第3話 序章「霧の領域」その3
(2024/2/3追記)ここまで読んでいただいたみなさま、本当にありがとうございます。
2024年2月3日、後から手直ししています。はじめは武士の長と儀式僧だけが蛇眼族の設定だったのですが、書き進めるうち「蛇眼族だけが武士階級になれる」という設定が生じたため、武士全員が蛇眼族、という設定で書き直させて頂きました。
もうすでに読み進んでくれているみなさま、申し訳ございません。
それ以外は大きな変更はありません。
それではこれからも共ににこの「列島世界」を旅して頂けると幸いです。作者より。
龍鳥と呼ばれるものは空中から降りながら両眼をかっと見開いた。黄金の瞳から放たれる視線がその先にいる大蛇を貫く。
それまで大蛇は射すくめられたように振り返ってただ龍鳥を見ているだけだった。だがここに来て自らがどのような状況に陥っているか悟ったようだった。
荒れ地や暗い水中を這いまわるしかできない、手足を持たぬ黒い大蛇である自分が、天空を駆ける巨大な神獣と理由もわからず闘わなければならないのだ。
大蛇は我に返ったように頭を振り回し、口を大きく開けて牙をむき出し、二股に裂けた真っ赤な舌もまた振り回した。今まで大蛇を目撃した誰もが聞いたことのない金切り声のような鳴き声が霧の領域に響き渡った。その両眼から放たれる紅い光を強め、龍鳥に放つ。龍鳥に蛇眼の力を及ぼし、その動きを封じ込めようとしているのは明らかだった。
だが龍鳥の悠然とした動きは何ら変わらない。逆にその黄金色の両眼で大蛇を見つめ返すと、逆に大蛇は自分の放った金縛りの術がそのまま自分に返ってきたかのように動きを止めてしまった。
この神獣には大蛇を超える神通力が備わっているのだった。
それでも大蛇は力を振り絞り、暗い湖水から跳び上がるように体を伸ばし、降下してきた龍の首元めがけて顎を大きく開け、自らの牙でそこを貫こうとする。
だが龍鳥は悠然とした動きから、瞬時に敏捷な動きへと切り替わった。それは目にも止まらぬほど敏捷だった。大蛇が噛み付いたところにはすでに龍鳥の体は無かった。龍鳥は身をくねらせるようにして大蛇の攻撃をかわすとその右腕を伸ばし、大蛇の首元をつかんだ。
そのまま龍鳥は力を加え続け、大蛇の首を締め上げた。龍鳥が羽ばたきながらそのまま上昇し、大蛇は吊り上げられるように湖水からその長い全貌を現した。だが龍鳥のほうがひとまわり大きいように見える。
握りしめた龍鳥の拳の中にある大蛇の首が絞られてゆく。大蛇はたまらずもう一度甲高い叫び声を上げた。
それが大蛇の断末魔となった。
勝負はついた。龍はついに大蛇の首をその体からちぎり取ってしまった。
血のしたたる大蛇の首、そして巨大な体が空中から湖面におちた。
大波のような音とともに水しぶきと大蛇の鮮血が人間たちのへたり込んでいる崖にまで届いた。
龍鳥は闘いを終えると後ろに下がるように飛び、ふわりと塔の上に着陸した。不釣り合いなほど大きな生命体を上に乗せ、すでに半壊していた塔から石のかけらがぼろぼろと湖面にこぼれ落ちる。
神獣は人間たちに目を向けた。黄金色の両眼が遠くからぎろりと崖の上の人間たちを見渡す。
一同は動くことすらできない。
そのとき、霧の向こうから声が聞こえてきた。
「儀式僧と武士たち。おまえたち五人が蛇眼族だな」
老女のように聞こえる声で、たしかにそう言葉が聞こえてきたのだった。
呼ばれた一同は霧の中であたりを見回した。その声はまるで霧に反射したかのようで、どこから聞こえてくるのか方向が定められない。
そういう妖術なのか。
武士の長は全身を緊張させた。
蛇眼族のひとりと呼ばれた老儀式僧は立ちすくむだけで何も言うことも動くこともできない。
幾度も生贄の儀式を行ってきた彼ですら龍鳥の姿を前にするのは初めて、それが大蛇をあっという間に屠ってしまうのを見るのも初めて、そしてこんな風に霧の領域で誰のものかも知れぬ声を聞くのも初めてなのだった。
「なぜ蛇眼族でない常人たちを生贄にし、大蛇に捧げて来たのか?」
声は続けた。
「霧の領域が拡がるのを防ぐためか?謀反人たちを大蛇に喰わせれば霧の領域が鎮まるなどと愚かな考えを皆に植え付けたのは誰だ?」
儀式僧はじめ、崖の上のだれも依然として動くことも話すこともできない。
「それとも蛇眼族の統べる世が永遠に続くことを祈ってのことか?だが聞け、蛇眼族よ。世界の法則に抗ってその血統を存えてきた者たちよ。もはやおまえたちの世は終わりつつあることを知るのだ。“蛇眼破り”の声をきけ!」
心の中に直接投げ込まれるような言葉に当てられたように、崖の上の人間たち、そして蛇眼族たちは依然として立ちすくんだままだった。
が、そんな彼らの耳に、今度は同じく年老いた女性の声で唄うように唱える声が響いてきた。
「神なる鳥よ、龍鳥よ。
あなたはわたしに力を与えた。
もはや蛇眼は恐れるに足らず。
わたしの手足、
わたしの眼、
わたしの心は自由に動く。
いかなる蛇眼もわたしの動きを止められぬ」
「皆の者、襲撃に備えよっ。蛇眼を使うのだっ」
武士の長がようやく我に返って叫んだ。
武士たちは居合の要領で素早く刀を抜き、構えながら蛇眼を発動させた。
霧の中で武士たちの眼が紅に光りだす。
だが襲撃は備えるのが困難なものだった。
白い霧の向こうから突如として何十もの黒い塊が飛んできた。
それらは…鴉であった。