第149話 第9章「狂乱の炎」その12
武士団は総勢数十人いたが待ち伏せの急襲を生き延びたのはその三分の二程であろうか。
かれらも草の中から立ち上がり走り出した。
宗次は生き残った最後から二人目の者—最後の者はもちろん宗次である—が逃げたのを確認すると立ち上がり、前を走る軽い甲冑姿の武士の背中を見ながら走り出した。
宗次の前の武士は一心に森の中を走っていたが、不意に太い木の影から軽装な兵士が飛び出し彼を短めの刀で突いた。
武士が倒れる。
宗次は走り寄ると自分の部下を倒した兵士を片手に持った長刀で斬った。
敵兵は鮮血を噴出しながらギャア、と叫び倒れる。
「堅柳宗次!やってくれたな!」
さっきまで森の中で響いていた声が今度は宗次の背後で響いた。
宗次は振り返った。
大木の横に甲冑姿の大男がいた。その顔は髭で覆われている。
「さっきの指揮官とやらか…」
宗次は立ち止まって男に向け刀を構えなおした。
「いかにも。阿弖流為王国武将、正龍だ」
セイリュウは不敵で粗野な笑みを浮かべ、腰から刀を抜いて構えた。
その後ろには老女がいた。
老女は、
「わたしの体、
わたしの心はわたしのもの
いかなる蛇眼も
わたしを捉えはしない」
と歌うように唱え続けている。
「それでわが蛇眼を封じたつもりか?」
宗次は吠えるように言った。
「セイリュウとやら、お前を倒すのに蛇眼など要らぬ。我が武術だけで充分だ」
そして宗次はひと回り大きく見えるセイリュウに剣を持って近付いて行った。
蒼馬は鈴之緒家の秘密の場所を出るとき、いつものように雪音とともに風切丸の背に乗っていた。
そしていつものように寺院所有の畑の前で彼だけ降りた。
さすがに北練井の街中まで一緒に馬の背に揺られながら行くのは人目に憚られたのであった。
いつもならそこから蒼馬は畑仕事の残りに勤しむはずだった。
だが今日は馬の背を降りると、彼は妙に名残惜しそうな顔をした。
「どうしたの、蒼馬くん?」
雪音が風切丸の背から怪訝そうな顔をする。
「うん。なんだか今日は早く帰らなきゃいけないような気がするんだ」
蒼馬がうかない顔で答えると雪音もさすがに心配になって、
「今日は特別に一緒に帰る?」
と持ち掛ける。
「いや、それはさすがにやめとくよ。今日は普通の日じゃないんだし」
と蒼馬は答え、今日が堅柳宗次による北方侵攻初陣の日であることと、にもかかわらず北方鎮守府最高司令官である鈴之緒一刹の娘である雪音がこうやって自分と一緒にいることと、なにかこの不吉な気分と関係があるのかといぶかった。
「ほんとにいいの?じゃあわたしはいつも通り先に行くわね」
と愛馬を促し、風切丸は彼女の気持ちを察しているかのようにゆっくりと歩き出した。
蒼馬は軽く手を振り、先に去り行く馬上の雪音の背中をぼうっと見つめていた。
まさか自分がその後長きにわたってもう少し蓮華之燈院に早く帰っていれば、と後悔し続けることになるとはこの時点では知る由もなかった。




