第116話 第8章「侵攻の足音」その3
「宗次様は特に間違った御発言はしておられないと思います」
そのいきさつを聞いた蛇眼の忍団首領・曾我蛇八郎は顎に手をやりながらいつものように無表情で言ったものだった。
「実際に北部諸侯、いや鈴之緒家にすら謀反の気配があるのは事実です。われら蛇眼の忍団もそういった内容の報告を王府にいたしております」
そのことはさておき、先遣隊の面々は北方の情報に関しては先んじているはずの蛇眼の忍団の話をまず聞くこととなった。
そして彼らもまた北方の探索には困難を極めていることを知った。
まず問題は宗次ら先遣隊も手を焼いている、北の大橋を渡ってすぐ広がる森の存在だった。
蛇眼の忍団によると、北方では“壁の森”と呼ばれているらしいが、実際に彼ら忍者たちにとっても北の大崖を超えてまず立ちふさがる壁のようなものだった。
「あの森が持っている呪術的な力は我ら忍にとっても脅威です」
と蛇八郎は言ったものだった。
それでも彼らは森を抜けるための手がかりを掴んでいた。
それは宗次も見たあの森の中の石像であった。
蛇八郎によると宗次が見たもの以外にも、同じような石像が森の中に十体以上散在しているとのことだった。
なにかの記念碑のように置かれているが、どうやら道標としての役割もあるらしい。
ただしそれをたどっていけば道がわかるという単純なものではなく、むしろ道に迷ってしまうとのことだった。
きっと石像群の配置が暗号のように森を抜ける道を示しているのでしょう、と蛇八郎は自分の推理を述べた。
そしてそれより何より宗次らが知りたがったのは、それでも彼らが成し得た衝撃的な発見のことだった。
石像群の探索をしているうち、彼らは北方の民が暮らす小さな集落を森の中に発見したのだった。
「間違いなく密輸者たちの中継地点の役割を果たしています。隠れ里ですな」
蛇八郎は言った。横に黙って座る蒼蛇もかすかにうなづく。
「実際に北練井から秘密の通路を渡ってその集落に来た神奈ノ国側の密輸業者のひとりと鉢合わせし、捕えたのです」
と蛇八郎がこともなげに言ったので一同は驚いた。
蛇八郎の話だとこうだった。
“壁の森”のなかに北方の者たちがつくった小さな集落を発見し、向こうから見つからないように蛇眼の忍団で偵察していた。
すると北の大崖の側からひょっこりと猟師風の男が現れ、集落に入っていった。
集落には多くの男と少しの女が合わせて二十人ほどおり、かれらもまた猟師のような恰好をしている。
集落はさながら猟師の野営場のようでもあり、十戸ほど小さな小屋が輪を描くように建てられている。
その輪の中心で森に漂うもやに紛れるように火がたかれ、周りで数人の北方人がたむろして肉を焼いたり、弓矢の手入れをしている。
どう見ても原始的な印象を受ける集落だった。
我らが見る限り、やはり蛮族です、と蛇八郎も言った。
蛇眼の忍団が森の影から見つめるなか、神奈ノ国の側から秘密の通路を渡って来た密輸業者はいかにも慣れた風でくだけたあいさつをしながら集落に入っていった。
集落の者たちも笑ってそれに応じた。
密輸業者は背負った大きな荷物入れから鉄製の武器類、そして塩を取り出した。
一方集落の者たちは小屋から毛皮を沢山持ってきた。
密輸業者の男は大きな籐細工の箱のような荷物入れにそれを詰められるだけ詰め、それでも入らない分は箱の外にぶら下げるようにして沢山の茶色い毛皮を受け取った。
そして長居はせず、帰路についた。
森を出て秘密の通路を通り北の大崖を降りて北芹川のほとりまで行き、そこで暗くなるまで待った。
暗くなると隠しておいたいかだを使って北芹川をなんとか渡り、北練井側の河岸に着くと今度はこちら側の秘密の通路を昇って北練井の街へと何食わぬ顔で戻っている。
そして北練井の街で、神奈ノ国の森で狩猟したと偽ってそのキツネや鹿の毛皮を売っていたところを蛇眼の忍団に拉致された、というわけだった。
当初は蛇眼をかけて必要なことを聞き出したら殺してしまおう、といかにも隠密の仕事を請け負う忍者らしく陰惨な考えであった。
「それが常人の男だったのですが、命を懸けてまで黙っておかなければならぬことなどどこにもない、といった調子で軽く蛇眼をかけただけで何を訊いてもぺらぺらと喋るのです」
と蛇八郎は説明した。
懐柔したほうが良さそうだ、との蛇八郎の考えで今もその密輸業者の男は生きている。
そしていまや蛇眼の忍団の最末端の手下のようになっているとのことだった。




