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蛇眼破り  作者: 石笛 実乃里
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第110話 第7章「森の中へ」その25

鈴之緒(すずのお)雪音(ゆきね)草原(くさはら)蒼馬(そうま)を秘密の場所に連れて行き、堅柳(けんりゅう)宗次(そうじ)が北の大橋を初めて渡った次の日の夜の話である。

北練井(ほくねい)の石壁に囲まれた旧市街でも、城の反対側、つまり北の大崖と大橋に近い側に赤間(せきま)康太(こうた)の暮らす家はある。

旧市街地でもかなり外れのほうであった。

康太の家は一階でいわゆる居酒屋を営んでいた。

「せきまや」と店の名前の書かれたのれんのかかった引き戸の扉を抜けると、土間を挟んで一段高くした板間の()()がりが両側にある。そこに脚の短い小ぶりな座卓を並べ、多い時には二十人近くの客が胡坐(あぐら)をかいたりして座れるようになっている。

現に今も十数人ばかりの客が飲み食いしていた。

奥にある厨房では康太の母親である赤間(せきま)サヱが調理の腕を振るっている。

サヱは女性としては大柄で恰幅(かっぷく)も良く、太い腕を忙しく動かしながら多くの注文をてきぱきとこなしていく。

康太はその横で見習いのように母親の仕事を手伝う。

最近は調理をすることも多くなってきた。

そして店の中を忙しく動き回り、甲斐甲斐(かいがい)しく料理を運んでいるのは椎原(しいはら)加衣奈(かいな)だった。

彼女がこの店で働き始めたのはつい最近のことだ。

それまでは康太が調理手伝いや給仕や、皿洗いなどの後片付けもしていた。

そして店の料理が美味しかったためか、数年もやっている間に店はずいぶんと繁盛(はんじょう)するようになった。

そうなると康太の忙しさは限界に達してしまい、店は回らなくなり、康太も学問所の講義中に居眠りしてしまったり、などということが起こった。

それを見かねた加衣奈が自ら名乗りを上げて給仕として働き始めたというわけだった。

ただ加衣奈が数か月ほど前から店で働き始めてからというもの、彼女の働き者ぶりと愛想の良さが評判となり、客の数はますます増えることとなった。

現に今も十数人の老若男女の客が賑やかに談笑しながら飲み食いし、店内は騒がしいぐらいだった。

 そんな中を加衣奈は焼き魚の乗った小皿、猪肉が入った汁物の(わん)、酒の徳利(とっくり)とお猪口(ちょこ)まで一度に盆の上に乗せて愛想よい表情をしながら動き回っている。

 康太の母親であるサヱは厨房で忙しく手を動かしながらも時折顔を上げ、満足気に息子の幼馴染の娘を見るのだった。

 若い男の常連客が焼いた鳥肉と炒めた野草のどんぶり飯を頬張りながらひやかすように加衣奈を見て、

「まったく康太の奴もいい嫁さんをもらったもんだ」

と軽口を叩く。

康太は慌てて、

「そ、そんなんじゃないから…」

と言い、加衣奈は微笑みながらも少し顔を赤らめて恥ずかしそうにうつむいた。

「まったくうちの息子には勿体ないぐらいの娘さんだよ」

とサヱまで軽口を叩き、ますます康太を慌てさせて客たちの笑いを誘った。


そんな風に夕食の忙しい時間帯は過ぎてゆき、結局閉店時間まで賑やかさは続いた。

客がみんな帰ったあと、赤間親子と加衣奈は協力して店の掃除と後片付けをした。

それも一段落したあと、加衣奈は

「じゃあ私は帰ります」

とサヱに断って帰ろうとする。

「今日もありがとね。ちょっと康太、あんた加衣奈ちゃんを家まで送ってやりなさい。もう暗いんだから」

とサヱがいつものように息子に言うと、康太は

「わかってるよ」

と言って加衣奈にさあ行こう、というように合図をした。

 康太に提灯を渡し、夜道を行く二人の背中を微笑みながら見守ったサヱであったが、二人が角を曲がって見えなくなると思わずじれったそうなため息をもらした。

 加衣奈ほどに働き者で器量の良い娘なんぞいやしない。

 サヱはそう思っていた。

 だから正直な話、息子の康太にはさっさと加衣奈と夫婦になる約束をしてもらいたいぐらいだったが、母親から見てその点康太はどうにも優柔不断に見えるのだった。

 こんなとき、何でも竹を割るように即決する性格だった父親の権蔵(ごんぞう)がいてくれたら、と思う。

 慶恩(けいおん)の蛇眼族が霧の領域への無理な探索行さえしなければ、彼は死ぬことは無かった。

 蛇眼族が霧の民さえ避けて通る獰猛な物の怪が出る区域に無理して入らなければ…、

 蛇眼族がまず常人の権蔵たちを霧の領域でも特に危険な区域に送り込まなければ…

 結果、権蔵ら常人たちは物の怪に殺され、蛇眼族たちは逃げ帰った。

 このことだけは忘れられなかったが、権蔵が生きていれば息子の康太にどんなことを教えただろう、と考えてしまうのだった。

「まったく。しっかりしなさいよ」

とサヱは若い二人のいなくなった方向に向けて独りつぶやいた。

が、その言葉が息子への言葉か、夫の死後一人で息子を育て続ける自分へ向けたものなのか、言った本人がわからなくなってしまい、サヱは一人困った顔をしたのだった。

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