の官僚どもを手玉にとって金勘定ばかりしているのもな。彼らは成錬派の修道僧たちをぼろ(・・)を着た乞食のようだと笑うが、なぜ成錬派が生まれ、北から広がっていったか理解しようともせんのだ」
「なあ、源一郎よ」
鈴之緒一刹は不意に改まった様子で鼻息の荒い親友に話しかけた。
「おまえは改革がしたいのだろう?ならばもっとしたたか(・・・・)になれ」
「一刹…」
白瑞源一郎は我にかえったように驚いた顔で幼馴染の顔を見返した。
一刹は続けた。
「わたしも先のことは何もわからんが、此度の大壁の崩壊をきっかけにして慶恩の都、われらが北部、そしてさらに北にある未知の王国との関係性になんらかの変化が訪れるやもしれん。これからは難しい舵取りを迫られるのだ」
「それは…」
源一郎はまた息巻くように言葉を返した。
「慶恩の王府とこと(・・)を構えることもあり得るということか?それならば我ら成錬派の北部諸侯は…」
「だから!」
一刹がぴしゃりと言い返す。
「我らはあくまで極力血が流れない改革を目指さなければならぬ。ただわたしの立場ではそうばかりも言っておられん。北の王国にしたところでいくら探ってもその全貌はわからん。彼らが南下して攻めてくる気があるのかどうかもはっきりせん。慶恩の王府や斎恩派との関係と言えば相も変わらず腹の探り合いだ」
「…そうだな」
「一歩間違えばわたしの身になにが起こっても不思議ではないのだ。だからこそわたしが最も信頼し、北部諸侯では最も権勢を誇る白瑞家には慎重に行動してもらいたいのだ。わたしがもしいなくなるような事態が起これば、鈴之緒家には娘一人しかおらん。おまえが頼りなのだ」
「…あ、ああ」
源一郎は幼馴染にして親友の言葉にそれ以上返す言葉も無かった。
そんなわけでその後は白瑞家の私兵たちの配置など、賀屋禄郎ら補佐官も交えて事務的な話となったのであった。




