第32話 第3章「それぞれの午後といつもと違う朝」その7
「雪音、お前に前々から言いたいことがあってな」
「…何ですか」
「真叡教斎恩派が蛇眼族の縁組を取り仕切っておるのは知っておるな」
「はい」
雪音は夕食を口に運びながらも思わず顔を上げて父親を見た。
「我々蛇眼族が神奈ノ国を開き、統べるようになって五百年、それはずっと変わらなかった。そのため我々は蛇眼族の血脈を維持し、その特殊な能力を維持して人の世を支配し続けることができた」
「ええ」
「またそれによって真叡教斎恩派は盤石の影響力を我らの社会に及ぼし続けている。すべての蛇眼族の家系図と、それによって導き出される最善の縁組とやらでな」
「でもわたしたちは同じ真叡教でも成錬派に属するものでしょ?彼らのやり方には異議を唱えていたはずよ」
「その通りだ。ただ成錬派である北部の諸侯も斎恩派が推してくる縁組に抗ったのを聞いたことがない。二十年ほど前の一件を除いてな。なぜだかわかるな?」
「そうすることによって彼らの子供に蛇眼が宿らなくなる可能性が高くなるからでしょう?現にその家は蛇眼族の男と常人の女が結婚して、常人の子供しか生まれなかったと聞くわ」
「そうだ。そしてその家は男が早逝してしまい常人だけとなったとき、もはや蛇眼族ではないと慶恩の王府からお取り潰しの憂き目にあった。それ以来、北部に領地を持つどの家もそのような企てをしなくなった。みな怖いのだよ。自分たちの唯一絶対の力を失うのが」
「…それで?」
「わたしが言いたいのは、おまえにもそろそろそういう話がくるのではないかということだ」
雪音はとうとう食べるのを止めてしまった。
「それで…もしそういうお話が来たら私はどうすればいいの?」
一刹も箸を置いて娘を見た。
「わたしも斎恩派の推した女性と契りを交わした。それがおまえの母親だ。わたしにとって幸運なことに、彼女は本当に素晴らしい女性だったのだよ。おまえにも同じように幸福になって欲しいし、それが斎恩派によって選ばれ、推された男性によって叶えられるのであればそれに越したことはない。だが、もしそうでなかったら?」
「…そうでなかったら…」
「おまえは斎恩派に歯向かい、結婚を拒否する覚悟はあるか?」
「それは…」
「たとえ常人の男であろうとも、自分の愛する男と添い遂げることを望むか?」
雪音はうつむいてしまった。耳まで真っ赤になっていくのが自分でもわかった。自分の心臓が早鐘のように打つのを感じる。
鈴之緒一刹はそんな一人娘を見つめながら黙っていた。
夕食の席に流れる沈黙が長くなるに従い、雪音の頭も再び冷静に働き始めた。そして父の言葉の意味が改めて解ってきて今度は不安が胸の内に満ちてきた。
「それは、慶恩の幕府に歯向かうことを意味するのではないですか?ただでさえ彼らとの関係は不穏なのに」
娘の言葉に一刹はふっ、と笑い声を漏らした。
「そうかもしれぬな。わたしはどちらを選ぶべきなのかな。南の幕府の意向に沿った縁談を進め、鈴之緒家、ひいては北部の安定を図るべきなのか。娘の幸せを重んじて一族お取り潰しの危険を冒しても我らの理念を貫くべきなのか」
「もうっ!」
雪音は突然怒ったような声を上げた。
一刹はびっくりしたような顔をして娘を見た。
「そんな話、いま決められるわけないでしょう。こんな話を続けていたら夕飯が冷めてしまいますわ」
一刹は笑った。
「そうだな。まずはこの美味い飯を温かいうちに食ってしまおう」
そして二人は再び箸を動かし、会話もほとんど交わさず食べ続けた。




