第195話 第14章「国境越え」その1
二王国連合忍者団の面々はひたすらに国境にむけて馬たちを進めていた。
これから向かうイカルガ王国を主な本拠地とする忍者たち八名ばかりとそこにアテルイ王国から亡命ということになった武将のセイリュウ、内乱のあった北練井から逃れてきた鈴之緒雪音、草原蒼馬、赤間スヱ、そして途上で加わった矢本奈央姫である。
丘が連なる草地の間の野道を進んでいくとやがて一団は平野に出た。
道の向こう、地平線いっぱいに雨雲からいま雨が降っているような景色が広がっている。
雨雲は低い岩山の群れに垂れ込めているように見える。
雨雲のように見えるといっても一時的なものではない。
この景色はもう少なくとも何百年も変わらない。
ここが二王国の国境地帯である霧の領域なのだった。
「さて…」
霧の領域を見ながら小三治が馬上から一同に話しかけた。
「霧の領域をわれらが通るとき、いつもなにかが起こる」
「しかも毎回、予測できない“なにか”だ」
イズクメが言葉を繋ぐ。
「そうだな」
小三治は同意した。
「たまには化け物や妖怪の類に殺されるんじゃないかってこともある。忍者である俺たちがだぜ?多くある霧の領域のなかでもとりわけ難所なんだ」
「だから急ぎの用じゃないときは数日余計にかかってもこの霧の領域を迂回してたな」
陰七が言い、小三治が
「そうだ。不測の事態ってやつが俺たちの最も嫌うところだからな」
と同意した。
「そこで最終確認なんだが」
小三治は切り出した。
「ほんとに霧の領域を抜けるのか?大事な案件を抱えてるならなおのこと、数日余計にかかっても安全なほうをとるべきじゃないのか?」
どうも小三治はみんなの意見がそうであれば本当に迂回を考えている様子であった。
「わしは経験がないからなんとも言えんが…」
セイリュウが顎髭をいじりながら言う。
「なにがあっても大丈夫ですよ。俺がいます」
若い忍者の純史郎がとなりにいる奈央姫にそっとささやいた。
同年代ということもあり、道中ふたりはすっかり打ち解けたようすであった。
雪音と蒼馬、スヱも思わず困惑して顔を見合わせた。
そのときだった。
「ちょっと待ってくれ。俺の可愛い鴉たちだ」
鴉使いの鳥十郎が声を挙げた。
みると霧の領域の影響か曇り空のなかを鴉のむれが鳴きながら飛んでくる。
午前中には珍しい光景だった。
鴉たちは輪になって鳥十郎の周りを飛んでいたが、そのうち一羽が降下して鳥十郎の肩にとまった。
鳥十郎は手綱を持たない方の手を伸ばしてそんな一羽の足を愛おしそうに撫ぜ、そこに銅管があるのを認めた。
「伝書だな。なにかあったらとリューロウに頼んどいたやつだ。開けて読んでみてくれ」
小三治が言い、鳥十郎は鴉になにやら言いながら銅管をはずし、蓋をとって中の紙切れを広げて目を通した。
そして
「どうやら急がなきゃいけない理由ができたぜ」
と言った。
小三治は手綱を操作して鳥十郎の乗る馬に近付き、伝書を受け取って読んだ。
そして言った。
「王都リューロウが陥落した」
「なにっ⁈こんなに早く⁈戦闘はあったのか?」
セイリュウが思わず声を上げる。
「戦闘はあったらしいです」
小三治は答えた。
「堅柳宗次率いる侵攻軍は隠し砦を難なく攻略し、リューロウを包囲したらしい。コンロイ王は和平交渉を長引かせながら必要なら籠城戦をやる肚づもりだったらしいが、その交渉の場であっさり蛇眼をかけられてリューロウの街も城も陥落させ、その経過のなかで小規模だろう戦闘もあったが、ほとんど勝負にならんかったそうだ」
「蛇眼破りの声はどうしたのです?」
声をあげたのは愛馬の風切丸に乗る雪音だった。
「声ももちろん使われたんだろうがねえ」
返事をしたのはイズクメだった。
「はっきり言っていまアテルイ王国には手練れの“声遣い”はそんなにいない。みんな蛇眼に負けちまったようだね」
