第172話 第10章「逃避行」その7
ともに列島世界を旅してくださっているみなさま、
いつも本当にありがとうございます。
夏休みスペシャル、怒涛の四連発でございます(笑)。
ちょっと個人的な理由があって、はやく投稿したくなったのです。
みなさまお読みいただければ幸いです。作者・石笛 実乃里より。
「とりあえずここには寝れるところはひとつしかない。とりあえずここに横にして楽にしておあげ」
雪音たちはヨルンバの言葉に従い、普段は老婆が寝ているであろう寝床に蒼馬を横にした。
ヨルンバは目を閉じ、合掌してなにか低く小さな声で唱えると床にひざまづいて体を前に倒し、自分の額を蒼馬の額につけた。
雪音はどきりとした。
自分がいつも蒼馬と蛇眼破りの修練をしていたときと同じだったからだ。
老婆はしばらく自分の皺だらけの額を蒼馬の額に接し、そして離した。
振り返って雪音を見つめ、ぼさぼさ髪で皺だらけの顔をにやりとさせる。
「びっくりしたかえ?蛇眼族のお嬢さんよ」
だみ声で訊いてきたので雪音は、
「彼と“蛇眼破り”の練習をよくしたのですが、同じ方法をとっていました。額を合わせて、幻想世界を共有していたんです」
と思わず告白した。
「ふん。そうかい」
ヨルンバはたいして興味もなさそうな返事をした。
「これは古の真叡教、本当の真叡教の心術のひとつじゃ。そこから北方を伝っていくばくか成錬派に流れたとしても不思議ではあるまいて」
そして今度は小三治のほうを向いて話した。
「ここではなく、もっと霧の奥へ入ったところにある“時の洞窟”までこの子を運び入れたいんじゃ」
「その場所なら俺も覚えがある」
小三治は答えた。
「以前俺たちの仲間が手負いになったとき、あんたに言われてそこまで運んだ。もう何年も前のことさ」
「そうだったかい?」
「そうさ。そしてそいつの傷の治りはえらく早かった」
「あの場所はそういう場所なのさ。傷が癒える時間を短くするんだ」
ヨルンバはそう言うと続けて小三治の腕を叩いた。
「さあ、そう決まったらすぐこの子を運ぼう。蛇眼族のお嬢さん、あんたの馬の後ろにわたしを乗せてくれるかい?」
「ええ、もちろん。早く行きましょう」
雪音は答えた。
こうしてまた小三治の馬に意識朦朧とした蒼馬を乗せ、みなでそれを囲んでささえるようにしながら進むこととなった。
すぐに集落を背にする。途中何人かの住人と会ったが、みな拍子抜けするほどの明るさで小三治や恩御姉、ヨルンバにあいさつをして蒼馬に気付き、彼の状態を心配そうに尋ねてきた。
きわめて普通の村人に思える。彼らはどうやって生活の糧を得ているのだろう?ここを本拠地として狩猟や行商を行っているのだろうか。
雪音の心にふと疑問が浮かんだがいまは蒼馬のことが最優先でそれどころではなかった。
状況が落ち着いたら小三治たちに色々聞いてみよう。蒼馬の状態が良くなったら。
雪音はそう決めた。
生暖かい霧がいっそう深くなり、霧の領域の辺縁部では所々に生えていたねじ曲がったように伸びる木々もいっそう少なくなり、草々も生えなくなってただの荒地になってくる。
転がる石ころを蹴飛ばすように馬を進めているうち、それは現れた。
岩山がいくつか固まるように集まっている低い山地のようなところであった。
平らな荒地からいきなり岩のかたまりのような山々がそそり立っているように見える。岩山の頂点や遠くは霧にかすんで見えない。
かれらはさらに岩山の群れに近付いて行った。
するとそんな岩山の一面にぽっかり大きな穴が空いているのが見える。
「思い出した。あそこが“時の洞窟”だ」
小三治が、ほとんど白目をむいたようにして自分の後ろに乗っている蒼馬を背中で支えながら馬上で声をあげた。
洞窟の前でみなは馬を降り、また協力して蒼馬を降ろした。
ヨルンバが先導し、残り三人で蒼馬を抱えるようにして蒼馬を洞窟の中へ運び入れた。
洞窟の内部には外から光が入って来ているとはいえ、薄暗く、外より温度が下がった気がする。
入ってしばらくすると洞窟の通路がくびれたように狭くなりまた広がって空間が広がっていた。
その真ん中に平らな石の寝台に見えるものがあった。
もうだいぶ暗い。四角い石の寝台の四隅には蝋燭が置いてある。
「小三治よ、明るくしておくれ」
ヨルンバが頼むと小三治は
「あいよ」
と言って、次の瞬間には蝋燭に火が点いて洞窟の中はいくぶん明るくなり、ごつごつした岩の天井が高く見えた。
どうやって点火したかもわからないぐらいの早業で、さすが忍者といったところだった。




