第208話 第16章「王都ケイルリへ」その1
雪音自身の強い希望もあって予定通り翌朝からセイリュウと蒼馬以外の一同はイカルガ王国の王都・ケイルリへ向かうこととなった。
蒼馬は数日程度とはいえ、雪音と別れることとなった。
「…大丈夫?昨日あんなことがあったのに」
蒼馬は心配そうに愛馬の風切丸の上にいる雪音に話しかけた。
「大丈夫よ」
雪音は微笑んだ。
「それにしてもあなた、本当に凄い人になったのね。蛇眼の忍団の忍者を斬るなんて」
「なんてことないよ」
蒼馬は言った。
「天狗さまから教わった通りにやっただけさ。まだ敵討ちは始まったばかりだ」
「…そうね」
「天狗さまは君が蛇眼破りの良い師匠だと言ってたよ」
「そうなの?」
雪音は少し顔を赤らめた。
「わたし、たいしたことできてないわ。蒼馬くんっていう生徒が良かったのよ」
「なに言ってるんだよ」
蒼馬は返した。
「君が教えてくれた蛇眼破りの心術が無ければ天狗さまの教えてくれた武術も必殺技も蛇眼族には何の役にも立たないよ。いまの自分が在るのは君のおかげだよ」
雪音はそんな蒼馬の言葉を聞いて、微笑から神妙な表情へと変わった。
「…いつか敵討ちも含めてすべてが終わったら」
雪音は言った。
「あらためて二人の将来、ふたりの未来について話し合いましょうね」
「ああ」
相変わらずの鈍さを発揮しながら蒼馬は言った。
「俺たちはふたりとも死んだりしないんだ。死んでなるものか」
「その通りよ。まずはそれね。」
雪音は笑い、風切丸は鼻をふんっ、と一度鳴らして動き始め、ふたりはしばしの別れとなった。
アテルイ王国・リューロウ城に設けられた会議室では大きな机と簡素な椅子が並べられ、崇禅寺武義はじめ侵攻軍の武将たちと最高司令官である堅柳宗次との会議がなされていた。
ひとりの武将が立ち上がって発言していた。
「アテルイ王国においてはわれわれの、とくに蛇眼による攻撃に対しさしたる抵抗もなく、わが軍はさしたる損害も出さずにここ王都・リューロウを陥落させるに至っております」
「そうだな」
上座に座った宗次はただその武将をぎょろりと睨んだだけでそう答えた。
宗次は一人で座り、彼の両横には誰もいなかった。
彼はひとりだった。
いつもなら彼の両横を春日野慶次郎と佐之雄勘治が固めていただろう。
だが慶次郎はすでにこの世にはおらず、勘治は宗次自身が命じてひとり北練井に帰らせてしまった。
みなはいつも通りこのふたりがいれば宗次さまの判断もひとつひとつ違ったものになるだろうに、とささやき合うのだった。
立ち上がった武将は話し続けた。
「しかしながらさらに北に在るイカルガ王国はいささか事情が異なります」
「ほう…どんなふうに?」
宗次があからさまに退屈そうな表情をしてわざとらしく尋ねる。
「まず、イカルガ王国には我々の事情をよく知り、なおかつ我々に復讐心を持つ鈴之緒雪音姫が逃げ込んだという情報があります」
「ほう」
宗次はあくびせんばかりの態度だった。
「それと地元の豪族、矢本家の奈央姫という最強の“蛇眼破りの声”を持つとされる女性がいるのですが」
武将は続けた。
「彼女が雪音姫と合流し、イカルガ王国に向かったという情報があります」
「ちょっと待った。その情報、蛇眼の忍団からだな?」
宗次がぴしゃりと言い、武将は
「そうです」
と肯定した。
宗次は
「その件なら雪音姫も奈央姫も蛇眼の忍団が誘拐してくるのを許可している」
「そうでしたか」
「わたしは生死を問わず、でいいと思ったが彼らがなぜか生きてさらってくることにこだわってな」
「はい…」
「たぶんかれらがもくろむ独立自治王国の再興に一枚嚙ませたい皮算用なのだろうよ。とんだおとぎ話だが」
「はい」
「それで結局、おまえはこれからの侵攻に反対なのだな?」
「侵攻は為されるべきだと考えています。ただこれからというのは早すぎるかと。少なくともこの冬はアテルイ王国に駐屯し、侵攻の準備とアテルイ王国の統治に専念すべきかと。われわれはすでに過去の侵攻計画に比べはるかに優れた実績を上げています」
「まったくまともな意見だ」
宗次は言った。
「まともで、イカルガ王国の連中も同じように予想を立てるだろうな」
「はい…」
「そこを衝こうとわたしは言っているのだ」
「……」
「いまから我々は侵攻の準備をする。今から、だ。準備と情報収集は数日で終わりその後我々は侵攻を開始する。良いな?」
「はい…」
もし佐之雄勘治が横にいれば配下の者たちの意見をもっと聞くように宗次に進言しただろう。
だが彼はいなかった。
そうしてそれ以上強く反対する者もおらず、さらなる侵攻計画が実行されることとなった。
使者に伴われ、ケイルリに赴いた雪音たち一行は旅籠での一泊を経て目的地に着きつつあった。
三方ヶ原砦を出て主要街道を通り、一日目は街道沿いの街にある旅籠に泊まったのだった。
雪音、赤間スヱ、矢本奈央など初体験の人間にとって驚きだったのはその繁栄ぶりだった。
アテルイ王国のときもリューロウの活気に雪音は驚かされたものだが、さらに北へ行っても街での活気が弱まることはなかった。
確かに街と街の間の風景は北へ行くほど寂しさが増してくる。
だが街へ近づくにつれ街道を通り街を出入りする人や馬の数が増え、常に視野に捉えられるようになる。
そして街に入ると必ず市場があり、市場は必ず活気があるのだった。
人の世はどこも同じだわ。
雪音は思った。
どこへ行っても人々は働き、食べ、生活している。
同じだ。変わりがない。
人々は共通点だらけだ。
だからこそお互い歩み寄り、この困難な時代、外洋に出れず陸地は霧の領域に侵されているこの困難な状況を終わらせるべく協力すべきではないのか。
おわらせるもの…雪音は風切丸に揺られながら思い出した。
自分は霧の領域で龍鳥にその道を呈示され、断ってしまった。
蒼馬とのささやかな人生がそれほど大切に思ったのだった。
そして代わる者として龍鳥が見せたあの少年は堅柳宗次の息子といわれた。
かれはいま遠い堅柳の郷にいるのだろう。
そしてなにをしているのだろう?




