第22話 第2章「北の大崖と大橋と大壁と」その11
打ち捨てられたような処刑場以外、北練井の街が北の大崖に接する場所には旧市街を囲う石壁が立っている。だから北の大崖も大橋も普段の生活で北練井の住人たちの目に触れることは少なく、さほど話題にも上らない。
その粗野な石壁と連続するかたちではるかに高く、厚い壁となっているのが北の大門なのだった。
いまや伝説でしか知ることはできない前史文明の時代に北の大橋とその両端に大門が築かれ、そのはるか後、蛇眼族の時代に北の大門の片方が封鎖されてただの巨大な壁となり、北練井の街が建設され、それを囲うようにつくられた長い外壁が大昔からある大門とあらたにつくられた処刑場につなげられ、北の大崖に対する目隠しにもなり…といった順序でいまの北練井の街が出来上がったことになる。
学問所の一行はその北の大壁を見上げるところまでたどり着いた。
大壁の封鎖された門にあたる部分の前に足軽姿の兵士が二名、門の上にも同じく二名常駐している。
「うむ、これではなにも見えんな」
洞爺坊が独り言のように言ってちらりと雪音のほうを見る。
「わたしから言って門の上に上がって良いことにしますか?」
雪音がすかさず言うと、
「これはこれは、雪姫どのは察しが良くて助かりますわい」
と洞爺坊がその時ばかりはいたずら小僧のような笑みを浮かべて右手で自分の坊主頭をぴしゃりと叩いた。
雪音は兵士のひとりに近寄り、何かを放すと兵士は礼をし、彼女を階段に案内した。
それは蛇眼族の時代になって北の大門に付け加えられた、石造りで積み上げられた階段だった。
元々の北の大門は単純きわまりない、横に長い立方体に上が弧を描いた穴が空いた構造をしている。
前史文明の人々がどうやって門の上に登ったのか知る人はいない。
まだ知られていない秘密の階段と外からはわからない出入口があるのだ、という人もいる。
我々にはまったく思いつけないようなから(・・)くり(・・)で門の上に立つことができたのだ、という人もいる。
どちらにせよ、いまは階段がないと常人にも蛇眼族にも北の大門の上に登ることはできない。だから太古の遺物に貼り付くように石を積み上げた階段をこしらえたのだった。
後の時代につくられたもののほうが原始的に見えるなんて、前史文明ってどんなに凄かったんだろう、と蒼馬は思わずにいられなかった。
雪音を案内した兵士が率先して上り始めた。
その後から階段のはじまる場所に立った雪音が洞爺坊のほうを向いて「許可を得ましたわ。先生からどうぞ」
とにっこりする。
「では、失礼しますぞ。皆もついて来なさい」
と洞爺坊は黒い法衣をひらめかせながら階段を上がる。
階段にはごく簡単な鉄棒と鎖の手すりしかついていない。
皆はその階段の幅から、自然と二列になって上って行った。
高いところが苦手な生徒は腰が引けてしまい、壁側にくっつくようにして階段を上がって行く。
やがて洞爺坊と生徒たちは全員北の大門の上に立っていた。
そこには胸の下あたりまでの高さの縁壁に囲われた幅広く、そして長い石床の空間があった。
すでに足軽姿の兵が二人おり、はじめに上って来た兵士より説明を受けている。
雪音がご苦労さま、と声を掛けると彼らは慌てたように頭を下げた。
門の上、街の側の縁壁の真中近くにに牛の頭ほどの大きさの銅の鐘がある。
それは丸太を組んで作られた台につるされていた。
近くにはそれを打ち鳴らすための金属がつけられた太い木の槌も置かれている。
非常時には打ち鳴らすためのものだろう。
門の上の広場にはほかに何もないのでそれは妙に目立っていた。
だが、もう二十年以上、誰もその鐘の鳴る音を聞いたことは無いのであった。
蒼馬は足軽たちが雪音に礼をするような場面に出くわすたび、胸になにやらもやもやするものが湧いてくるのを感じていた。
雪音は蒼馬にとって幼馴染であると同時に彼の住む世界の統治者側に立つ人間、蛇眼族のひとりでもあった。そして彼はいつも後者の面を見ないようにしてきたが、こういう場面に出くわすと否が応でもそれを認識させられているような気持になるのだった。
やはり雪音は寺の住み込み使用人である自分とは違う。余りにも立場が違い過ぎる…。




