第35話 第3章「それぞれの午後といつもと違う朝」その10
そして夜が明け、東の空が明るくなり始めた頃だった。
蒼馬はふと目を覚ました。
なにか音がする。
カーン、カーンという甲高い金属音だった。
何の音だろう…蒼馬は半分眠った頭で考えた。なんだか覚えがある。これは…鐘の音だ。誰かが警報用の半鐘を一心不乱に叩き続けているようだ。火事が起こったのだろうか。しかしこんな鐘の音、聞いたことがない。どこからだろう。近くで半鐘があるのは…。
北の大壁だ!
蒼馬は布団から飛び起きた。
引き戸をあけ、部屋から廊下に急いで出る。
するとすぐに住み込みの修行僧で蒼馬の先輩格である層雲坊も寝衣のままで彼の部屋から出てきていた。
「あの鐘の音、北の大壁からじゃないですか?」
蒼馬が訊くと層雲は頷いた。
「あそこ以外だと城近くに物見櫓があって火事のときには鐘を鳴らす。だがどうも聞こえて来る方向がそこからではないな。やはり北の大門、いや大壁の方からのようだ」
層雲が冷静に話している間も鐘の音は聞こえ続け、洞爺坊も起きて来て同じく寝衣で廊下を歩いて来た。
「どうしたんじゃ」
少し眠そうな声で洞爺坊が尋ねてくる。
「この鐘の音、北の大壁からじゃないかって話してたんです」
蒼馬が答える。
「きっと鳴らしているのは壁の上にいる見張りの兵士さんですよね?昨日も見た…。これだけ必死に鳴らし続けているっていうのは、北の蛮族が攻めて来たんでしょうか?」
「いや、どうなんじゃろうな?わしが思うに…」
「いや、ちょっと待ってください」
層雲が洞爺坊がなおも話そうとするのを止めた。
「地面が震えていませんか?」
蒼馬も洞爺坊もそう言われて思わず足の裏の感覚に集中した。
確かにその通りだった。地面からこの居住棟の板張りの廊下、そして裸足の足裏へと微かな細かい振動が伝わってくる。
「なんじゃこれは?地震か?」
洞爺坊が思わず層雲に尋ねる。
「いや、いくつか小さな地震は経験しましたがこんな長く細かく続く地面の震えは初めてです」
層雲坊は冷静に答えた。
「いままでの地震とは違うもののようです」
蒼馬は居ても立ってもいられなくなってきた。なんだかひどい胸騒ぎがする。
「僕、大壁を見に行ってきます」
彼は意を決して言った。
層雲坊と洞爺坊が驚いたように蒼馬を見つめた。
だがすぐに洞爺坊が口を開いた。
「どうやらそうしてもらったほうが良さそうじゃ。これでは何が起こっているのかさっぱりわからん。よいか蒼馬、北の大壁を見に行って、もし北方の軍勢がいるようならすぐに逃げ帰ってわれらに知らせてくれ。そうであれば皆で城に逃げ込まなければならんじゃろうからな」
「わかりました。では行ってきます」
「絶対に、自分の安全を第一に考えるんじゃぞ」
「はい!」
蒼馬は簡素な寝衣用の着物姿のまま、土間に走っていくと草履を履き、すぐに外へ飛び出した。
寺院兼学問所の門から通りへ出る。
すでに空は朝日の気配があり、東から薄明が広がりつつある。
蒼馬にはすぐに街の混乱が始まっているのがわかった。




