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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里


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第47話 第4章「堅柳の郷と慶恩の都」その8

 監督官は思わず、

「あっ」

と声を上げ、強く握られた腕から棒を落としてしまった。

「まずい。蛇眼破りです」

 佐之雄勘治は思わず押し殺した声でありながら叫ぶように、馬上から堅柳宗次に訴えた。

 監督官の男は人夫が予想外の反応をしたことに取り乱し、思考が停止した。

 二人を取り囲むように見ていた常人の人夫たちは、仲間の思わぬ反撃におおっ、と野太い声をあげ色めき立った。

「あれは“蛇眼破り”と呼べるほどのものではない。あの監督官の蛇眼の技量が残念なだけだ」

 宗次は落ち着いて勘治に言葉を返した。

 そして自らの乗る馬の手綱を引き、土埃の舞う道から工事現場へと、素早く監督官と人夫に近づく。

 宗次と馬は一体となったようにぴたりと止まり、宗次が片手を差し伸べるように人夫に伸ばす。

 人夫が無我夢中となった眼で馬上の宗次に視線を向けたとき、宗次の両眼から(くれない)の光がほとばしった。

 人夫は再び金縛りにあったように動けなくなった。

 そして今度は力を振り絞ってそこから脱することすらできない。

 宗次の両眼は変わらず紅色に光っていたが、そこには変化が生じていた。光りながらもなんだか虚ろな印象を与える。心がどこかに飛んで行ったかのようであった。

 人夫はその体をびくんと一瞬痙攣するように震わせると、両眼の焦点を鈍らせた。

 口をぽかんと開け、(よだれ)を流して男は監督官の手首を放し、自分の両腕はだらんと垂らしてそこに立ち尽くした。

 監督官はよほど強い力で片方の手首を掴まれて痛めてしまったのか、もう片方の手で掴まれた手首のあたりを押さえながら、思わずへなへなと腰を抜かすように後ろに尻もちをついてへたり込んでしまった。

 そして宗次の蛇眼を受けた男は立ったままゆっくりと体の向きを変え、彼らの仲間たちを見渡した。

 さっきまで焦点が合わないようだった男の両眼が別人のような妖しい光を放っている。

 その表情は少し不敵な笑みを浮かべているようでさえある。

 そして男は、機をみて謀反に加勢せんばかりに身構えた男たちに言葉を発した。

「おまえたちはどうする?自分たちの仕事にもどるか、この男と同じ目にあうか」

 それは先程聞いた、この作業人夫の声ではなかった。

 堅柳宗次の声であった。

 男の仲間たちはみな震え上がり、後ずさった。

 ———憑依の蛇眼だ。

 佐之雄勘治は自らもまた目の前の常人たちのように内心震え上がるような感覚を覚えながら思った。

 堅柳宗次は優れた武術家にして、同様に優れた蛇眼の使い手としても知られている。

 そして彼の使う蛇眼は他の蛇眼族といささか違うものだった。

 それはいつしか“憑依の蛇眼”と呼ばれるようになった。

 通常、蛇眼族が常人に蛇眼をかける、というのは蛇眼族がその両眼に宿る蛇眼の力によって常人の判断力などを失わせ、そこに命令を入れることによって常人を意のままに操る、というものであった。

 だが堅柳宗次ひとりだけは生まれつき違った蛇眼の能力を持っていた。

 蛇眼族がその能力を発現させる、思春期を過ぎる頃の年齢になるとそれは明らかになっていった。

 宗次が蛇眼をかけるとき、宗次の意識はその対象となった者に乗り移ってしまうのだった。

 宗次は自分が蛇眼をかけた者の目から世界を見て、その者の耳から音を聞き、その者の口を使って話すことができた。そして自分の体であるかのようにその者の動きを操ることもできるのだった。

 そして不思議なことに、宗次が蛇眼をかけた者の口を使って話すとき、その声は宗次の声になるのであった。

 もうひとつ不思議なことは、蛇眼をかけているときの宗次自身の意識の有様だった。

 それほど強く蛇眼を使わなくても良い、容易な相手もいる。そんなとき宗次の意識はほとんど彼の体に残ったままであった。

 だから過去の謀反の鎮圧では、他の蛇眼族の武人と同様、謀反人の常人に蛇眼をかけて動けなくしたうえで斬り捨てる、などということもできた。

 だがまれに、いま目の前にいるこの作業人夫の男のように、普通の蛇眼族だと蛇眼をかけそこなうような相手もいる。

 そんなときも宗次は“憑依の蛇眼”を使うことによって百発百中で蛇眼をかけることができた。

 そして相手の蛇眼のかけにくさに比例するように、宗次の意識もどれだけ自分の体に残るか決まるのである。

 半分ほど意識が残るような場合もあり、宗次自身は立ったままでいることもできて、意識を行ったり来たりさせるようにして相手の体も自分の体も動かすことができる場合が多かった。

 だが相手の蛇眼のかけにくさが手強くなってくるにつけ、宗次の憑依の度合いは強くなり、宗次の本体のほうは魂が抜けたかのようになって姿勢を維持するのがやっと、ということもあった。

 いま起こっている状況もそれに近いもので、佐之雄勘治は自分の乗った馬を動かし、宗次の乗った馬に近付いて馬上で虚ろな目をしてじっと動かないままの主の腕を掴み、万が一にも落馬しないようにしなければならなかった。

 やはりこの作業人夫、相当手強いとみえる。

 佐之雄勘治は虚ろになった主君の馬上での安全を確保しながら思った。

 宗次の憑依した作業人夫は、その眼をさらに光らせ、紅色となった。

 そして宗次の声で他の作業人夫たちにまた語りかけた。

「私は隅に行って座って休むことにする。そして監督官が命ずれば仕事に戻ることになるだろう。自分のするべき仕事をするのだ。監督官は同じことをお前たちにも求める。お前たちは彼の言うことを聞き、それに従うのだ」

 十人ほどいる他の作業人夫の男たちはただ黙って言うことを聞いていた。

 ある者はその手から作業道具を落とし、またある者は口角から(よだれ)を垂らしているものすらいる。

 勘治はそれに気付き、舌を巻いた。

 彼らはみな、蛇眼にかかっているのだ。

 宗次が謀反を起こした作業人夫に憑依し、常人である彼の両眼を使って他の男たちに蛇眼をかけているのだった。

“憑依の蛇眼”をかけた相手の眼を経由して“多人数がけ”をしていることになる。

 それこそ宗次が生まれたときから彼をみてきた佐之雄勘治であったが、彼がここまで複雑で高い次元の蛇眼を使うのをみることは滅多になかった。

 宗次さまがこの蛇眼の技術を使うのは以前の謀反鎮圧でみたことがある、と勘治は思い出した。

 あれは三年ほど前のことだったか。

 だが、そのときはこれほどやり方が鮮やかでなかったような気もする。

 宗次さまの蛇眼は進化し続けているのか…と勘治は思い、同じ蛇眼族でありながら恐れを感じている自分に気付いた。

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