第122話 第8章「侵攻の足音」その9
もし常人である蒼馬が門番をする人間に雪音の幼馴染だと認識されなければ文字通り門前払いされる可能性もあった。
一方、蛇眼族で真叡教成錬派の長老的な立場にいる僧たちの一人とされ、城にいる誰もが顔も名前も知っている洞爺坊なら城に出入りするのもほぼ自由だった。
そんなわけで洞爺坊は若い層雲坊に寺院の留守番を頼み、蒼馬がそのお供をすることとなった。
そこに康太、加衣奈が自分たちのことだから、と主張して一緒について行くことになった。
そんなわけで三人の若者が杖をつくようになった老僧の歩みに合わせるようにして城へ向かうこととなった。
一同が城門の前に着いたのは本当に暗くなってからであった。
城門の両脇にはすでに松明が灯されている。
門番役である常人の足軽が二人、槍を持って同じく城門の両脇に立っている。
そのうち一人が洞爺坊を見かけて声を掛けた。
「洞爺坊さまではないですか。城に御用があるなら取り次ぎますが」
洞爺坊は微笑んで、
「ちょっと待ってくれんかの。この老いぼれはまず若者たちと話さなければならんのでな」
と足軽に言った。
そして振り返ると例のいたずらっ子のような笑みを浮かべて蒼馬を見つめた。
「ちょっと面白いことを思いついたわい」
老僧は微笑みながらつぶやくように言うと蒼馬に話しかけた。
「蒼馬よ」
「はい?」
いきなり声を掛けられた蒼馬がきょとんとする。
「おまえ、すこし心の術を試してみんか」
「えっ?」
蒼馬は何を言われているのかわからない。
洞爺坊は城門と壁の向こうにある北練井城の天守閣を指差した。
「見てごらん。あそこに灯りが見えるじゃろ。雪姫殿はこの時間、あそこに上がって書を読んだり書きものをすることが多いんじゃ。たまに休んで街の灯りを眺めたり北方を眺めたりしながらな」
「はあ…」
「たぶんいまもそうしておられるじゃろ。どうだ蒼馬、おまえの念をあそこに飛ばして雪姫殿の顔を出させてみよ」
「ええっ?」
近いことを考えていたとはいえ、やってみろと言われて蒼馬は面食らった。
「いっ、いくらなんでもそんなことできませんよ」
「それはどうかの?」
洞爺坊は相変わらずいたずらっ子のような笑みを白髭を長く伸ばした皺だらけの顔に浮かべている。
「おまえは雪姫殿と心術の鍛錬をしておるのじゃろ?成錬派の奥義を用いてな」
「どうしてそれを…」
蒼馬は絶句する。
彼は今まで洞爺坊に、彼が雪音とどこで何をしているかきちんと話したことはなかった。
自分と雪音とで秘密にしなければいけないと思っていたのだった。
しかし、それをはっきり雪音と約束したわけではない。
雪音の方が洞爺坊に何かしら説明したのだろうか。
横に立つ康太と加衣奈も何の話かわからず、怪訝そうな顔で洞爺坊と蒼馬を見ている。
「雪姫殿はおまえに何度も念を通じさせたはずじゃ」
洞爺坊は続けた。
蒼馬はどきりとする。
成錬派のことを知り尽くす洞爺坊先生だけど、ここまで二人がしていることを知ってるなんて…
蒼馬の顔は赤くなった。
「蒼馬よ、ずいぶんと驚いた顔をしているがの」
洞爺坊は少し神妙な表情になって続けた。
「あの心術は“念像伝え”といってな。まだ雪姫が小さな頃、わしが北方から持ち帰った教典を一刹様にお伝えし、ともに研究したものなんじゃ。わしも一刹様も結局それを修得することは出来なかったが、雪姫さまはどういうわけか成長するにつれ、それを身に着けてしまったのじゃ」
「そういうことなんですか…それって洞爺坊先生が僕の父上と一緒に北方へ行ったとき、教えてもらったのですか?」
蒼馬がおそるおそる尋ねると、洞爺坊は
「そうじゃな」
と言った。
洞爺坊の表情によぎった苦しさを見て、蒼馬は
「すみません。変なこと訊いて」
と頭を下げた。
「いや、かまわんよ」
洞爺坊はそう言うとまたいたずらっぽい表情に戻った。
「どうじゃ蒼馬、今度はおまえの方から雪姫殿に念を飛ばしてみんか?雪姫殿にあの窓から顔を出すように願ってみよ」
最後の一言だけは妙に強かった。
「いつも雪姫さまがおまえにしていることを今回は少しおまえの方からやってみればいいんじゃ。さあ」
「は、はい…」
まったく無茶なこと言うなあ、と蒼馬は思いながら雪音がいるであろう窓を見上げた。
立ったまま両眼をほとんど閉じる。




