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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里
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第25話 第2章「北の大崖と大橋と大壁と」その14

 大峡谷の向こう側、北方側の大門の周辺には崖の縁にそって細長く草地が伸びているが、その先はすぐに森林が広がっている。こちら側とは違い、針葉樹林が中心である。

 峡谷を挟んで森林の植生が違っており、あちら側はいかにも北方の森になっているのだった。

 森林地帯の先には山々が連なっている。そのまた向こうに先ほど教えられた霧の領域もぼんやりと見えている。

 人の気配はなかった。もし神奈の国が蛮族たちの集落と呼んでいるものがあるとすれば、それはあの山並みの向こう側にあるのだろう。いや、集落などではなくもっと大きな王国なのかもしれないが…。

 一羽の鷹が峡谷のこちら側から飛んできて、悠然と峡谷を超えていった。

「鳥はいいわね」

雪音が呟く。

「あんなに簡単に国境を越えていく」

「うん」

 蒼馬も応じながら、ちらりと雪音のほうを見る。

 暖かな風が少し吹いていて、雪音の長く真っ直ぐな黒髪を揺らしている。

 整った、時折鋭さを感じさせる横顔を眺めながら、やっぱり綺麗だな、と思い、また蒼馬は恥ずかしくなる。

 さらに横を見ると、康史郎と加衣奈も横に並んで縁壁(ふちかべ)に寄りかかっており、ちょっといい雰囲気になっている。周囲の生徒たちが内心苦笑しているのも伝わってきた。


 「蛇眼族による治世がはじまった五百年前」

洞爺坊が唐突に現地講義を再開し、生徒たちを驚かせた。

「その統治を良しとしない人々が群れをなして大門をくぐり、大橋を渡って北方へ逃れたという。当時は大橋の両端とも壁でなく門だったからな。元々我々の側にある“壁”がどんな姿をしていたか、それは橋の向こう側を見れば容易にわかる。北方では大門になにも手を加えていないからの。ほれ」

 洞爺坊は峡谷の向こう側を指差した。

 生徒たちはみなその四角く白い、真ん中に口を開けた巨大な物体の非現実性にとり憑かれたようにしばし黙ってそれを見つめていた。

 「その…」

皆の沈黙を破って、雪音が珍しくものおじする様子で洞爺坊に質問した。

「逃れた人々のなかには常人だけでなく、蛇眼族の人もいたのですよね?」

「いかにも。公式にはそんな変わり者の蛇眼族はいない、ということになっておりますがの」

洞爺坊が答える。

「その少数の蛇眼族と常人とが協力して蛇眼破りの秘法を編み出した、とも北方では言われておりますがの。なぜそこまでしたのか、と言われるとそれは当時から神奈の国で始まった蛇眼族と真叡(しんえい)(きょう)(さい)恩派(おんは)の血統維持政策に反発し、常人と結婚することを選んだからとのこと。まあいわば恋や愛の成せる技とも言えますな」

洞爺坊はそう言うとふふ、とかすかに笑った。

蒼馬は雪音が少し顔を赤らめながらこちらをちらりと見たのに気付き、彼も顔が赤くなるのを感じた。

 「いづれにせよ、」

洞爺坊が構わず続ける。

「彼らが北の未開民族に伝えたといわれるいくつもの文化的、もしくは思想的財産はいまだ北方で受け継がれていると言われておりますし、それを南の側が汲み上げたのが成錬派と言われておるのですじゃ」

 「あ、あの」

今度おずおずと手を挙げて質問を始めたのは赤間康太だった。

「その…我々の国と北方とが和解するときって来るんですか?」

「ほう。本日の野外講義の核心に来たといったところじゃな」

洞爺坊は顎ひげをなぜながら微笑んだ。

 「北方には伝説がある。終わらせるもの、という伝説がな」

「おわらせるもの?」

「左様。いつか偉大な英雄が現れてこの世界の分断を終わらせ、平和をもたらすであろう、という信仰のような言い伝えだ」

「そういう英雄待望論ってよく聞く話ではあるんですが…」

康太はなおも何か言いたげだった。

「それって、蛇眼族による統治を終わらせるもの、っていうことなんですか?」

一同の間に緊張と気まずさが走る。

椎原加衣奈があわてて康太の脇を肘で小突いた。

 蒼馬も胸騒ぎを感じながら真剣な表情の康太といつものように茫洋とした空気を漂わせている洞爺坊を交互に見た。もしこんな発言を慶恩の都ですればすぐに蛇眼族の憲兵隊にでもしょっ引かれてしまうのではなかろうか。

 「そうかもしれぬな」

洞爺坊は微笑みながら返した。

「ただ、わしは蛇眼族でも真叡教成錬派に属する者でな。それに加えここは理解ある鈴之緒家が総督を務める北方じゃ。北方で、しかも成錬派に属する者以外にそういう話はしない方が良いだろうな。下手をすれば命にも関わることになりかねんからの」

「…はい」

「だが、興味があれば卒業してからも成錬派の勉強を続けてくれれば、修道僧のわしとしてもこれ以上の喜びはない、といったところかの。では、本日の野外講義はこのあたりで終わりとしようか。思っていたより早く終わってしまったようだがの」

 なんだか話がまずい方向に行ってしまったので早く切り上げるようにしたようにも蒼馬には思えたが、ともかく予想より早く授業が終わるのは他の生徒たちにとっても大歓迎だった。

 生徒たちと洞爺坊は北の大門の上から降り始めた。降りるときに蒼馬は振り返り、ちらりと見張りの兵士ふたりと太い丸太を組んだ台から吊り下げられた鐘を見た。訓練以外であれが本当に打ち鳴らされることなんて来るのだろうか、と思う。

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