第127話 第8章「侵攻の足音」その14
法螺貝を吹き鳴らす音が長く響き渡った。
長い列がぴたりと止まる。
静止した騎馬隊の一群から一頭のみが駆け足で出て来た。
迎えの一団の前まで来ると旅用の簡素な武具を装備した乗り手は素早く手綱を引き、馬はいななきながら横を向いてぴたりと止まった。
「堅柳宗次よ!久しぶりだな!」
乗り手は吠えるような豪快な声を挙げ、笑った。
「相変わらず元気なことだな!崇禅寺武義!」
宗次も大声を上げて答え、笑った。
崇禅寺武義は馬から降りると北練井の面々にうやうやしくお辞儀をした。
「これは失礼いたしました、北方鎮守府を長年にわたって護ってこられた鈴之緒家のみなさま」
「初めまして、崇禅寺殿。ところで鈴之緒家の人間はいまや二人だけなのです」
鈴之緒一刹が苦笑を浮かべながら応えた。
「わたくし一刹とここにいる一人娘の雪音です」
武義は雪音に向かって丁寧に頭を下げた。
「はじめまして、雪音姫さま」
意外な武義の振る舞いに雪音も慌てて頭を下げる。
その時であった。
「そうなると斎恩派本山の血統維持計画に参画して頂く時期ですかな」
大声が響いたが声の主は見えない。
手綱を持ちながら北練井の門の方を向き、今まで自分の属していた軍列には背を向けている崇禅寺武義が露骨に嫌悪感丸出しの表情をした。
察してくれ、とでも言いたげな表情で宗次を見る。
宗次はかすかにうなずいたが、まだ詳細が見えない。
戦列から出て来たのは大きな車輪を両側に一つずつ持つ牛車だった。
前に伸びた軛によって繋がれた一匹の水牛は二人の常人に引かれ、牛車の横には僧兵がひとり付いている。
いかにも貴族趣味なその赤い牛車は黒い大蛇のような軍列からはあきらかに浮いていた。
牛車は北方鎮守府の面々に向かってゆっくりと進むと、崇禅寺武義が馬の手綱を持って立っているすぐ後ろでぴたりと停まった。
武義は嫌悪感に満ちた表情そのままで、それを隠そうともしていない。
僧兵がうやうやしく華美な箱のような牛車の前面にある簾を一礼して上げる。
中から出て来ようとしたのは一人の老僧だった。
牛車の脇にいた常人の付き人の介助で地面に降り立つ。
金色が華美なほどの法衣を面倒そうにまといながら老僧は北方鎮守府の面々に歩いて近づいて来た。
「あなたは…智独様ですかな?」
鈴之緒一刹は慎重な様子で尋ねた。
「いかにも!」
智独は勢い付いたかのように答えた。
「我こそは真叡教総本山、儀礼僧長の智独ですぞ!」
「真叡教斎恩派、ということですかな?」
鈴之緒一刹の後ろからもう一人の老僧が穏やかに声を挙げた。
洞爺坊であった。
智独が思わず声の主を凄まじい形相で睨みつけると、洞爺坊は逆に微笑んで、
「や、これは失礼。名を名乗るのが先でしたな。私は北練井の蓮華之燈院の住職、洞爺に御座います。北練井とその周辺地域の成錬派の統括も任じられております」
と言った。
「成錬派!成錬派!」
智独がいきなり幼児のように、地団太を踏みかねない様子で大声を挙げだしたのでそこにいる一同は驚いた。
恐らく僧兵団の長であろう白頭巾の僧兵だけは冷静に立って護衛の構えを崩していない。
そして崇禅寺武義もただただうんざりした表情を強めただけだった。
またか、とその表情は語っている。
また議論しているうちに激高して子供のように癇癪を起こす癖が出て来た、と言わんばかりであった。
「成錬派!」
智独は顔を赤くして繰り返した。
「そんな宗派が存在するとは聞いておりませんな!ただ斎恩派とそれ以外の異端が存在するのみ!」
洞爺坊が、横で若い層雲坊が何か言い返そうとするのを目くばせで制した。
「私は!この北部の地に!」
智独はまくし立てた。
「真叡教の正統な教えを復活させるために来たのですぞ!異端を!排除してぇ!」
宗教などには興味のない堅柳宗次も呆れ顔になった。
もう、見るのも聞くのにも堪えない。
そこで智独は急に神妙な顔つきとなった。
「そこでまず手始めとして」
智独は語り続けた。
「これは遠征の途上にあった北部諸侯にも要請し、明擁教主と総麗王の名のもとに命じたことなのですが」
「ほう?」
洞爺坊は眉をひそめた。
彼はすでに北部にある成錬派の各寺院から報告を受けていた。
そして智独は洞爺坊の予測したことを口にした。
「北練井にある寺院を我ら慶恩の都より旅してきた僧団に一部貸与して頂きたい。なにせ我らは今夜停まる宿すら決まっておらんのです。そしてそこを斎恩派としての布教場所として使用することをお許し頂きたい」
実際には許可を請うというより命令なのは明らかだった。
「何を仰られて…」
さすがに層雲が息巻いて反論しようとするのをまたも洞爺坊が軽く腕を伸ばして制した。
「わかりもうした」
洞爺坊は落ち着き払って返した。
層雲が驚きと不満の混じった顔で洞爺坊を見る。




