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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里
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第2話 序章「霧の領域」その2

第1話をお読み頂き大変ありがとうございました。第2話以降は若干残酷な描写が含まれていると思います(処刑場面、刀剣などによる格闘場面など)。特にそういう表現が苦手な方はご注意ください。それでは引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

大蛇(おろち)よ。大蛇よ。しずまり給え」

年老いた男である儀式僧はそうつぶやくように唱えながら、草木の類が全く見えない荒れ地の中を一団を率いてゆっくりと歩いた。


やがて彼らは高い崖の上に到着した。

崖は高く、その下には暗い水面が広がっている。

霧が立ち込めているためその全貌は見渡せないが、そこは湖だった。

一同が止まると、武士たちは生贄になる者たちを急き立てるように横一列に並べた。

鈴の音は変わらず単調に、その音色に似合わず重い拍子で鳴り続けている。

準備が整うと儀式僧は前へ進み、最も崖の(ふち)に近いところに立った。

「大蛇よ!」

年老いた儀式僧は両手を崖の向こう、霧の立ち込める暗い湖に差し出しながらしゃがれた声を張り上げた。

(けい)(おん)の都より最も近き霧の領域、沙流女(さるめ)(はら)に在りし(くら)()の湖、(そび)え立つ(いにしえ)の塔を守りし大蛇よ、我らが捧げる生贄を受け取り、未来永劫霧の領域から出ること無きよう、我らが都にまで霧の領域を拡げること無きよう」

そこまで唱えると儀式僧は振り返り、武士の(おさ)である男に目で合図をした。

武士の長は軽くうなずくと小刀を抜いて生贄たちの列に近付き、列の左端にいた男と隣の者を繋げていた縄を切った。今まで縄の左端を持っていた武士がひとりに切り離された彼を前に引いて崖の縁、儀式僧のいる場所に近づき、武士の長は代わって新たにできた縄の端を持って残りの四人に睨みをきかせた。

最初の生贄に選ばれた男は後ろ手に縛られた結び目から出ている縄を前に引かれ、体がひねられてよろめきながら前へ出た。

「謀反人よ」

儀式僧は彼を横に見ながら静かに言った。

「われら蛇眼族のもたらす平和に(あだ)なす者よ。われらの同胞を傷付けた罪を贖う機会が汝には与えられた。大蛇の怒りを鎮め、霧の領域の我らの世界への侵食を鎮め、社会の礎のひとつとなる栄誉さえ受けられるのだ」

受刑者であり、生贄でもあるその男はやつれて頬がこけ、両目の周りには捕らえられたとき殴られたのか紫色のあざが広がっている。

彼はそのときまでうなだれて下を向いていたが、いきなり顔を上げて口を開いた。

「人は自由だ」

痣の奥にある両眼が爛々(らんらん)と光っている。

「すべての蛇眼族に死を。人の自由を千年も(おとし)めてきた者どもには必ずや天罰が下される」

儀式僧は一瞬驚いた表情になったが、それはすぐに怒りの表情へと変わり、彼を睨みつけた。

「愚か者め。だまるのだ」

それだけ言うと儀式僧はかっと両眼を見開いた。途端にその両眼が紅色に変わり、邪悪な炎が宿ったかのように妖しい光を放ち始めた。

その禍々(まがまが)しい光の視線は生贄の男を貫いた。かれは突然見えない毒蛇に噛まれたかのように体を痙攣させ、頭を勢いよくのけ反らせたが次の瞬間には前方に頭を振るようにうなだれてしまった。それから再びのろのろと頭を上げたが、その両眼には最早(もはや)先ほど見られた反骨の炎はみられず、ただ虚ろに前を見るだけである。儀式僧が繰り返し言った、だまれ、という言葉にただ従うことしかできない。


そのとき、不意に湖から強い風が吹いた。

まるで湖の真中から彼らのいる崖に向かって太い道を作るかのように、湖面の上を漂っていた霧がその部分だけ吹き飛ばされるように消えてしまった。

そうして開けた視界の向こう、常に霧に阻まれぼんやりとしか見えない太陽の下で暗い湖面の真ん中から突き出ているのは巨大な廃墟の塔だった。

四人の武士のうち、はじめて儀式の仕事に駆り出された者がひとりいた。彼は生贄をつなぐ縄の右端を持つ役割を与えられていたが、左手に縄を握りしめたまま呆けたように口を開け、遠く離れた湖面から(そび)える半ば崩れた灰色の石造りらしき塔を見ている。