「私がいつも疑問に思ってたのはそこなんです」
雪音は溜まっていたものを吐き出すように話した。
「蛇眼破りの声って蛇眼という暗示に声という暗示を上塗りするような技術でしょう?なんの覚醒もそこには無いように思うんです。だからもし蛇眼の暗示の力の方が勝る場合——」
「声が負けるだろうねえ」
イズクメはあっさり認めた。
「おまえさんが言ったような理由で蛇眼破りの声に否定的なことも、心術の修練の方に重きを置いてるのも知ってるよ、雪姫さま。その常人の若者にそれを施したんだろ?」
急に話を振られ蒼馬はどきりとする。
「おまえさんの言うことは正しいと思う」
イズクメは続けた。
「あたしが奈央姫を連れて行きたがった理由もまさにそんなところでね。声が使えてた頃、奈央姫の声は他の蛇眼破りの声とちょっと違ってたんだ。普通の蛇眼破りの声に心術の要素も少し混じってるっていうか、おまえさんの言葉を借りるなら聞く者を覚醒させることもできるようなんだ」
蛇眼破りの方法論に関して何か議論しているんだろうか。
喧嘩にならなければいいけど…
蒼馬は話がわかりにくいなりに不安になった。が、雪音は
「そうですか…」
と納得した様子であった。
「でもわたし…」
と口を開いたのは矢本奈央姫だった。
「いまのわたし、蛇眼破りの声なんて使えない」
イズクメは奈央姫を見つめた。
奈央姫は続けた。
「誰も私に気を使って言わないけど、わたし知ってる。もうひとりのわたし、邪鬼姫っていうんでしょう?いまは彼女しか蛇眼破りの声が使えないんでしょう?」
「そうだね」
イズクメはため息をついて答えた。
「でもお前も以前と同じように声を使えるようになる。大軍勢をそっくりそのまま変えてしまうような声を」
「お取込み中のようだが、俺の話の続きはいいかな?」
話の腰を折られて若干むすっとした小三治が言って皆は彼のほうへ向き直った。
「俺たちはこれまでも蛇眼の忍団とかいう敵と戦ってきて、犠牲者も出してきた」
忍者団はじめ、皆はうなずいた。
「その奴らがまた、俺たちを追って刺客を放ったらしい」
そして北練井からの旅人を見やる。
「主な目的はあんたららしい。どうやらあんたらがイカルガ王国を目指したのがばれてて堅柳宗次はどうしてもあんたらを捕まえるか、さもなくば…」
言いよどむ。
「殺すつもりですね?」
雪音が言葉を継ぎ、小三治はうなずいた。
蒼馬は一瞬身震いしたが、次の瞬間には怒りで体がいっぱいになった。
ふと横を見るとスヱも怒りに満ちた表情をしているので驚く。
「いずれにせよ、先を急がなければならん理由ができた」
小三治は言った。
「もし彼らが早くにさらに北上するつもりであれば、われわれも極力早く迎え撃つ準備をせねばならん。さらになるべく早くにイカルガ王国に着いて雪姫様の手厚い保護を求めなければな」
「俺たちだけでもお姫さんの護衛は大丈夫だと思うが」
鳥十郎が言った。
「蛇眼の忍団となるとちと荷が重いな。霧の領域に入ることであいつらにとっちゃ目くらましにもなるんじゃないか?」
「その通りだ。決まりだな」
小三治は言うとイズクメにも同意を求めた。
「イズクメさん、霧の領域にいちばん明るいのはあんただ。なんせあの龍鳥さまを召喚できるんだからな」
「まったくだ」
鳥十郎が同意する。
「俺も鴉たちなら扱えるが龍鳥さまの召喚は真叡教寺院で半年ほど修行して結局見果てぬ夢になっちまった」
「おまえさんは自分でできないと思ってるだけだよ。その気になれば誰にでもできるさ」
イズクメは言った。
「それで結局、ここから霧の領域を出るまで先導してくれるんだね?」
小三治に訊かれイズクメはうなずいた。
「よし、決まりだ。みんなイズクメの後について行こう」
こうして一同は霧の領域に向かって真っ直ぐに荒れ地の道を進んでいくことになった。




