第50話 第4章「堅柳の郷と慶恩の都」その11
八家門会議というのは、言うなれば蛇眼族上層部における催事のようなものだった。
蛇眼族のうち、王都である慶恩を囲むようにして数日以内に来れるような距離に領地を持ち、神奈ノ国の中央政治にも携わる八つの名門家の当主が一同に会し、時の王のもとで政治上の議題を話し合う場とされている。
普段、大きな問題も起こらなかった場合はそれこそ催事であり、互いの意見の相違から争いにまで発展するのを防ぐ親睦の場と言っても良いものだった。
ところがまれに大きな問題が起こると、今回のように臨時の八家門会議が王の名において招集されることとなる。
八家門のひとつである堅柳家の宗次と、補佐役の佐之雄勘治はその臨時八家門会議に出席するため、いまは城内の御殿にある外廊下を案内役の家来に連れられて歩いているのだった。
この御殿は二の丸の表御殿と呼ばれている。
より天守に近い本丸の表御殿と奥御殿は王族の生活の場でもあったのだが、二の丸の御殿、特に表御殿と呼ばれる建物は政治を行う場として機能することが多い。
つまり実務の場というわけだった。
白鷺城にある建物はおしなべて巨大なのだが、二の丸の表御殿もその例にもれず巨大な木造瓦葺で平屋建ての建築物であった。
その外廊下からは廊下の頭上に張り出した雨よけの屋根を支えるため立ち並ぶ木の柱に区切られるように見事な庭園が見える。
よく手入れのされた低い木々に囲まれた大きな人工の池にはいつも鮮やかな色の鯉が群れをなして泳いでいた。
池の真ん中には小さな島が作られ、これも小さな紅い橋が弧を描いて渡されている。
松の生えたその中の島の淵に亀が甲羅干しをしているのが見えた。
ただ宗次も勘治もいまは立ち止まって庭園を見て愛でる状況ではなかった。
案内役の男は羽織袴の正装をした若者であった。
彼は二人を廊下にとどまらせ、うやうやしく障子を開けた。
そこは大広間だった。
八家門会議をはじめ、王のもとに多くの人間が集まる会議は常にこの二の丸の表御殿にある大広間で開かれた。
高い天井に太く長い梁が整然と渡され、外に面した明かりとりの障子以外、壁にあたる三面には色とりどりに風景が描かれた襖が並んでいる。
床は板間だが、入って奥にある上座には一段高くなったところが広めにとってある。そこが王の座する場所なのだった。
そしていま、上座以外の場所にはすでに十四人の蛇眼族たちが座っており、二人に視線を向けていた。




