第131話 第8章「侵攻の足音」その18
「この寺ではそういうことに蛇眼を使わない決まりだとお伝えしたはずです!」
どうやら層雲坊はその斎恩派の僧に本気で怒っていた。
「どうもすまない。つい慶恩の都にいるときの癖が出てしまって。本当に申し訳ない」
斎恩派の僧はここでいざこざを起こしたくない、と思っているのだろう。平身低頭といった風で謝りながらそそくさとその場を離れた。層雲坊はその背中に怒り冷めやらぬといった調子で
「以後こんなことは絶対慎んでください!」
と言葉を投げつけた。
蒼馬はそんな様子をただ見ていたが、斎恩派の僧が廊下を曲がりながら首をかしげるのがわかった。
慶恩でやるより蛇眼が効かなかったな、といった風である。
一方、層雲坊はまだ怒っていた。
「大丈夫か?」
と厨房に入って来て怒りの表情のまま蒼馬を気遣う。
「はい。もう大丈夫です」
蒼馬は答えた。
「でもびっくりしました。あれが慶恩の蛇眼族の人がやっていることなんですか?服従のための蛇眼っていう…」
「そうだ」
層雲坊は苦々しげに言った。
「蛇眼御成敗式目ができたとはいえ、それ以降も一部の蛇眼族は戯れに常人を奴隷のように扱おうとするのを止めようとしない」
「はい…」
「成錬派は魂の成長を阻害するものとしてそれを否定することから始まったようなものだ」
「はい」
「…成錬派といえば」
層雲坊は苦々しい表情を和らげようともしない。
「洞爺坊先生がこの状況を予測して、成錬派の重要な経文を記した書物や巻物を隠しておいたんだ」
「そうなんですか?」
「そうだ。だがどうも彼ら斎恩派の僧たちはこっそりその場所を探っているらしい」
「またどうして…」
「さあ。おそらく見つけ出したら異端の書として焚書にでもするつもりなのだろうな。絶対にそんなことはさせないが。ところで蒼馬君?」
「…はい?」
「君、さっき斎恩派の僧に蛇眼をかけられそうになっただろう?服従のための蛇眼を」
「…はい。あんなの初めてでした」
層雲は声をひそめた。
「でも君はそこからほぼ逃れることができていた。“蛇眼破り”を修得しつつあるのではないかな?」
「そうなんですか?」
「雪姫さまとの修練の結果が出てきているのではないだろうか」
この言葉には蒼馬のほうが驚いた。
「なんでそのこと知っているんですか?!」
蒼馬にとってはあくまで二人だけの秘密、のつもりなのだった。
「甘く見てもらっては困るな」
ここで層雲はようやくいつもの爽やかな笑みを取り戻した。
「雪姫さまは学問所に通いながら洞爺坊先生とともに常人に対する蛇眼破りの修練方法を開発していた。洞爺坊先生が昔北方から持ち帰った知識を元にしてね。知らなかっただろう?」
「…はい」
「おそらく父君の鈴之緒一刹さまも詳しくは御存知ないのではないかな。雪姫さまはそれほどこの修練法にこだわっておられた」
「…はい」
蒼馬にはそれしか返しようがない。
層雲は続けた。
「わたしは弟子としてずっと洞爺坊先生についていたからそれを知ることとなった。これはわたしの個人的な印象なのだが、雪姫さまは当初から君を念頭に置いて修練法を開発しようとしたのではないかな」
「えっ?そうなんですか?」
「君は相変わらず朴念仁だな」
さすがに層雲坊は苦笑した。




