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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里


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第53話 第4章「堅柳の郷と慶恩の都」その14

 一同は座したまま上座へ向き、両手をついて深々と礼をした。

 王も軽く会釈するようにしてそれに応える。

 少なくともここ、慶恩城の八家門会議においては蛇眼族の秩序は保たれているのだった。

 続いて先程堅柳宗次たちが入ってきたところの襖が再び開き、堅苦しい感じの羽織姿をした初老の男が入ってくる。

 総麗王の補佐官であった。

 補佐官は八家門の面々の眼前、上座から降りてすぐのところまで進むとそこに座した。

「八家門の当主の皆さまにおかれましては、本日は久方ぶりにお集まり頂き誠にありがとうございます」

 補佐官は無表情に、唱えるように言った。

「本日はまことに重要な案件で御座いますゆえ、会議に加わって頂きたいもうお一方をお呼びしております。明擁(めいよう)大僧正(だいそうじょう)

「もうよろしいですかな?」

 さきほど総麗王が登場した襖の陰から恰幅の良い、坊主頭の僧がふっと顔を出す。

 彼もまた老人であったが、何か僧らしからぬ覇気のようなものを発散している。

 着ているものも紫色の法衣(ほうえ)に金色中心の袈裟(けさ)、と過度なぐらいに豪華な印象を与えていた。

 さっきから襖の向こう側に普通とは違う人の気配はしていたが、大僧正であったか、と宗次は思わず納得してしまった。

「よろしゅうございます。どうぞこちらのほうへお座りください」

 総麗王みずから左手を上げて、自らの横にもうひとつ置いている敷畳と脇息のある場所へ大僧正を招いた。

「それでは」

と大僧正も軽く頭を下げながら進み、そこへ座する。

 一国の王とその国教である真叡教の頂きに座する大僧正、という取り合わせである。

 ふたり肩を並べて上座にいてもなんら違和感は無いのだった。

 それでは、と補佐官が話し始めようとするのを総麗王は手を上げ、まて、と短く言って止め、自分で話し始めた。

「今日の集いは儀礼的なものではなく、実際に話し合わなければならないことが生じたから皆に集まってもらったのだ。形式的なことは抜きにしよう」

 八家門当主と従者たちは静かにうなづいた。

「皆すでに知っておるかとは思うが」

 王は続けた。

「ほんの二週前、ここ慶恩より最も近い沙流女(さるめ)(はら)にある霧の領域において儀礼僧が取り仕切る処刑の儀式が行われようとしていた」

 王はとなりの大僧正にちらりと視線を送り、大僧正は小さく慎重にうなづいた。

「ところが報告によると、大蛇(おろち)を呼び寄せ、処刑を行っている最中に北方から潜入したと思われる(しのび)の一団が現れた。奴らめは儀式僧と護衛のため組織された武士団の面々のほとんどを殺害した。処刑されるはずだった霧の民たちは忍とともに行方をくらましたとのことだ」

 ここで王が一息置く。

「恐れながら、いま王府直轄の忍者団に彼らの行方を捜索させております」

と補佐官が言葉を継いだ。

 (じゃ)(がん)忍団(しのびだん)——、と誰かが小声でつぶやく。

 八家門当主たちもその存在は知っているが、組織の詳しい全貌までは彼らにすら明らかにされていないのだった。

「重要なことは」

 総麗王は再び話し始めた。

「北からの侵入者のなかに“蛇眼破りの声”を持つものがおり、我ら蛇眼の武士団を出し抜いた、ということだ」

 堅柳宗次はわずかに身を固くした。このことに関しては後ほど釈明せざるを得ないだろう。

「それに加え、」

 王は続ける。

「彼らはその特殊な声とやらを用いて、霧の領域に(りゅう)(ちょう)を招き寄せ、大蛇を殺させたという。龍鳥というのは北方の民の守護神獣らしいが…」

 八家門当主たちも身動きもせずに聞き、みな何かを一心に考えるような表情をしている。

「これだけでも十分衝撃的なのだが、先週さらに衝撃的な知らせが北から届いておる」

 王はさらに話し続けた。

 普段は補佐官が長い説明をすることが多いのだが、今回は王自ら原稿も無く話し続けている。

 王自身のこれらの事件に対する関心の高さがうかがい知れた。

「先週の末、だから数日前ということになるが、なんと北の大壁が破られたとのことだ。どのようにしてあの厚い岩の壁が破られたのかよくわからぬが、北の蛮族の仕業ではないらしい。壁が破られて北から軍勢が押し寄せてくるかと思いきや、奴らは一人たりとも姿を現さないとのことだ」

 八家門当主たちは相変わらず考え込むように、静かに聴き続けるままだった。

 彼らの横にはそれぞれ一人づつ従者がいて、ものを書きやすいようにその前には小さな机が置かれているのだが、彼らが書記として紙に筆で書き続けるさらさらという音だけが大広間に流れていた。

