第51話 第4章「堅柳の郷と慶恩の都」その12
みな慣例どおり、上座に向かって二人ずつ、真ん中を大きく空けて右に二列、左に二列となっている。 真ん中からみて内側には八家門の当主たちが向き合って座り、そのすぐ外側、当主たちの傍らに主君の補佐をするものが一人づつ座る、という配置だった。
宗次と勘治以外の当主と補佐たちはもう彼らの所定位置に座っていることになるが、それだけの人数が座っていてもこのだだっ広い大広間のなかではさほど大きな集まりには見えない。
「後からの入室でかたじけない。みなさんお待ちでしたかな」
堅柳宗次は軽く頭を下げながら大広間に入り、誰ともなく話しかけた。佐之雄勘治も続けて頭を下げながら入る。
「なんの、まだ始まっちゃおらんよ」
座ったまま宗次のほうを見上げて陽気に言葉を返した男がいる。丸々と太った体を豪華な緑がかった着物に包んだ初老の男だった。
「軌之井どの。お久しぶりです」
宗次も笑みを浮かべて挨拶する。
彼の名は軌之井孝満という。
八家門のひとつ、軌之井家の現当主である。他の当主の男女たちと比べて陽気で話しかけやすい雰囲気に溢れており、人付き合いがあまり良くないと評される宗次も彼とはよく言葉を交わすのだった。
軌之井孝満はその体格と同様丸々とした顔に禿げ頭が光っているような風貌で、真叡教の生臭坊主のようだ、と蛇眼族でも口さがない者からは陰口を叩かれることもある。
もちろん彼は蛇眼族のものが皆そうであるように真叡教徒ではあるが僧侶では無い。
「まあ、いつもの場所に座って」
と、孝満は自分の前に空けられた板の間の空間を片手で指し示した。
「かたじけのうございます」
宗次は年長者である孝満にうやうやしく返答しながらそこへ腰を降ろした。佐之雄勘治にも目で合図して自らの横に座らせる。
若侍の案内人が庭に面した障子を閉め、大広間は外から明かりは入るものの、再び閉め切られた状態となった。
八家門の当主たちのうち二人は壮年の女性であった。宗次と勘治が入室する直前まで隣り合って座る彼女二人を中心にささやき合うような雑談がなされていたが、それがまた再開される。
そんな中、
「久しぶりに会っていきなりこんな話題で恐縮なんだが」
と軌之井孝満はさきほどの屈託ない様子から急に声の調子を落とし、続けて宗次に話しかけた。
「先日の霧の領域における処刑の事件、お互い痛手を負いましたな」
宗次も当然状況は把握している。
霧の領域での処刑、というより生贄の儀式に際し、真叡教の儀式僧側は護衛の武士団を要請し、それを受けた貝那留王朝は八家門のうちいくつかから武士を派遣し、堅柳家を中心に護衛隊を組織するよう命じたのだった。
その結果、堅柳家の家臣である春日野慶次郎以外の武士と儀式僧一名の死亡という予想もしなかった結果を生んでいる。
堅柳家もその責任を問われる可能性は十分にあった。武士長であった春日野慶次郎は生き残り、彼の臨時の部下たちはことごとく死んでしまったのだから。
そしてその死亡した武士のひとりは軌之井家の家臣であった。他の武士たちもここにいる他のいくつかの家門より一人づつ出ている。
これはやはり追及は逃れ得まい。宗次は思った。
軌之井孝満もそれをわかっているから良好な関係を築いている堅柳家当主には控えめな言い方しかしないのだろう。
他の家門の当主たちも同じような対応を取ると思われた。
八家門は対立を嫌う。
かつて蛇眼族同士が政治的対立に陥ったとき、その隙に常人たちが組織的な大反乱を起こした歴史からだった。
それに蛇眼という常人を支配する圧倒的な能力を持ちながらも、数の上では蛇眼族は常人に比べあまりにも少数者であった。
実際彼らは真叡教斎恩派指導者層の主導による血統維持計画により、なんとかその遺伝的特質を維持している少数者である。
蛇眼という能力の圧倒的優位性が無ければ本来肩を寄せ合い、世の隅でひっそりと生きていてもおかしくない少数者なのであった。




