第55話 第4章「堅柳の郷と慶恩の都」その16
「それに」
崇禅寺武義は続ける。
「北の大崖の向こうの問題のみならず、こちら側、神奈ノ国の北部ですら我らとの連携が薄まっているのではないですかな?ここらで締めておく必要はないですか?」
「いやまったく、その通りですな」
ここでいきなり声をあげたのは上座で王の隣に座していた明擁大僧正であった。
「北部の諸侯たちはいまやほとんど成練派に帰依しておりますからな」
真叡教という神奈ノ国に唯一認められている教団の頂点に君臨する大僧正であるが、話がこの件に及ぶと子供が文句を言うときのように口をとがらし、心穏やかでないのが明らかだった。
「かれら成錬派を守護している、と言われているのが北方鎮守府将軍を代々務める鈴之緒家なのです。もし彼らや他の北方諸侯がわれら斎恩派に帰依するならなんら問題なく家門会議に加わることもできたはずだし、これほど列席する家門の数も減らずに済んだのではないですかな?幕府には我らの訴え通りすみやかに成錬派を異端と定め、その布教を禁じて頂きたいのですが」
「表立ってではないが、もうやっておるのです、大僧正殿」
総麗王は再び不満げに鼻を鳴らすような声を出した。
「だがもし表立ってそれをやった場合のことも考えて頂きたい。歴史上二度目の、蛇眼族同士の戦が起こる可能性があるのですぞ。わしの治世の元で」
この返答、とくに最後の一言で大僧正は納得するどころかさらに不満げな表情となった。
総麗王は自らがこの国を治めている間に蛇眼族同士で内乱が起こる、というあまりにも不名誉な事態のみを恐れている。
そのせいで成錬派の拡大防止に及び腰なら王国の統治として本末転倒ではないか。
大僧正は冷静さを装い、続けて話した。
「ですが王よ。彼ら成錬派の教義はわれら斎恩派のそれとは衝突せざるを得ないものです。われらは五百年もの長きにわたり蛇眼の能力を維持し、その超越した能力で常人たちを導いてきました。彼ら常人たちはその恩恵を受け、われらの統治下で常人同士の戦も起こらず、安定と発展を享受してきたのです」
「その通りですな」
総麗王は不機嫌な様子で同意を示した。
わかりきったことをもっともらしく言ってくれるな、とでも言いたげである。
大僧正は構わず続けた。
「ところが歴史の上では最近作られたばかりの成錬派が出てきました。彼らは常人との融和を唱えております。聞こえは良いですが、それは斎恩派が脈々と受け継いできた血統維持の計画を否定するものです」
「かれらは蛇眼族と常人が夫婦になって子をつくるのを肯定しておりますわね」
さきほど宗次と軌之井孝満との会話に入って来た斉怜家の女当主、賢那美姫が口をはさむ。そこにはあきらかな嫌悪感がこもっていた。
「その通りです」
大僧正は勢いを得たように相槌を打った。
「それが何を意味するか?蛇眼族がその能力を失うのです。つまり我らが滅びの道に進むことを成錬派は肯定しているのです」
「か、かれらは…」
少し大人しそうな、若く、細身な男の当主がどもりがちな声を挙げた。
来栖家の現当主、幸史郎である。
「そ、それで良いと思っているのだろうか?蛇眼の能力を失えば自分たちの家門は断絶ということになるし、じょ、常人たちが待ってましたとばかりに反乱を起こすのでは…」
「そうですな」
宗次が話を継ぐ。
「彼らが蛇眼の能力を失った場合、蛇眼を持ち続ける者に抗うことはできないのではないか?との懸念が生じます。それに対し、かれら成錬派が唱えているのが“蛇眼破り”です」
蛇眼破り——その言葉を聞いた途端、そこにいる蛇眼族の者たちすべてが表情を歪ませた。
無理もなかった。
それは彼ら蛇眼族が常人たちを支配する唯一の能力を無効にする一種の心的技術と言われている。
彼らが支配者たり得る唯一の拠り所を否定するものだったからだ。
宗次は続けた。
「彼ら成錬派が秘かに伝えると言われる蛇眼破りの技は北方由来と思われます。これは北方からの目に見えない侵略行為ではないでしょうか?北方の人間が神奈ノ国の崩壊をもくろんで北の諸侯にそれを広めているとしたら?」
王も含め、この意見にみなううむ、と唸り声をあげてしまう。
宗次はなおも話し続けた
「それが進行していると思われるいまだからこそ、北の諸侯たちに王国の意志をいま一度強く示し、北方侵攻を命じることで彼らの忠誠心を見極めることもできるのではないかと考えます」
宗次が言い終わると静かになった。
大広間の空気はあきらかに北方侵攻を肯定する向きに傾いていた。
総麗王は大きく息をつき、口を開いた。
「どうやら第四次北方侵攻の準備を始めたほうがよさそうだな」
あるものは大きく頷き、あるものはただ表情をこわばらせた。




