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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里
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第17話 第2章「北の大崖と大橋と大門と」その6

 そしてそれは普通の壁という言葉からは想像できないような厚みをもっている。大人の男が両手を広げて五人は並べるほどだった。

 大門の長さは、大人が歩いて二分弱かかる、一町余りと言われる長さだった。街に面した壁面には、後から石造りで積み上げられた階段が浮き彫りのように備えられており、兵士がそこから大門を登って、上から見張りができるようになっている。

 その高さは大人の男八人分の身長はあり、下から見上げたときのその圧力感は相当なものだった。

 そんな単純な立方体を思わせる巨大な物体が大峡谷の縁にぴったりと据え付けられている。いや、むしろ縁から足幅ほどわずかにはみ出している。はじめからそのように築かれたのか、二千年以上の年月のせいで崖の側が削れてしまったのかは定かではない。

 ただその高床式の穀物倉庫にあるねずみ返しのような構造のため、橋を渡っても壁を回り込んで北練井の街の中に入り込むことが不可能になっている。


 同じような門が大橋の向こう側、北方の側にもある。北方の側の大門はそれが築かれた時から全く手をつけられてはいないようだった。つまり巨大で分厚い壁の中央に上に弧を描く大きな穴、つまり扉を持たぬ門があり、そこから北の大橋に自由に出入りできるように見える。その周辺も南のように後からつけた外壁など無く、森だけが広がっている。

 つまり北方の側の“北の大門”は大門のままなのであった。


 南側、つまり神奈ノ国の側は違う。五百年ほど前に起こった常人と一部の蛇眼族による北方への大亡命が起こった後、当時の神奈ノ国王府はこれ以上の亡命を防ぐため北の大門の封鎖を決定した。

 そのため北練井の側にある大門の門にあたる部分には、大量の大きな石が詰められ、その間は固い漆喰のような物質で固められている。

 はるか太古に築かれた北の大門よりも、ずっと後からその開かれた門を封鎖した部分や取り付けられた階段の部分のほうがよっぽど粗野で原始的に見えるのであった。


 ともかくその巨大で武骨な建築物は、その古さにも関わらず今でも南側、北側の人間が大橋を渡り、お互い大崖の向こう側に渡ろうとする意志を潰すのに十分な姿を保っているのだった。

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