「わしが受けた報告では、北の大橋からなにやら火球のようなものが現れて、それが大壁に穴を開けたとのことだ。そうですな?」

 いまや総麗王も話しながら考えるように片手で長く伸びた自分の白い顎ひげをなで続けていたのだが、ふいに横に座る大僧正に話しかけた。

 いままで王の言葉を静聴していた大僧正はうなづき、言葉を継いだ。

「古来より北の大橋には前史文明で発達した強い呪術が込められており、無理に通ろうとするものを焼き尽くしてしまう、という言い伝えがありました。だが橋は自らを封印する厚い石壁をなんらかの強い光のような力で焼き切るように穴を空けてしまった、とのことです」

 王が再び口を開く。

「これは何を意味する?なぜ今、わしの治世の時代にこんなことが起こっている?だれか意見を述べることができる者はいるのか?」

 王は大広間に並んで座る当主たちに問いかけた。

 声を挙げたのは堅柳宗次だった。

「恐れながら意見具申(ぐしん)お許し頂けますでしょうか」

「無論じゃ」

 王はすぐに応じた。

「では」

 宗次は話し始めた。

「まず、わたくしから皆様にはお詫びの言葉を申し上げねばなりません。わたくしの家臣である春日野慶次郎を武士長に任命して頂き、こちらにいらっしゃる家門よりそれぞれ武士を派遣して頂き任務に当たらせてもらったのにも関わらず、武士長以外の者は全員殺され、儀礼僧の方もその命を奪われる事態となりました。かろうじて生き長らえた我が家臣も怪我を負い、病床より詫びております。何らかの罰があるなら甘んじてお受けする所存です」

 宗次は王と大僧正、次いで八家門の当主たちに向いて、改めて深く頭を下げた。隣の佐之雄勘治も同様に皆に向かって手をつき、頭を下げる。

「まあ、不手際ではあるな。皆の意見は?」

 総麗王が会議の出席者を見渡しながら訊いた。

 手を挙げたのは先程宗次と言葉を交わした軌之(きの)()(たか)(みつ)だった。

 発言を許されると、孝満は豪華な着物に包まれた恰幅の良い体を揺らしながら先程と概ね同じ意見を繰り返した。

 今回の事件はいままで起こってきたどんな不慮の事故とも違う。

 極めて異常な事件である。

 護衛の武士団長である春日野慶次郎のみが生き残ったのは関係するすべての人間にとって不本意なことではあるが、報告をうけた限りにおいて彼は決して自分のみ生き残ろうとしたわけでもない。

 他の生存者である巫女(みこ)たちは事の起こり始めで脱出してほとんど目撃していないし、彼であろうが誰であろうが一人でも生き残った者がいて事の顛末を知ることができたのは不幸中の幸いではないか、と。

 他にも武士を派遣した家門の当主たちも頷き、同意を示した。

 彼らもまた軌之井孝満と同様、事件のあらましを知った直後に堅柳宗次が各家門に遣わした使者により知りうる限りの情報は手に入れていたのだった。

「ふむ」

 総麗王は自らの顎髭をなで続けながら右側に置かれた肘置きに体を傾け、鼻を鳴らすような声を出した。

 現在の王は若くして先代である父からその権限を継承されている。

 神奈ノ国、そして蛇眼族の王という立場を戦って勝ち取ったわけではなく、まさに穏便に譲り渡されたという表現が妥当であった。

 そのためか、必要以上に王としての権力を振り回すこともなく、どちらかといえば実務的で“やりくり上手な王”という評価が数十年にわたって固まっている。

 ただこれにはそういう評価を得るしかない場面にしか遭遇しなかった、という事情もあるのだった。

 いずれにせよそういう性格をもつ王であるがゆえに、まず堅柳家の不手際をどうするか、といった本題からやや外れた議題から始まっても、悠然とした様子で各家門の意見を聞くことができているというわけだった。

「みな、つまり霧の領域の処刑儀式の一件に関しては堅柳家に過失を問わない、ということでよろしいか?」

 八家門の当主たち、そして大僧正も同意の頷きを示し、隣の書記たちはまたさらさらと筆を動かした。

「では、そろそろ本題に入るがな」

 王は続けた。

「いま起こっている最大の問題は北の大壁の崩壊じゃ。つい先日起こったことであるゆえ、北練井の街もいまは番兵を増員したり急ごしらえの丸太の柵をこしらえたり、といったことしかできていないとか。皆はこれからどうすべきと考える?それを聞きたい」

「引き続き、発言をお許し頂けますでしょうか」

 堅柳宗次は再び声を挙げた。

 老王は軽く会釈するようにしてそれを許可した。

 宗次は言葉を続けた。

「結論から申し上げれば、いまこそ北方遠征の好機と捉えるべきです」

 宗次の口からこの言葉が出た途端、その場の空気が一気に緊張するのが誰にもわかった。

 それは王とて同じことだった。

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