表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里
15/217

第15話 第2章「北の大崖と大橋と大壁と」その4

第二高等学問所の時間割では、金曜午後の座学はまず算術、それが終わると国文学の時間である。

特に国文学は伝統的に修道僧である者が教えることも多い。そして学問所の運営もまた役所と寺院が共同で行っているのが普通であり、四人が通う北練井第二学問所もまたそうなのだった。


国文学を長年担当しているのは洞爺坊(とうやぼう)という名の年老いた修道士だった。坊主頭に深い皺を刻んだ面長な顔に長い白髭を蓄え、いかにも賢者然とした穏やかな雰囲気を漂わせている。

そんな洞爺坊が今朝突然、朝食作りの手伝いとして(かまど)の火起こしをしている蒼馬に近付いてきて言ったのだった。

「もう皆の卒業も近い。今まで机上の学問として歴史と国文学を教えてきたが、教科書は前回の講義で終了してしまった。それに最近実地で教える、ということから離れてしまっている。だから皆で外へ出てみんか?そして北の大壁と大橋を見ながら話をしよう。なにか面白いものが見れそうな気もするしな」


 海野蒼馬はこの寺院かつ学問所に住み込みで働いている。一般には寺男、と呼ばれる身分であった。

 彼がそうなっているのには理由がある。

 彼の父親が彼がまだ物心もつかない幼児のときに亡くなり、洞爺坊が彼をこの寺院に引き取ったのだった。それ以来、洞爺坊をはじめとする修道僧や寺に出入りする年配の女中のような女性たちに蒼馬は育てられ、附属の学問所にも通わせてもらう一方で、寺院と学問所の用務員としての仕事も教え込まれた。

 幼少時に自分に起こったことを、蒼馬自身よく知っているとは言えなかった。洞爺坊も蒼馬にすすんで語ろうとはしなかった。蒼馬もまだ屈託のない子供の頃はそのことをよく尋ねたが、洞爺坊がいつも輪郭をぼやかしたような答え方しかしなかったために、蒼馬もいつしか自分から尋ねることをそれほどしなくなってしまっていた。

 ただ洞爺坊が断片的に語ったことから(わか)っていることがある。

 蒼馬の父親は一種の行商人であったらしい。北練井以外の場所から売れそうな品物を色々仕入れて来てはそれらを持って帰り、店に(おろ)すのが彼の生業(なりわい)だった。

 それだけの仕事ならなんの問題も無いのだが、蒼馬の父の場合は、北練井よりも北、つまり北方からのあらゆる品物も扱っていたらしい。これは密輸にあたる。

 北からの密輸を行うものにはふたつの道がある。

 ひとつは秘密のけものみちのような陸路を伝って北の大崖と北芹(きたせり)(がわ)を超える方法。

 もうひとつは大峡谷を大きく回り込むように海岸に出て、小さな船で北芹河の海に開いた河口を超え、その向こうにある北方の海岸を目指す方法がある。

 蒼馬の父はどうも後者の経路をよく使っていたようだった。

 海獣と呼ばれる異形の怪物が人の船をことごとく襲って海の藻屑(もくず)に変えてしまうといわれる海を小船で渡る、危険な方法であった。

 北方からの密輸といえば皮革や薬草などがよく言われているが、蒼馬の父はどうもそれ以外に何か、寺院、とくに真叡教成錬派にとって必要ななにかを手伝う仕事もしていたらしい。

 たとえば北方の宗教の経典、といったものであろうか。

 洞爺坊は蒼馬の父親のそんな仕事に着目していたようだった。彼はいまから20年ほど前、成錬大師に(なら)って北方の王国へひとり渡ることを試みたのだという。

 それはもちろん神奈ノ国においては固く禁じられていることだった。

 温和そのものに見えるいまの洞爺坊からは想像しにくい行動である。彼の周囲の人物、そしておそらくは鈴之緒一刹たち北方鎮守府の一部の人間しか知らない事実であった。

 洞爺坊は北方へ渡るための水先案内人、そしてそこに(とど)まるための仲介人として蒼馬の父親を必要とした。

 そして願いが叶い、彼が北方のおそらくは寺院のようなところに滞在しているとき、悲劇は起こった。

 蒼馬の父が斬られて死んでしまったのだった。

 その話を洞爺坊から聞いたのは蒼馬が物心ついた年齢になってからであった。

 そのときの驚きをいまだ蒼馬は忘れられない。

 いまだにそれを聞いた時のことを思いだすと体が震えるのだった。

 蒼馬の父が斬り殺されてしまった理由だが、どうも北方の王国にも洞爺坊のような不意の来訪者を迎え入れようとする人間もいれば、忌み嫌い追い返そうとする人間もいるようであった。父は後者の人間たちの集団と洞爺坊に関することでいさかいとなり、結局逆上した誰かに斬られて絶命してしまい、洞爺坊は北方の王国でも味方してくれる者たちの助けを得ながら、孤児となった蒼馬を連れてなんとか神奈ノ国に帰って来たというのだった。

 蒼馬の母親に関してはもっとわからなかった。洞爺坊も蒼馬の母親のことに関しては本当によく知らないようだったし、蒼馬の父親が生前語ったところによると、蒼馬の母は彼を産んで間もなく病で亡くなってしまったとのことだった。父親の出身もよくわからなかったが、母親も北練井かそれ以外の土地の女性なのか、もしかして北方の女性なのかすら判らないままだった。

 それが蒼馬が両親について知るところのほとんど全てだった。

 そんな事情で洞爺坊は蒼馬の父親にあきらかに深く責任を感じていた。それで蒼馬はここ北練井の真叡教成錬派の寺院で育てられるようになった、というわけだった。


 ともかく、そんな洞爺坊の発案があって、その日の午後は北の大門にまで皆で歩いていくことになった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