「あれが先史文明の塔…」

新参者の武士が呟くように言うのを横目にちらりと見ながら武士の長はわずかに身構えるような仕草をした。

「出るぞ。儀式僧さまが大蛇を呼ばれた」

武士の長の言葉を合図にしたかのように、塔と崖の間にある湖面が震え始めた。

水面の振動はあっという間に大きくなり、暗い丘のように水面が盛り上がっていく。

そしてその上昇に耐えられなくなったかのように水面はその頂点から破裂した。

湖面を破るかのような水しぶきを上げて現れたのは黒く巨大な生物の頭部だった。

それは鎌首をもたげた蛇そのものの姿だったが、その頭部だけでも中型のクジラほどの大きさがある。

大蛇(おろち)だ。ほんとに来た」

新参者の武士は(うめ)くように言うと腰が抜けてへたり込んでしまった。左手の綱を放しそうになる。

「こらっ。しっかりせんかっ」

もう一端の綱を持つ武士の長が新参者を叱責する。が、彼自身と残りの武士、生贄たち、三人の儀式女人、そして大蛇を呼んだと言われた儀式僧自身ですら恐れで体が震え、立っているのがやっとだった。儀式女人はもう鈴を鳴らすことができない。

とてつもなく巨大な蛇は水面下で体をうねらせ、波を立てながら崖に近付いて来た。

その両眼は先刻変化した儀式僧の眼のように紅く燃えている。

獲物を金縛りにし、意のままにする(じゃ)(がん)そのものであった。

一方で儀式僧の両眼からはもう蛇眼の光は消えていた。彼は震えながらも両手を大蛇に差し出し、叫んだ。

「大蛇よ!生贄を受け取り給え」

そして横へ向くと最初の生贄を後ろ手に縛った縄を持つ武士にさあ、と促した。

そうしている間にもさらに大蛇は崖に近付いて来る。

牙の見える口を開くと、二股に分かれた真っ赤な舌が巨大なむちのように空中にうねった。

役割を与えられた武士は震えながらも意を決したように生贄を引っ張った。

生贄を切り立った崖の先端に立たせると、顔をそむけながら武士は自らの憎悪心を駆り立たせるように、

「謀反人めっ」

と叫んで生贄の背中を蹴った。

生贄となった男の体が崖から落ち、宙を舞った。

その瞬間、いままで緩慢といえる動作であった大蛇が瞬時に変わった。

鎌首をもたげた姿勢からいきなり首を弾き出すように伸ばし、牙の生えた口を大きく開けて撃ち出すように真紅の舌を吐く。

そして生贄はそんな大蛇の舌に当たって巻き込まれるようにその口へ落ちていった。

大蛇はすぐに口を閉じる。その隙間から生贄の鮮血と肉片が噴き出した。

崖の上の人間たちは後ずさった。

残りの生贄たちは腰が抜けて座り込んでいる。ひとりは失禁してしまっていた。

大蛇が生身の人間を飲み込む音が聞こえる。

人肉が喉を過ぎると、大蛇は再び燃えるような赤い色の舌をくねらして崖の上に向き直った。

「次の生贄を。早く」

儀式僧が震える声で言う。

武士の長が縄を切るために再び小刀を抜いた。

「助けてください」

次の生贄は女であった。彼女はへたり込んだまま、かすれた声で命乞いをした。

「おぬしも蛇眼が必要か」

儀式僧の両眼が再び紅色に光り始める。

そのとき、突如としてあらたな異変が起こった。

湖の真ん中、湖面から直接突き出た塔は半壊していたが、崩れていながらその高い頂点に光が灯ると、それは真っ直ぐ上の霧を照らした。

霧に円い穴が開いたようになり、その穴の周りを霧は凄まじい速さで回りだした。

あの穴はなにか別の世界に通じる洞窟の入り口のようだ、と武士の長が感じた途端、その穴から稲妻が(とどろ)き、そしてあらたな怪物がそこから降りて来たのだった。

黄金に光る羽毛に覆われ、長い尾を持つ太古の恐竜のような体、しかしそこからは鋭い爪を持つ力強い手足が伸び、なにより背中からは同じく黄金の光を放つ巨大な翼を悠然と羽ばたかせている。そして弧を描く(くちばし)を持った鷹のようなその顔には知性を秘めた両眼がある。

それは両翼をはためかせながらこちらに降りて来た。巨大な翼が風を起こし、周辺の霧を吹き飛ばしてゆく。

武士の長は思い出した。あれこそ北方で語り継がれ、崇拝される神獣ではないのか? 

(りゅう)(ちょう)だ…」

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