第123話 第8章「侵攻の足音」その10
雪音が自分の額に彼女のそれを触れさせてきたときの感覚を想い起こす。
そのときの雪音の精神状態を想像し、自分もそれに同調し、一体化するように念じる。
そのままその念を天守閣にいる雪音に飛ばした。
僕を見て…
蒼馬はそれだけを念じた。
雪音はそのとき、洞爺坊の言った通り天守閣にある一室で灯りをともして調べ物をしていた。
薄暗い板間の上、敷物の上に胡坐をかいて低い机に向かう。
机の上にはいくつかの巻物と、細くて強い糸で綴じられた本がある。
いずれも真叡教成錬派の教典であった。
雪音には懸念がある。
草原蒼馬に自分がしていることである。
自分がしている方法が正しいか否か確かめたい、ということがもちろんあった。
このやり方、つまり“念像伝え”で常人が“蛇眼破り”を修得することができるのか。
そしてこのやり方で常人が̶考えたくもないことだが̶精神に異常をきたしたりしないのか。
雪音が読もうとしている本は、一見してわからない、通常の本棚の後ろにある隠し棚から取り出してきたものだった。
洞爺坊が北方で教わったものを書き記した、その写しである。
写したのは雪音自身であった。
原本は蓮華之燈院のどこかに隠されているはずである。
雪音は最近、自分の記憶を確かめ、自分の理解をもっと深めたくて度々(たびたび)自分の書いたものを読み返すのだった。
万が一にも、堅柳宗次はじめ慶恩から来たものにこれを見られてはいけなかった。
もし彼らがこれを見つけたら、鈴之緒家が北方と密通している決定的な証拠を見つけたり、となるだろう。
彼女が改めて気付いたことを書き留めようと毛筆を硯に軽く浸したときだった。
ふと、手が止まった。
頭の中でなにか、火花のようなものが飛んだような気がしたからだった。
この感じ…
火花は彼女になにかを思い出させようとしているようだった。
そうだ、あの感じだ。
雪音は思い出した。
蒼馬くんと額を合わせたときの感じだ。
「近くにいるの?」
雪音は思わず開かれた窓から夜空に向かって呼びかけた。
窓の向こうに見えるのは叢雲がかった半月のみ。
彼女は筆を置き、低い机の前から立ち上がって窓のすぐそばまで近づいた。
見下ろすと地面が、松明に照らされた城の門周辺が見える。
そして塀の向こうに、雪音に見えやすいように塀から少し離れて立っている四人の人物が見えた。
雪音には全員が誰かすぐわかった。
四人のうち三人は雪音が窓から姿を見せたのがよほど嬉しいのか、ちぎれんばかりに両腕を突き上げて振っている。
何か言っているようだがよく聞こえない。
「ちょっと待ってて!」
雪音は大声で呼びかけた。
四人の周辺に立っている数人の夜警当番の足軽たちが驚いたようにこちらを見上げた。
「いますぐそっちに行くから!」
雪音は慌ただしく先程取り出した巻物と書物たちをしまいだした。
腕を伸ばして奥にある小さな隠し棚にそれらをそそくさとしまい込むと、その前にある棚を引き戸を閉めるように動かし、隠し棚が見えないようにした。
蝋燭の灯りを吹き消すと暗い木の階段を踏み外すこともなく駆け下りて行く。
洞爺坊が取り計らってくれたおかげで、彼自身と若者三人は門番の許可を得て城の正門を抜けることができた。
そこは非常に細かい砂利が敷かれた広場になっている。
彼らがそこでしばらく待っていると薄暗いなか、等間隔に置かれた松明に照らされ、ひとりで雪音が走って来た。
「蒼馬くん!」
雪音は叫んでいた。
「念を飛ばしたでしょ?ちゃんとわかったわよ!」
と言って心底嬉しそうな顔をする。
「う、うん。やっぱり通じたのかな?」
と蒼馬は自分のしたことに自信がない。
「そうよ!ね!」
と雪音はそばで突っ立っている康太と加衣奈に顔を向ける。
康太も加衣奈もいま起こっていることが信じられないという風に口をぽかんと開けている。
「も、もしかしたら」
康太がやっと言葉を発した。
「蒼馬が自分の念を天守閣まで飛ばして、それが雪音ちゃんまで通じたってこと?」
「まあ、そんなところね」
雪音がにっこりと微笑みながらちらりと蒼馬を見て言った。
蒼馬は自分の試みがうまくいったことに少なからず高揚していたが、人前で雪音の視線を感じるとまた例によって恥ずかしくなってしまい、顔を赤らめてうつむいてしまう。
「…俺も欲しいな、その能力」
康太が思わず本音を漏らすと、加衣奈が笑って、
「きっと雪音ちゃんと蒼馬くんだからできたのよ。ね、そうでしょ?」
と呼びかけた二人を交互に見ながら同意を求める。
暗に雪音が常人にとっては恐るべき神通力を持つ蛇眼族だから、と言いたいのだろうか?
と蒼馬がまごついていると、
「そうじゃな」
と返事をしたのは洞爺坊だった。
「きっと普段から心を通わせる術を使うべく努めている二人だからこそできたのかもしれん。それにさえ努めれば常人ですらこれぐらいのことはできるのかもしれんて」
洞爺坊は誰も見ず、まるで自分に言い聞かせるように呟いたので、康太はなおさらわからなくなってぽかんと口を開けたままになってしまう。




